第五章 綾斗の違和感

最近の夜凪は、よく笑う。

だけど、その笑顔が時々、

まるで他人のように思える。



カップを持つ指先。話すテンポ。

視線の泳ぎ方。

細かな違和感が、積み重なっていった。



以前の夜凪なら、考え込みながら言葉を選んだ。

でも今は、返事が速い。

妙に整った言葉が口をついて出てくる。

まるで、誰かが「夜凪らしさ」を

演じているように感じる瞬間がある。




ある日、綾斗は彼女の部屋を訪れた。

玄関の靴が散らばり、

リビングには割れたコップが転がっていた。



「……大丈夫?」

「うん。ちょっと転んだだけ」

そう言った夜凪の腕には、

新しい包帯が巻かれていた。


綾斗は目を伏せた。

何度目だろう、この繰り返しは。

説明のつかない傷、自分で噛んだような痕、

深まる無表情。

問い詰めれば、夜凪が壊れてしまう気がして、

どうしても言葉にできなかった。


「最近、よく怪我してるよね」

「……ドジだから」

「そうかな……

前は、そんなに怪我しなかったよね」


沈黙。

夜凪は微笑んだ。

けれどその目が、

冷たく乾いているように見えた。


綾斗の胸に、不安が積もっていく。

「——君は、本当に夜凪なの?」


問いかけたその瞬間、

夜凪の口元がピクリと動いた。

だが、答えは返ってこなかった。




それでも——その無言の間に、綾斗は確信した。

自分が知っていた夜凪は、

あの頃のままここにいない。

今、目の前にいるのは、彼女の“誰か”だ。



それでも綾斗は思った。

それでも、離れたくない。

彼女を置いて行きたくない。




でもその優しさは、やがて、

檻の中に閉じ込められる苦しみに変わっていく。


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