第19話 バブルの崩壊

 トヨタ織機と本木との間の仕手戦は持久戦となり早1年。膠着状態で時間だけが経過した。そこへ経済の変調が突然襲ってきた。絶好調だった日本経済がそろそろ終わりかと噂がささやかれ始め、土地神話に懐疑的意見が出始めた。にもかかわらず、人間の強欲か、皆が右上がりが続くと信じていた。その夢が逆回転し始めたのだ。世に言うバブルの崩壊。皆が夢から覚めた時、すべてに終わりがやってくる。

余りにも加熱するバブル経済を見て、とうとう政府が総量規制に走った。大蔵省が行った総量規制で銀行の不動産向け融資が沈静化し、地価が大幅に下がり始めた。これによってバブルが崩壊が始まった。それまで土地神話のもと、決して下落することがないと言われた地価が下落に転じ、以後10年以上にわたり21世紀を迎えても公示価格は下がり続けた。総量規制のほか、公定歩合の引き上げ、地価税の導入などの政策も同時に執り行われた。総量規制は銀行が貸せる金銭の上限を定めた政策だ。公定歩合は日本銀行が企業(主に銀行)に貸す金銭の利息のこと。これを引き上げると借り入れをしにくくなる。景気を冷やす効果がある。また地価税の導入により日本の土地を所有すると税金が課せられるようになった。政府がこれらの政策を行った目的は、過剰な地価の高騰を抑えるためであった。しかし、想定よりその効果は過大となった。政策により土地を購入する人が減り、土地の需要が下がり、その結果、株価が暴落した。効きすぎたのだ。政府の予想を大きく超える急激な景気の後退が起きてしまった。ソフトランディングでなく、ジェットコースターのような急降下だ。歯車が急速に逆回転し始めた。

現在、中国で起きていることと同じ不動産不況を想像するとわかる。日本は中国の先輩格だ。中国では大都市でも地方でも至るところにマンションが建設され、住んでもいないのに、実際の需要以上に投資用のマンションが立ち並んだ。私たち日本人はこの光景を見て、バブルではないかという疑念を持ち続けていた。中国の不動産バブルは、いつかは弾けると疑っていた。冷静な第三者の目で見るとよくわかる。巨額の負債をかかえた恒大、碧桂園など不動産グループが、そしてさらにそこへ融資している金融機関や地方政府が今後どうなるか、注目すべきである。中国の不動産不況はまだ、始まったばかりかもしれない。 


日経平均株価は、1989年(平成元年)12月29日の大納会に、終値の最高値38,915円87銭をつけたのをピークに、翌1990年(平成2年)1月から暴落に転じ、同年10月1日には一時20,000円割れとなった。わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。1993年(平成5年)末には、日本の株式価値総額は1989年末の株価の59%になった。

その後、大手金融機関の破綻があり、銀行救済のために公的資金の資本注入が実施された。その枠は、1999年12月には70兆円にまで積み増された。バブル崩壊後すぐに、損失補填、利益供与、巨額損失の隠蔽など隠れていた金融機関の不祥事が相次いで発覚した。

政府は当初、大手金融機関は破綻させないという方針を取っていた。しかし、1995年ごろより「市場から退場すべき企業は退場させる。」という方針に転じた。1997年から1998年にかけ、北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、山一證券、三洋証券など大手金融機関が、不良債権の増加や株価低迷のあおりを受けて次々に倒産していった。

 

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