第22話 排ガス不正の発覚
吉田二郎こと本木二郎がトヨタ織機株の買い始めを開始して半年ほどたった春、同社は社長の安西朗が急遽記者会見を開いた。エンジンの排ガス不正だ。
同社の主力事業であるフォークリフト用のエンジン3機種の劣化耐久試験で、排ガスの有害成分の量に推定値を流用するなど、別の試験の測定値を使う不正があったことを明らかにした。それに該当するエンジンを搭載したフォークリフトのリコールを国土交通省に届け出た。リコールや取引先への補償に必要な費用などとして、207億円の損失を計上するというものだ。安西朗社長とフォークリフト担当の水島陽次副社長が会見に出席して「大変、ご迷惑をおかけしました。」と頭を下げて陳謝した。しかし、一番トップの豊真鉄会長はこんな一大事のとき、一切姿を見せない。雲隠れして泥をかぶらない。すべて、安西社長に「よきに計らえ」だ。
届出を受けた国土交通省は、直ちに行政処分を科すため、聴聞を実施すると発表した。聴聞というのは、国土交通大臣が不正のエンジンに関して道路運送車両法に基づいて型式指定を取り消す行政処分を下す前に実施するものだ。言い分を聞いてやるから述べよという釈明の機会を与える主旨だ。同社は対象のフォークリフトをすでに出荷を停止しているが、型式指定を取り消された場合、再取得するまで販売ができなくなる。
その後、同社は、第三者委員会による調査を行うと発表した。第三者委員会のメンバーは、井田浩史弁護士と松田穂香弁護士という企業法務で名をあげた弁護士だ。トヨタの法務部からの推薦を受けての人選だ。真鉄会長と安西社長はトヨタの推薦だから彼ら弁護士が、手心を加えてくれると思い込んでいる。真鉄会長と安西社長との間では次のような本音の会話が交わされた。真鉄会長が「こんな恥ずかしい話が従業員や一般株主に知れたら大変だ。」と安西社長に話しかけると、「今のご時世から会社から独立した第三者委員会を設置して取り繕わなければならない。そのうえで委員会を何とかしないと。」と安西社長が答え、「何とかおさえられそうかね?」と真鉄会長が言う。どうやら二人は独立公正機関のはずの第三者委員会を抑え込むつもりらしい。続けて真鉄会長が「水島副社長がうまくやってくれるといいが。」と言う。副社長に何やら抑えるための工作を指示しているようだ。しかし、安西社長が「私たちは被告の身。第三者委員会は会社から独立した第三者機関ということなので、私たちからは意見は言えません。」と言う。彼は少しまともで立場がわかっているようだ。「建前はわかっている。減俸は既に発表した。これで何とか時間を稼いでほとぼりを覚ませればいい。うやむやにできるといいが。」と真鉄会長がささやく。これが本音なのだ。
記者会見に対して、マスコミはこぞってトヨタ織機をたたいた。「トヨタの知見がいかされず、評価不正を14年間も見過ごした。法規に定められた手順を踏まなかった不正が長年、見過ごされていた。社内に受け入れていたトヨタの人員の知見も生かされなかった。グループでは、1年前にトラック・バスの大型商用車の日々野自動車で同じような排ガス規制の不正が露見したばかりだ。グループ内で不正が相次ぎ発覚しており、品質への信頼が揺らぎかねない事態になっている。」と報じた。これら報道でいう、トヨタがグループに派遣した人員の知見というのは、かいかぶりすぎだ。実際派遣した多くは、トヨタの社内で使い物にならない問題ある人材やパワハラ人間ばかりだ。マスコミはこの実態を知らない。
トヨタ織機の株価は事件前9,000円台だったものが、この不正の発覚により1週間で7,000円を割り急落した。安西社長の記者会見をテレビで見ていた吉田二郎はこれは大変なことになったと感じた。このままでは、せっせと集めた株の株価が急落する。それを恐れた。父から聞いていた当時の真面目な会社なら、こんな不正などありえない。30年で変わってしまったのか。今は儲け主義、拡大主義が蔓延る会社であるなら、自分が是正しなければならないと決意した。同社の事業のうちエンジンや鋳造は、やがてやってくる電気自動車の時代にはなくなる。代わりにモーターや電池の事業化を早く急がねばならない。この点本当に大丈夫なのか。他の株主や社員のためにも、ぜひこの点を追及し確かめなければと真面目に考えた。
この不正の発覚は、当初抱いた危惧に反して、二郎にとって絶好のチャンスになった。結果として2代目二郎は、思ったより少額の資金でトヨタ織機株を大量に手に入れた上に、その後の株価は、不正にもかかわらず、業績自体は好調であっため2カ月後の決算発表時にはもとの9,000円台に戻っていた。2代目二郎が買い集めていることが、株価の急回復に貢献していたのかもしれない。こうして、夏には1万円を度々超えた。約束していた第三者委員会の調査結果は未だに公表されていない。今後どんな驚きの報告書が出てくるかもしれないというのに一般投資家は無知なのか、無謀なのかと二郎は考えあぐねていた。
不正の発覚から3カ月後の6月、トヨタ織機株主総会が開催された。取締役選任議案で安西新副会長の総会の賛成率は74%に低下した。前年比10ポイントの低下だ。この直前の役員人事で安西は社長を退任して副会長になることを発表していた。ごまかしの社長交代だ。新社長は繊維機械事業担当の藤田公二だ。トップ二人が院政を引くのに最も都合の良い人物が選ばれた。取締役選任を議論することになっている社外役員がメンバーの指名委員会は、どうしてこんな社長人事をしたのか。株主やOBの多くは疑問を感じた。委員会は全く機能していないか、ただのお飾りなのかと思われた。ある一部のマスコミは「このような不正のもと、安西社長が副会長に昇格するのは甚だ疑問だ。」と非難した。
同じ頃、トヨタ電装、愛心はじめ、グループ各社も株主総会を開いた。トヨタ織機のせいで、各社の経営陣が「製造業の信頼性を著しく損なった。」などと謝罪し、信頼回復に向けて再発防止を誓った。地元を代表する企業の不正に、株主からは厳しい声が寄せられた。
それにもかかわらず、トヨタ織機では、株主総会を想定内の質問で切り抜け、株価も順調だったことから社長室で、豊真鉄会長と安西朗新副会長は喜んでいた。「副会長、うまくいったね。社長をゆずってうまく乗り切った。」と真鉄氏が言うと「会長の会長職もそのまま、いけそうですね。来年は名誉会長ですか?」と安西新副会長が相槌を打った。「そうなったら君が会長か。株価も1万円超えだよ。君は何株もっていたかね?」とツートップは自分も大量に自社株を保有しているし、不祥事にもかかわらず、株価がどんどん上がっていくのを見て、株主から信任を得たと大喜びなのだ。
この二人、不祥事の中、株価が上がるのを不思議に感じない。本当の理由に気づいていない。3代前の社長、豊雅年が本木一也にやられたことに懲りて、善後策として築いた自社株買付監視を怠っていた。安心なのか、慢心なのか。時価総額が大きくなって、買収リスクを想定していなかったのであろうか。それともいざとなったらトヨタに泣きついて頼ればいいと甘く考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます