第三章 朝陽が目覚めた夜

その夜、夜凪は自分の身体が

自分のものではないような感覚に陥っていた。

熱もないのに手足が震え、

胸の奥がざわざわと泡立つ。

目を閉じても、

兄の声が耳の奥にこびりついて離れなかった。


《お前のせいだ》


——そんなはずない。

でも、そう思えば思うほど、

言葉が胸に沈んでいく。

冷たい水のように、意識が底へ、

底へと引きずりこまれていった。


ふと、世界が“切れた”。


目を開けると、

自分の部屋が不思議なほど静かだった。

夜凪の手は布団の上にきれいに置かれ、

肩の力が抜けていた。

けれどそこにいたのは、もう夜凪ではなかった。


ゆっくりと鏡の前に立つ。

見慣れた顔が、

知らない目をしてこちらを見返していた。

夜凪のものだったはずの目は、

どこか優しく、けれど強く、

確かな意思を持っていた。


その“誰か”は、鏡の中の夜凪に向かって、

小さく口を開いた。


「守るからね、夜凪」


それは、自分ではない“わたし”が

口にした言葉だった。

優しくて、でも決意に満ちた声。


そうして朝陽は、初めて“表に出た”。


夜凪が壊れないように。

夜凪がもう泣かなくてすむように。

夜凪の心の奥で、

ずっと静かに目を覚ますのを待っていた存在。


それが朝陽だった。


けれど——朝陽が現れたことで、

夜凪の“心の檻”は開かれてしまった。

それが、破滅の始まりだとも知らずに。

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