第二章 崩壊の音は静かに始まる

「最近、なんだか……表情がやわらかくなったね」

綾斗がそう言った日の夜、

夜凪は久しぶりに“あの人”から電話を受けた。



——兄からだった。



「久しぶり。元気か?」

その声は、

かつて何度も夢でうなされた声と同じだった。

柔らかく見せかけて、

どこかで人をねじ伏せるような調子。

夜凪の背筋は自然にこわばった。


「……もう、連絡しないって言ったよね」

「謝りたいと思ってた。

あの頃は、俺も未熟で……

でも、少しは話ができると思って」


綾斗と出会ってから

少しずつ「普通」に近づいていた夜凪は

ほんの一瞬、過去と向き合う覚悟をした。

それが、間違いだった。



兄と再会した夜。

コーヒー店の帰り道、兄が夜凪に言った。



「お前が逃げるから、家族は壊れたんだ」

「今、幸せそうにしてるけど……

それもそのうち壊れるよ」


笑っていた。優しそうな顔で。



——そして、翌朝。


兄は、自宅で首を吊って死んでいた。

遺書はなかった。

ただ、兄のスマホには

夜凪へ宛てた未送信メッセージが残っていた。



《お前のせいだ》



それを見た瞬間、夜凪の中で、何かが裂けた。

胸が焼けるように苦しくて、

何も考えられなかった。

ただ、気づけば数時間が経っていた。

その間、自分がどこで何をしていたのか、

まったく思い出せなかった。



次の日、綾斗が言った。


「昨日の君、何かが違った。

言葉も、目も……別人みたいだった」



夜凪は笑った。

でも、それは自分の笑顔ではなかった。


自分の中に、

自分じゃない“誰か”の気配が確かにあった。



こうして、夜凪の中で最初の人格——

朝陽が目を覚ました。

“守るため”に、“壊れないため”に。




けれどその選択は、救いではなく、さらなる崩壊の始まりだった。

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