第10話_Cパート_迷いと声の向こうにあるもの

 報告会の会場は、熊鷹高校のメディアホール。普段は格納されている大型スクリーンや補助の小型スクリーンも開放されている。

 無機質な白い壁に、天井から吊るされたスクリーンが、地球と火星を一時つないだ記録を静かにループ再生している。


 映像が切り替わるたびに、うっすらとしたざわめきが会場を満たす。

 そこには、数日前まで彼らの間で栄光と興奮の象徴だった火星のイメージが、どこか――“投資の敗北”というフィルターをまとって映っていた。


 壇上ではアン先生が、淡々と英国グレースカレッジでの活動をまとめている。

 プレゼンは完璧だ。どのエピソードも生徒の成長を、国際交流の意義を、事実として語る。


 しかし、反応は鈍い。


 投影された映像のなかで、笑顔のサラが「エリナ、見てる?」と手を振る。

 その横で、ミロが何気なく交わす「通信こそ、火星の生命線」という一言が、妙に突き刺さる。


 アン先生の声が、質疑応答の時間を告げた。


 会場の空気が変わる。


 最初の質問は、子どもの経験を讃える言葉で始まったが――

 その二つ目の問いが、空気を冷やし切った。


「……火星の投資で損失を被った方が周囲にいまして。

 今回の留学に、火星関連の要素を入れたことに教育的価値はあったのでしょうか?

 グレースカレッジは火星支援の推進に力を入れているとのことですが、むしろ今後火星の活動は縮小するのでは?」


 一瞬の沈黙。

 誰も答えない。


 エリナの背筋がぴんと伸びる。

 でも、言葉が見つからない。


 かわりに、司が口を開いた。

 立ち上がりはしない。ただ、前を見たまま、明瞭に。


「火星の未来がどんな姿になるか、僕たちにはわかりません。

 けれど、“わからない”を理由に、問いかけすらやめることは、きっと違うと思います」


 視線が向く。

 言葉を探す視線も、斜め下を向いていた鈴音の顔も、少しだけ上を向いた。


「たとえば、先ほどの活動報告で話された自衛と外交の話題のように。

 答えにくい問題ほど、語ること、学ぶこと自体の意味が大きいのではないでしょうか。

 僕たちがこの留学で得た最大の学びは、“向き合う勇気”です」


 しばらくの沈黙のあと、拍手がひとつ起きた。

 それが何人かに伝播する。けれど、全面的な同意ではなく――せめて評価しよう、という熱量。


 静かに、アン先生が一礼し、報告会は終わった。


 最後まで後片付けをしていた司、エリナ、鈴音が廊下に出ると、来客が待っていた。

 英国グレースカレッジからの来賓に同行していた、火星圏支援プロジェクトの民間外交担当者。

 パスには「火星圏青少年交流局」とある。


「失礼します。みなさん、短期滞在中に火星圏への中継協力や議論での発言、大変印象的でした」


 にこやかな日本人女性だが、その目は静かな炎を湛えている。

 書類を一枚ずつ三人に渡しながら続ける。


「次期フェーズでは、ジュニア観測官という形での協力をお願いできればと考えています。

 あくまでオンラインでの、模擬的な関与から。

 ただし、将来的には現地協力の形も視野に――」


 鈴音が小さく息をのんだ。

 その瞬間、彼女の中で何かが崩れ、同時に積み上がる音がした。


「……火星の件、わたし……」

 言いかけて、止まる。


 代わりに、彼女の指がスマート端末の画面に映る動画の一部に触れた。

 そこには、彼女がDTNの仕組みについて何気なく口にした言葉と、それにざわつくコメント欄が映っていた。


「何を崩したのか、まだわからない。

 でも、少なくとも……“呼ばれた”ってことは、まだ何かを築ける余地があるってこと、だよね?」


 誰にでもなく言った言葉に、司が頷いた。


「どんなカタチであれ、学びと語りを続けられるのなら、火星の件、僕はやりたいと思う」


 エリナは何も言わず、書類を見つめていた。

 その視線の奥にあったのは、過去の火星投資のことで沈黙する父の背、そして、かすかな罪悪感。


 でも──


「私は、火星、このまま終われないって決めてた」

 そう言って、書類をそっと胸に抱えた。


 夕刻。生徒玄関で別れる直前。


「他の皆にも配られてたみたいだけど、それぞれの答えは……まだ出ないかもな」

 司の言葉に、鈴音が応じた。


「でも、問いの形は、この旅で全然変わった気がする」


「火星の話、関わりはしても、私たち、何かできるのかな。ただの高校生で、受験もあるし…その後だって」

 エリナの問いに、誰もすぐには答えなかった。


 沈黙のまま、最初に一歩を踏み出したのは鈴音だった。二人も続いたが、言葉は続かなかった。

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