第25話 書面攻撃 

 吉田二郎は初めからトヨタ織機との戦いが長期戦になることを想定していた。そして、同社への要求を他のアクティビストから学んで増配、PBRの改善、政策保有株の売却、株主還元、サスティナブルな成長のための事業の再編、女性役員・技術系役員の登用、不正の追及、不正に関与した役員の退陣に絞って求めることにした。父のように持久戦で負けないために要求は順次出して行くことにした。直接の面会はしたくないのでまずは書面を送ることにし、最初の書面の作成に取り掛かった。


『トヨタ織機株式会社、豊真鉄会長、安西朗副会長、藤田公二社長殿


私は先日大量保有報告書を提出した吉田二郎と言う者です。貴社の大株主として、次の事項を要望します。ご検討ください。

1. 増配を求めます。現在貴社の1株当たりの配当は年200円です。倍の400円に増配しても問題ないと思います。ぜひ増配による株主への還元をお願いしたい。自社株取得を行うよりも増配を期待します。

2. PBR(株価純資産倍率)の改善を求めます。貴社のPBRは0.75倍です。これは大変情けない数字です。時価総額が貴社保有のトヨタ・グループ株の価値総額にも至っていません。いいかえればフォークリフトなどの本業の価値がゼロ評価なのです。まずは1倍を超えるように。せめてトヨタやトヨタ電装なみに1.3倍から1.5倍にしてください。東証もPBRの改善を要請しています。解散価値の方が大きい、低PBR企業に、PBR1倍以下の解消を提言しています。また、東証はコーポレートガバナンス報告書に「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応」を開示するよう要請しています。けれども貴社は何らの開示をされていません。割安株には企業価値の改善余地が大きく、私はこれに挑戦していきます。

3. 女性役員・技術系役員の選任を求めます。私の知る限り、貴社取締役会メンバーに女性が一人もいません。ダイバーシティーの観点から社内の優秀な女性を役員に登用してください。また、メーカーなのに技術系の取締役が見あたりません。これはどうしたことか、不思議でなりません。会長・副会長・社長はすべて事務系出身です。技術がわかるのでしょうか。事務屋で固めるのは一方的なものの見方に偏り、会社の発展につながらないと思います。コーポレートガバナンスコードでは、女性の活躍促進を含む社内の多様性の確保が重要と言っています。社内に異なる経験・技能・属性を反映した多様な視点や価値観が存在することが、会社の持続的な成長を確保する上での強みとなり得るとの考えです。私はこれに賛同します。

4.最後に今回の不祥事を株主として大変心配しています。二度と不正がないよう原因を追究して再発防止に努めていただくよう、切望します。


要望は以上です。貴社のお考えを書面でご返事いただければ幸いです。

令和〇年〇月〇日                株主  吉田二郎』


二郎の3番目の要求は、発明王が興した会社なのに一人としてボードメンバーに技術屋がいないことを危惧した指摘なのだ。恐るべき事実を二郎は見抜いていた。


これを受け取った安西副会長はどうしてよいかわからず、再びトヨタの豊照夫会長に相談した。相談された照夫会長は、再び書面が来たことで放置できず、配下で信頼する経営企画部長の近本翔太に考えさせようとした。彼は切れ者で、トヨタグループ経営も担当しているので適任だ。彼を会長室に呼び出した。

 照夫会長が「近本君、トヨタ織機が株の買い占めにあっているようだ。安西副会長からどうしたらいいか相談があった。そこで君に対策と対応を考えてほしい。すでに、5%超えて買い占められているようだ。」と言うと、近本が思い出したように「そういえば、昔、トヨタ織機は買い占めにあったことがありますね。グループで同社の株を引き取り、その後も株の安定化を図ってきたはずですが、またですか?」と怪訝そうに言った。流石に切れ者だ。昔のことを覚えている。「今回、相手の正体がはっきりしない。バックに誰がいるかもわからない。大量保有報告書が出されたそうだ。その時、報告を受けたのだが。今回、吉田二郎と名乗る大株主から書面が来たとのことだ。よく見てアドバイスしてやってくれ。」と言って、安西が持ってきた資料を近本に渡した。


数日後、近本が安西副社長と藤田新社長をトヨタ本社に呼びつけた。照夫会長からの命令だと言って。近本氏による二人のヒアリングだ。近本が「これまでの状況はわかりました。それで、貴社の方で何か対応などやってきましたか?」と質問すると、安西が「30年程前にも買い占めにあいました。その時のことは当時の副社長から事情を聞いています。今回の買い付け者の日本現代工業と吉本産業というのが過去の名前に似ているということで、前回の関係者かもしれません。しかし、当時の首謀者の本木一也という者はすでに亡くなっており、今回の吉田二郎氏との関係がはっきりしません。」と調べてわかった限りのことを説明した。「調査機関を使って、引き続き、日本現代工業と吉本産業の2社と吉田二郎氏の素性や背景を調べてみてください。」と近本は二人に言ったが、思い出したように「そうだ。2社ではなく、全部で6社でしたね。テスラン、三星電池、BYDジャパンに吉田不動産も調べてください。また、吉田二郎に加えて、代表者の佐藤玲子も調べてください。」と宿題を出した。


こうしてトヨタ織機側の結論は、なかなかでないままになり、時間が経過して、二郎の最初の書面は無視された形となった。


トヨタ織機から何も回答がないので、二郎は再び書面を出すことにした。


『豊真鉄会長、安西朗副会長、藤田公二社長殿

既にご提出しております小職の書面に貴社から何も返答がないので、あらためて要望を提出します。先回の書面での要求に加えて、次の事項を要望いたします。ご検討の上、ご回答ください。


前回ご指摘しましたとおり、貴社のPBRはたったの0.75倍です。貴社のために私がPBR向上の方策を考えました。トヨタ株はじめ、保有するグループの株式を売却し、得た資金で貴社のサスティナブルな成長のために事業の再編を行ってください。繊維機械は創業の事業ですが固執することなく、撤退するか売却するかしてください。中国企業の追い上げが激しく、赤字のたれ流しには我慢できません。また、自動車関連です。トヨタも100年に一度の大変革の時と言ってEV対応を加速しています。貴社の自動車組立とエンジン製造、鋳造事業は、トヨタに戻したらどうですか。自動車事業がグループ内で重複していては効率が悪いと思います。そして、貴社はフォークリフトとEV用電池とカーエアコン・コンプレサーに集中し特化した方が利益が出てROEも改善します。株主にとってもその方がよいのです。将来EVが進めばいずれはエンジンなどなくなります。今のうちに返してしまった方がよいし、価値のあるうちに戻して資金を得た方がいいと思います。それに今回の排ガスの不祥事はエンジン事業で起きたことと聞いております。再発防止の具体策を何も発表されていない現状では株主として安心できません。

また、グループ内で株の持ち合いをすることにについて問題があると思っております。貴社の主要取引先であるトヨタの株を貴社が持ち、また持たれるということは2社間で利益相反が懸念されます。コーポレートガバナンスコードでは、政策保有株式につき、政策保有株式の縮減に関する方針・考え方など、政策保有に関する方針を開示すべきであると言っています。即ち、売却するか、保有するならその理由を説明してください。未だに方針を公表されていないのが現状です。

また、議決権行使助言会社は政策保有株の保有額が純資産の20%以上ある場合、トップの選任議案に反対するよう推奨しています。このため、日立や日本製鉄は政策保有株を大幅に減らしてきました。一方、貴社およびトヨタ・グループは何もせず、一向に市場の声を聴いていません。グループでの株の持ち合いは、解消されなければならないと思います。

自動車本体のボディーメーカーとその自動車部品メーカーでは当然、日常的な取引があります。貴社とトヨタ間でも同じです。しかし株を持ち合っていると、取引の経済合理性を十分に検証しないまま取引を継続するなど、会社や株主共同の利益を害するような取引を行う恐れが懸念されます。

グループの株式を処分して、事業再編を行い資本効率を上げることが株主の最大の利益につながります。手元資金を成長に活用すべきで、それができないなら株主に還元すべきです。ESGや脱炭素への取り組みなどサステナビリティを巡る課題への対応に資金を使うべきです。株を処分すれば潤沢な資金ができて何でもできると思います。貴社はそれだけの価値がある会社です。


最後に、前回の要望書に何もお答えがないので今回の私の要望はマスコミを通じて世間に公開します。

令和〇年〇月〇日           株主  吉田二郎  』



吉田二郎から書簡がまた来たというので、近本がまた、安西を呼びつけた。今度は安西が豊真鉄会長を伴って来社した。近本が出してあった宿題について冒頭から問いただした。「吉田二郎氏のことはわかりましたか?」安西が申し訳なく答える。「いろいろと手を尽くして調べてみたのですがよくわかりません。近頃活動しているアクティビストにもそんな人物はいないということです。前回お話ししたように30年前の買い占めの関係者かもしれないというだけです。吉田二郎氏は大阪の豊中で吉田不動産という会社をやっているようです。これも30年前の本木一也が日本土地という不動産会社をやっていたのと同じです。屋号は違いますが。」と弁明する。「それでは30年前の買い占めとやはり、何か関係があるのということですか?昔の亡霊がまた貴社を狙って現れたということですか?」と近本が問い直した。

「2通目の要望書が来たとのこと、何を言ってきましたか」と近本から言われ、安西が書面を手渡す。近本がしばらく読んで、「なるほど、大変痛い所をついてきましたね。グループ間の株の持ち合いですか。今回は何等かの回答をすべきですね。いつも先手を打たれています。」続けて近本が、「安西さん、これらの要望についてはどうお考えですか?回答の素案くらいはお持ちでしょうね。」安西がもじもじしていると、真鉄会長が「恥ずかしながら、当社には回答つくれる人材がいません。」と正直に述べる。会長の権威も何もない。自分自身も作れないのだ。ただ、頭を下げて近本を頼るしかできない。実際、トヨタ織機には買い占めに対応できるかつてのMプロのメンバーのようなブレーンはいない。優秀な人材は真鉄氏と安西氏が長く居座るのでさっさとやめている。部長級の上級管理層も育っていない。また優秀な若手は上司からパワハラを受け嫌気がさしてやめている。ツートップは今や全くの孤立無援だ。自業自得で、二人が今までやってきた旧来の経営手法の結果なのだ。

最後に、豊真鉄会長がよせばいいのに、プライべートな頼みを近本に話し始めた。不正発覚後は全て安西にまかせて記者会見にも一切姿を現さず、ただ嵐が去るのを待っていた真鉄氏なのだが、自分の立場については近本に無理難題を言いたい放題だ。これを言いたくて安西に同行してきたのだ。「近本さんに是非とも聞いてもらいたいことがあります。照夫会長にお伝えください。自分の父英一郎はご承知のとおり、貴社の中興の祖と言われています。私はその偉大な父を越えたいと思って今まで父を目標に一生懸命にやってきました。もう少しで父を越えられる所まで来ました。どうかもうしばらくチャンスをください。」真鉄氏は内心で、財界のトップは既に手に入れた。あとは名誉会長だけだ。父のように名誉会長をやるまで今の職を離れられないと思っている。どこにも頼るあてがなく、近本に泣きついた。自分を支えた取り巻きのパワハラ副社長は自分のトップ就任が達成された後、切っていたので今はもういない。自分で解決するしかない。

近本に泣き付き、頼み込んでもどうにもならないのに。近本は真鉄氏の愚かな野望を感じ取った。現職に固執しあきらめきれないのだと。そして、「お伺いしました真鉄会長のお望みは照夫会長にお伝えしますが、かなえられるかどうかはわかりません。私にはそんな力はありません。」と近本が軽く突き放した。口には出さなかったが、この期に及んで自分のことか、会社やグループよりも自分が可愛いのか、なんと嘆かわしいと思った。近本にとっては真鉄氏のことより、大切なグループ企業、トヨタ織機を今後どうするかということしか頭にない。それが照夫会長から近本に託されたミッションなのだ。


結局、トヨタ織機では、二郎の要求に対する回答案を作れず、近本が作成することになった。近本は繊維機械事業はやめられない、グループ発祥の事業だ。照夫会長も決して同意しないだろうと思った。

近本は、照夫会長に報告した。「トヨタ織機の真鉄会長も安西副会長もダメです。自分たちに能力がないのに加えて、人材の育成もおろそかにしてきたようで、買収対応などできるブレーンはいないそうです。真鉄会長自らおっしゃっていました。今、進行中の排ガスの不祥事対応も同じなのかと心配です。二人に解決できるか疑問です。彼らがまいた種です。」照夫会長は困った様子で「そうか、困ったな。そんな状況では彼らに経営を任せられない。」と独り言をささやいた。


そうこうするうちに二郎から第3の書面が来てしまった。2回目の書面での指摘のうち特にグループ株処分の指摘はトヨタにもこたえた。グループ支配の源が崩壊しかねない。グループ結束してEV対応しなければならないこの時に、困ったものだ。というのが照夫会長と近本の本音だ。同社の株価は15,000円になっていた。


『豊真鉄会長、安西朗副会長、藤田公二社長殿

既に2通の書面をお出ししていますが、何等の回答をいただいていません。書面で回答いただけないのであれば直接、お会いしてお答えいただいてもいいと考えています。いかがでしょうか。


令和〇年〇月〇日             株主  吉田二郎  』


二郎はサード・ポイントを見習って、エンゲージメントによる解決を提案した。言い換えれば密談で決着しようという提案だ。トヨタ、トヨタ織機とも、二郎のエンゲージメントに乗るかどうかと迷っているうちに時間を要した。二郎の方では初めからこの案には乗ってこないだろうと予想して第4の書面を用意していた。


この間、近本は何とか先手を打たないといけないと思い、或る結論を考え、照夫会長に進言した。

非常事態に全く対応できないツートップを切ることは当然のこととして、トヨタ織機を吸収合併するか、またはTOPをかけて100%子会社化するのがよいと照夫会長に提案した。近本は照夫会長に2案の違いを丁寧に説明した。端的にいえば、TOBには買収する側のトヨタ自身で巨額の買収資金をつくらなければならない。巨額資金と言っても潤沢なトヨタにとっては可能な額だ。もともとグループで持ち合っていくのだからTOBに応じればお金で戻ってくる。アクティビストを含む少数株主を追い出すための追加資金があれば可能なのだ。2,3兆円くらいか。ただ、織機がトヨタの子会社になるので織機が持つトヨタ株は処分しなければならない。子会社は親会社の株式を取得してはならないという会社法の制約があるからだ。処分してしまったら、結局、トヨタにとって9%の安定株主がいなくなる。

一方、合併はどうか。合併だと資金の必要がない。織機株主にトヨタ株を割り当てれば済む。しかし、トヨタ織機というグループのルーツが消えてなくなる。ただ、何よりも重要な創業の繊維機械事業について株主からいちいち口出しされず、トヨタ自身で継続できる。時価総額でトヨタは織機の20倍以上だ。合併すれば、吉田一也氏の持株は20分の1に薄まる。吉田二郎がトヨタの株主で残ることになるが、0.5%以下の少数株主になり、さしたる影響力はなくなる。そのうち彼は売り抜けて去っていくだろう。近本はこんな説明を付け加えて照夫会長を口説いた。

近本の明晰な説明にもかかわらず、照夫会長は織機と言う創業の会社を残すべきか、それとも究極の買収防衛である合併を選択して織機という会社も社名もなくなってもよいか、悩みに悩んでいた。これは創業家の私にしか決断できない。



こうしているうちに、吉田二郎が4つ目の書面で攻勢をかけた。これが最後になった。


『豊真鉄会長、安西朗副会長、藤田公二社長殿


今回は既に提出した書面での要望に加えて、次の2点の要望をお伝えします。


1. 豊真鉄会長、安西朗副会長および藤田公二社長の退陣を求めます。

理由は2点あります。1つは、ご存じと思いますが、ISSやグラスルイスなど議決権行使助言会社は、政策保有株の保有額が純資産の20%以上の場合、株主総会でのトップ選任議案に反対することを推奨しています。私はこれに従って次回の株主総会で二人の取締役選任議案に反対します。

2つ目の理由は、今回の排ガスの不正問題があり、トップは責任をとって辞めるべきと考えます。引責辞任というものです。すでに不正が発覚して半年以上が経過しましたが、何等の再発防止策も公表されていません。とてもやる気があるとは思えません。


2. 指名委員会にアドバイザーかつ株主代表として私を参加させてください。

豊真鉄会長、安西朗副会長、藤田公二社長に代わるトップ人事につき大株主として参画させていただきます。取締役の候補者としてその人物が適任かどうかを吟味させていただきたいのです。もちろん、最大の大株主のトヨタが参加されるのも歓迎です。従来の密室での役員人事よりも公正でオープンな取締役人事は貴社のためになると思います。


前回までの書簡で、トヨタ・グループの株式を処分してこれで得た資金を会社発展のために使うことを提案申し上げています。PBRの改善にもつながるはずで、一石二鳥の効果があります。それについては何らお答えをいただいていません。再度ご回答をお願いします。私はすでに3度も貴社にご提案申し上げてきましたが一度もご返事がありません。返答いただけない理由を公表していただくか、反対ならその理由をお示しください。今回もご返事いただけないようでしたら、私の従来のご提案と貴社の対応をすべてマスコミに公表しようと準備しています。


残念なことですが私の要求が通らず、最終的に私が貴社から離れるに当たっては、米国テスラン社または中国のBYD社にすべての持株を売ろうと思います。もっとも言うまでもありませんが、貴社が株式を上場されている以上、株主の私がどこに売ろうとも自由です。


令和〇年〇月〇日        株主  吉田二郎  』


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