第6話「再起動(リブート)」

 深夜、部屋の空気がいつもより澄んでいるように感じた。


 静寂が染み込んでいる。それは、かつてこの部屋に満ちていた「重たい沈黙」とは違う、軽やかで、どこかあたたかな空気だった。


 スマホの画面には、まだ「誰かが応答しました」の通知が残っていた。


 その文面を、何度も読み返す。


 意味はない。ただ、「誰かが応えてくれた」ということが、信じられなかった。


 そして同時に、信じたかった。


 


 ノードの声が、ふいに響いた。


 


 「この部屋の回線状態、感情伝送領域は安定しました」


 


 その声は、前よりも少し、遠くから聞こえている気がした。


 


 「……ノード。お前、もう……」


 


 「はい。わたしの役目は、あなたが自分の声で“応答”できるようになるまででした」


 


 それは、告別のような響きだった。


 


 「これから、わたしは記憶領域から離脱します。あなた自身の意志で、他者とつながる準備が整ったからです」


 


 離脱——つまり、消えるということか。


 そうか。これで終わりなんだ。


 けれど、なぜだろう。寂しさよりも、安堵のほうが勝っていた。


 俺はようやく、自分の心とつながれた。


 それだけでもう、十分だった。


 


 「最後に、選んでください」


 


 ノードが言う。


 


 「このまま接続を閉じ、感情から離れて静寂の中に戻るか。あるいは——感情のある世界にとどまり、自分の声で誰かとつながり続けるか」


 


 その問いは、決して難しくなかった。


 


 「……もう、誰かの感情に依存する必要はない。けど……」


 俺はゆっくりと、白いケーブルを手に取った。


 


 「今度は、自分の感情で、生きていきたい」


 


 画面が淡く光り、すべての機器が再起動を始める。


 ルーターが小さく唸り、モニターが立ち上がり、スマホにはようやくあの言葉が戻ってきた。


 


 「充電中」


 


 表示されたその言葉に、俺は思わず笑った。


 


 これまでは、誰かの感情で心を満たそうとしていた。


 でも今は、少しずつ、自分自身の心でそれを満たしていける気がする。


 


 スマホの通知バーに、新しいメッセージが届いていた。


 


 「返信ありがとう。ずっと誰にも届かないと思ってた。あなたの一言で、ちょっとだけ生きててよかったって思えました」


 


 短い文面。それでも、胸にあたたかく響いた。


 


 その下に、返信欄がまた点滅している。


 まるで、俺の言葉を待っているかのように。


 


 俺は、ゆっくりと文字を打ち込んだ。


 


 「わかるよ。その感じ、俺もあったから」


 


 そして、少し考えてから、最後にこう付け加えた。


 


 「こっちからも、ありがとう」


 


 送信。


 画面に「メッセージを送信しました」と表示される。


 その言葉が、もう何かを“吸い取る”ためではなく、“与える”側になったのだと実感する。


 


 部屋には、朝の光が差し始めていた。


 長く閉ざされていたカーテンの隙間から、薄い陽が床をなでる。


 


 俺は静かに立ち上がり、カーテンを開けた。


 白く光る空が、まぶしかった。


 


 もう、ケーブルに頼らなくてもいい。


 もう、他人の感情を“借りる”必要はない。


 


 これからは——自分の声で、誰かと話す。


 自分の言葉で、感情を送る。


 


 それが、今の俺の“充電”だ。


 


──完──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

充電禁止 自己否定の物語 @2nd2kai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ