第七章 晄の夜
綾斗は、その日ずっと胸騒ぎがしていた。
夜凪からの連絡が途絶えて三日目。
何度も送ったメッセージは、
既読にならないままだった。
「……嫌な予感しかしない」
意を決して夜凪の部屋へ向かった。
静まり返ったアパートの前に立つと、ふと、
扉の隙間から薄く光が漏れているのが見えた。
鍵は、開いていた。
玄関をそっと開ける。
中は重い空気に満たされ、
息が詰まりそうだった。
——バキッ。
奥のリビングから何かを叩き割る音が響く。
綾斗は思わず駆け出した。
そこにいたのは、血まみれの夜凪だった。
いや、それは――晄だった。
壁に拳を打ち付け続ける晄の腕は、
皮膚が裂け血を流していた。
左腕には、また深く噛みちぎったような痕が
新しく刻まれていた。
「晄……」
綾斗は声を震わせた。
晄は振り返った。
その瞳は、まるで別人だった。
「来たんだね、綾斗くん」
低く甘い声。
けれど底知れない狂気が滲んでいる。
「夜凪は、もう限界なんだよ。
だから代わりに、俺が全部背負ってる。
……全部、な」
晄は笑った。
けれどその笑顔は痛ましいほど歪んでいた。
「傷つけるしかなかったんだよ。
痛くなきゃ、生きていられないんだよ。
……俺たちは、
もうそうやってしか呼吸できないんだ」
綾斗は言葉を失った。
止めたい、救いたい、
でも――もう、手遅れだと分かってしまった。
「晄……やめてくれ……夜凪を返して……」
晄はふっと息を吐くと、ゆっくりと目を伏せた。
「……俺だって、
本当は夜凪に幸せになってほしかったよ」
「でもさ、綺麗事じゃ救えない痛みがあるんだ。
君には、分からないだろ?」
その声に宿るのは、深すぎる絶望だった。
次の瞬間――晄の意識は沈み、夜凪がゆっくりと目を開けた。
血だらけの自分の腕に気づき、
怯えたように綾斗を見上げる。
「……綾斗? ……これ、なに……
私、また……?」
綾斗は、何も答えられなかった。
ただ静かに、夜凪を抱きしめた。
優しく、壊れた心を支えるように。
でも、その優しささえも、
もう彼女を救えはしなかった。
そして綾斗はこの日、
夜凪が壊れていくのを、
ただ見届けるしかない自分を
理解してしまった。
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