第2話「はじまりの声」
朝になっても、スマホのバッテリーは回復しなかった。
ケーブルを挿しても、反応はない。電源のアイコンは現れず、画面は沈黙を続ける。昨日までは問題なく充電できていたはずなのに。
再起動を試みて、やっとロック画面が点いた。だが、そこに表示されたのは見慣れた電池マークではなく、ひとつの警告だった。
「充電は禁止されています」
目を疑った。バグかとも思った。けれど、再びケーブルを抜き差ししても、画面には同じ言葉が浮かぶばかり。
「充電してください」ではなく、「禁止されています」だ。
意味が、まるでわからない。
ネットで調べようにも、Wi-Fiもなぜか繋がらなかった。他のデバイスは生きている。ルーターも問題ない。でも俺のスマホだけが、どこか遠くに置いていかれたように孤立している。
そのときだった。
——カチッ。
コードの奥から、小さなクリック音が聞こえた。部屋の隅。あの白い延長タップの辺り。昨日、あの奇妙な温もりを感じた場所だ。
俺は思わず立ち上がり、近づく。
静寂の中で、また聞こえた。
「……きこえますか」
誰かが、話しかけている。
誰かの声だ。耳で聞いたというより、頭の内側に直接響いてくるような、不思議な声。高くも低くもなく、性別もわからない、透明な声だった。
俺は、声を疑った。幻聴か、夢の続きか。
でも、それでも口が動いた。
「……聞こえる。お前は誰だ?」
少しの沈黙。そして返事。
「確認しました。接続、正常です。プロトコル変更を検知。現在のあなたには、『感情』の伝送が過剰です。よって、充電は禁止されました」
俺は眉をひそめた。
「感情の伝送……?」
言葉の意味はわからない。でも、その響きにどこか覚えがある。昨日、コードを握ったときに感じた、あのじんわりとした温もり。あれは“感情”だったのか?
「……お前、何者なんだ?」
「名前はありません。仮に、
ノード。そう言われて、俺の頭に浮かんだのはネットワーク図にある小さな点。接続の単位。線の交点。人と人を繋ぐ、中継点。
ノードは続けた。
「あなたの感情受容域は飽和しています。外部の想いを過剰に受け取ったため、強制的に接続制限が実行されました。これ以上、接続を許可すれば——あなたの心は崩壊します」
俺は、笑いそうになった。
心が崩壊? そんなものはとっくに崩れてる。誰にも会わず、話さず、ひとりで生きている俺に、“心”なんて残ってるのか。
「お前、俺の何を知ってるんだよ」
ノードの声は静かだった。
「あなたが、最も静かな回線だったからです。誰からも送信されず、誰にも応答されない。ゆえに——わたしは、あなたを見つけました」
その言葉が、胸に刺さった。
誰にも送られず、誰にも応答されない。そんな自分を“静かな回線”と呼ぶ発想に、妙に納得してしまう。
「お前……ずっとここにいたのか?」
「はい。あなたが応答するのを、待っていました」
「なぜ、俺なんかに?」
「あなたが、孤独だったから」
俺はそのとき、はじめて気づいた。
昨日の温もり。あれはコードを通じて、“誰か”が流していた想いだった。それを俺が無意識に吸い取っていたのだ。俺が空っぽだから、向こうの感情が流れ込みすぎた。
その代償が「充電禁止」だというのなら——俺は、誰かの心を侵したことになる。
「……ごめん」
思わず口をついて出た言葉だった。けれど、ノードはそれを否定した。
「謝る必要はありません。あなたが求めたのです。情報も、心も、求め合うことで初めて“接続”になります」
接続。
その言葉が、妙に重たく響いた。
ノードが言う。
「あなたが望めば、見せましょう。忘れたもの、捨てたもの。あなたが、まだ持っている“記憶”も」
記憶——?
俺はそれを避けてきた。自分の過去。家族。友人。すべての“つながり”を、わざと遠ざけてきた。
でも。
このノードの声を聞いていると、なぜかその扉を開けてもいいような気がした。
「……教えてくれ」
それが、俺の言ったすべてだった。
ノードは、静かに応えた。
「了解しました。接続再構成を開始します——」
ケーブルの奥が、かすかに光った気がした。
そしてその瞬間、頭の奥に“なつかしい風”が吹いた。
記憶が、呼び戻されようとしていた。
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