あなたはズレている

ロゼ

第1話

 社会には報連相の定義があり、報告や連絡、相談は当然のことであり、会社にはそれに加えて、担当が変わる際に引き継ぎというものが発生する。


 現在私の目の前で行われている行為がその引き継ぎなのだが、この引き継ぎ、普通では考えられない。


 別れた元彼が、私と現在の彼氏を呼び出して私についての引き継ぎなんて普通なはずがない。


◆◇◆


 私と元彼の出会いはSNSだった。


 可愛い小物や雑貨、美味しいスイーツが大好きな私に度々絡んできてくれたのが元彼『トモキ』で、スイーツの好みが驚くほど一緒で意気投合した。


『トモキ』なんて名乗っているけどもしかしたら女の人かもしれないと思っていた私は、個人的にやり取りをしようと誘われると二つ返事でOKした。


 実際に個人的なやり取りを始めてみると彼は男性だったが、話す内容は毎回スイーツの話ばかりだったため、私の中では男性というよりも女友達と会話をしているような感覚になっていた。


 彼と私は隣同士の県に住んでいて、彼の住む県には美味しい上に映えるスイーツのお店が多く、またその店を彼は網羅していたため、スイーツ巡りと称して度々会う仲に発展した。


 会ったところで私の中で彼の立ち位置が変わることはなく、彼も特に私を異性として意識しているとも思わなかったため、月に一度の頻度で会うようになっていった。


 そんなある日、彼に「話がある」と通話に呼び出され、「好きなんだ」と告白された。


 私の中には彼へ対する気持ちは全くなかったためお断したのだが、「これまで通り付き合って欲しい」と懇願されて改めてスイーツ仲間として友達になることになった。


 私としてはふってしまった手前気まずさがあったのだが、彼は至って普通で、まるであの告白がなかったことのようにすら感じるほどだった。


 それからも私達はスイーツ仲間としてあちこちの店に行き、それまでと変わらない関係性を築いていたのだが、あの告白から一年後、彼に再び告白をされた。


「何度も諦めようと思ったけど無理だった。大切にするから付き合って欲しい」


 彼の真剣さが伝わり、好きという気持ちとは違う何かが芽生えていたため二度目の告白はOKした。


 そうして私達は付き合い始めた。


 彼氏となったトモキはマメに連絡をくれるため、毎日欠かさずあれこれ話をし、それまではスイーツの話しかしなかったのが嘘のように趣味の話や好みの曲の話など、とにかく色んな話をした。


 大切にするという言葉の通り、彼は度々私のアパートを訪れては「男飯」ではあったけど手料理を振舞ってくれたり、あちこち連れ回してくれた。


 でもある時から気付いてしまった。


『彼は私を見ていないのでは?』


 その疑問は彼が作ってくれる手料理から始まった。


「ミサの好きなパスタを作ってみたよ」


 ある時そんなことを言われ、出てきたパスタは私の苦手な野沢菜が使われていた。野沢菜が苦手なことは散々彼に話していたはずなのに。


「私、野沢菜苦手なんだけど……」


 そう呟いた私の声など彼は聞いておらず、私は渋々そのパスタを口にし、何とか平らげた。


「今日はミサの好きな煮物を作ってみたんだ」


 煮物が好きだなんて一度も言ったことはないのに、彼はにこやかにそう告げると、里芋とイカの煮物をテーブルに並べた。


 そこには野沢菜の漬物も添えてあり、さすがに「私、野沢菜苦手だって言ったよね?」とハッキリ彼に告げたのだが、彼は「好み変わった?」と取り合ってくれなかった。


 そのうち「ミサの好きな色でしょ?」と水色のシャツやバッグを贈ってくるようになったのだが、私は特別水色が好きというわけではなかった。


 このことを私とトモキの共通の知人のカンナさんに相談したところ、彼女の口から思いもよらぬ言葉が飛び出した。


「トモキくんね、多分ミサちゃんに初恋の彼女を重ねて見てるんだと思う」


 トモキには十代後半に好きになった初恋の君がおり、その人が私と瓜二つなのだと彼が嬉しそうに話していたそうだ。


「声も顔も仕草も何もかもが彼女とそっくりなんだ」


 この言葉を聞いたカンナさんは


「ミサちゃんとその人は全くの別人だよ? もしもミサちゃんにその初恋の人を重ねて見ているとしたら、それはミサちゃんにとっても失礼なことだよ」


 と苦言を呈してくれていたそうだが、きっと彼はその初恋の人と私を同一人物として見ているんじゃないだろうかと思えてしまった。


 そう思うと彼の言動には辻褄が合うことが多く、私を通して別の人を見ている彼のことが段々嫌になってきた。


「別れよう」


 そう言うと彼は泣きながら私にすがりついてきたけど、私は彼を拒絶した。


 すると彼は「それでも諦めない!」と言ったのだが、私は彼との連絡を全て断ち、彼のことを忘れることにした。


 それから半年後、仕事先の付き合いで知り合ったハルトから何度も口説かれた私は、ハルトと付き合うことになった。


 付き合い始めて二週間ほど過ぎた頃、ハルトが私に「ねぇ? トモキって、元彼だよな?」と聞いてきた。


「……そうだけど、何?」


「そう睨むなって。いやさ、多分元彼だと思うんだよな、こいつ」


 彼がスマホの画面を見せてきたのだが、そこにはあのトモキがいた。


 彼のSNSにコンタクトを取ってきたトモキは「どうしても二人に話したいことがある」と何度もしつこくメッセージを送ってきている。


「何これ……怖いんだけど」


「無視してりゃいいかと思ったけどさ、そいつ、ミサんち知ってるだろ? 無視を続けたらミサんとこに行きそうじゃん」


 付き合っていた頃から私のアパートは変わっていないため、本当に来る可能性も考えられた。


 でもそうなったら通報するだけ。


「話をしてそれで終わるならその方がいいんじゃね?」


 ハルトにそう言われ、私達はトモキに会うことを決めた。


 約束の日、トモキは私達より早く待ち合わせしていた喫茶店にきていて、私を見ると輝くような笑顔を浮かべたのだが、隣のハルトを見るなりその表情を一変させた。


 睨み付け、怒りを顕にしたその顔は私の知るトモキとは全く別人で、恐怖すら覚えた。


 事前に「何かあったら即通報」とハルトと約束をしていたため、私はスマホの画面を開き、スマホを握ったまま席に着いた。


「で? 話って何? もう別れてるんだから、あんたとミサは無関係だよね?」


 ハルトがそう言うと、トモキは私の方を見て微笑み、その後ハルトを睨みつけた。


「お前がミサを幸せにできるとは思えない! でも、ミサがお前を選んだなら、それは仕方がない。だから、ミサに関する事柄を引き継ぎしようと思ってここに来た」


 言っている意味が分からず、私はポカーンとしてしまったのだが、それはハルトも同じだったようだ。


「……正気か? 引き継ぎって何だよ。意味分かんねえんだけど?」


 ハルトが呆れ顔でそう言ったのだが、トモキは真面目な顔をしている。


「奇しくも俺とお前は同じ女性を好きになった。でもお前はミサのことを何一つ知らない。それだとミサは幸せにはなれない。だからこその引き継ぎだ」


 大真面目な顔をして奇妙なことを言うトモキが怖い。


 普通、恋人同士になれば時間をかけながらお互いを知っていくものではないのだろうか?


 私は物でも何でもなく、人間であり、元彼から現在の彼氏に引き継ぎしなければならないような特殊な事項は一切ないはずだ。


「いや、意味が分かんないんだけど? あんたから引き継ぎされなくたって、これからミサのことを知っていけばいいだけだろ?」


 すこし怒りのこもった声でハルトがそう言ったのだが、それをトモキは鼻で笑った。


「やっぱりお前はミサのことを何も分かっちゃいないな。ミサは繊細で、ガラス細工のような女性なんだ。お前が雑に扱って、ミサが傷付いたりしたら、俺はお前を許さない」


 その後もハルトとトモキは話を続けたのだが、引き継ぎはトモキの中では決定事項のようで、埒が明かないためトモキの提案を渋々受け入れることにした。


・ミサは野沢菜が好物で、特に野沢菜を使ったパスタが好みだから、時々作ってあげろ。


・ミサは甘いイカの煮物が大好きだから、それも作ってやるように。


・水色が好きだからミサには水色を着せるように。


・ミサはうっかり屋なところがあるため、ある程度生活や行動を管理してやるように。


・スイーツが大好きで、可愛い小物にも目がないため、月に一度はそういう店に連れていくように。


 全て言い終わると名残惜しそうにいなくなったトモキだったが、引き継ぎ事項の最後しか私に当てはまるものはなく、この時間は何だったのだろうと二人で顔を見合せた。


「まだ付き合って二週間の俺ですら、ミサが野沢菜苦手なこと知ってるのに、あいつ、何なの?」


 ハルトが疑問に思うのは当然だ。


 私は付き合っていた頃の話やカンナさんに聞いた話をハルトに告げた。


「いかれてるのか、あいつ?」


「……いかれてるっていうか、ズレてる?」


「あいつとは二度と関わんなよ?」


 言われなくとも関わる気などない。


 その後、ハルトの強い勧めもあり、アパートを解約し、ハルトのアパートの近くに部屋を借りた。


 ハルトのSNSには時折トモキが現れるため、アカウントは鍵をかけた。


 その後の彼がどうなったのかは知らないけれど、きっと今でも初恋の君の幻を追いかけているのだろう。


 そんなに好きなら、幻など追わずに、振られ続けようが初恋の君にアタックし続けた方がいいだろうに、そんなことにも気付かないのだから、人として完全に狂っているし、人の枠からズレているのだと思う。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたはズレている ロゼ @manmaruman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ