第16話


 たった一発、それもばら撒かれた一発がたまたま命中したもの。しかし魔王の頭部に命中したその一発は、それまでとは大きく反応を異にするものだった。


 「……!!」


 被弾した頭蓋に手を当て、魔王は苦悶の叫び声をあげた。指の隙間からは血とは似ても似つかぬ、粘度のある黒い液体がしたたり落ちていた。他の体の部位とは違い、頭部のその部分、先ほどバートラムが勇者の防具で殴りつけた所だけが、再生が遅れていた。


 「カタリーナ、再装填!!」


 バートラムのマグポーチに残されていた炸裂弾のマガジン、その最後の一本をカタリーナは引き抜き、バートラムが構えている小銃に挿されている、空になった物と交換する。チャージングボルトを引き、射撃を続ける。


 ダメージを負ったことによって防御が疎かになってしまっていたのか、振り回される影に精度は無く、より多くの弾丸が命中し、いくつもの小爆発が起きる。


 「よし、今のうちに……!」


 逃げ切れるかもしれない、そんな希望はすぐに打ち消された。


 「グ………ァ!!!」


 叫び声をあげながら魔王が腕を一閃すると、纏わりついていた炸裂弾の爆煙を振り払うだけでなく、空気を痺れさせるほどの衝撃波が腕を振るった先の扇状に広がり、石造りの内壁を震わせた。


 振り払われた煙の先から現れた魔王の顔は、肉が盛り上がる様にして元通りの形を取り戻していく。炸裂弾によって抉られた頭部もすぐに影に覆われてしまっていた。そこから表情は読み取れないが、紛れもない殺意が二人に向けられていることだけは強く感じられた。


 「……」


 先ほど迄の反応に、もしかしたらと言う期待をしてしまっていたバートラムもカタリーナも、動けずその場に固まってしまっていた。カチリ、カチリと弾切れを起こしている小銃の引き金を引く続ける音だけが響いていた。


 魔王が二人に向けて一歩を踏み出した。硬質な足音は消え去り、沼に足を踏み入れているかのような粘度のある音が響き、一歩、そして一歩と近づいてくる。


 「カタリーナ……」


 そう、バートラムがカタリーナに話しかけた。彼女の肩に回していた腕を外し、痛む足を何とか床に付けた。すでに脳内物質は順応してしまい、左足からは鋭い痛みが走ってきていた。


 「……俺を連れては、二人共は助からない。合図したら、走れ」


 「そんな……! 置いて行く事なんて……」


 「プロとしての判断をしろ。命令だ。ディミトリウスを頼む」


 グッと奥歯を噛みしめる音が聞こえた。それが二人のどちらから響いたのかは分からない。


 「……走れ!」


 その合図と共にカタリーナは階段を駆け下り始めた。そしてバートラムは今まで来た道を、今まさに向かってこようとする魔王に向かって駆けだし始めた。一歩踏み出すたびに左足からは熱いものが噴き噴き出す。頭が真っ白になりそうな痛みを何とか耐え、更に前へ。


 魔王も接近してくるバートラムに向かって影を躍らせる。直線状に進むものもあれば、蛇行しながら迫るものもあったが、その狙いはたった一つ。狙いさえ分かれば、痛む足でもなんとか身をかわしながら進むことも出来た。


 しかし、近づくにつれて密度の増していく影にその全てをかわし切るという余裕もなくなり、やがてその身を切り裂いてくるものが現れ始めた。胴体を狙ってくるものはケブラー繊維のチョッキが少しばかり軽減してくれるものの、そうでない部分や皮膚が露出している顔や手は、血にまみれ表皮がめくりあがり、黄色い脂肪さえ露出するほどだった。


 それでもバートラムは歩みを止めない。彼は大きく右腕を振りかぶると、その手に握ぎったままだった勇者の兜を大きく振り上げ、魔王めがけて振り下ろした。狙いはダメージが蓄積されているであろう頭部。


 だがその攻撃は魔王に寸前でぴたりと動きを止めた。まるで魔王を守る様に影が延び、振り下ろされた兜を飲み込む様に受け止めてしまっていた。魔王が表情も読めぬ影の向こうで嘲笑わらったような声を出した。足止めにもならない、取るに足らない攻撃だとでもいう様に。


 その様子を見て、バートラムは切られ歪んで血の滴る唇を大きく釣り上げた。バカはお前だという様にその顔を魔王に見せつけながら、兜の内部に仕込んでいた、自決用の焼夷手榴弾のピンを引き抜いた。


 なにが狙いだったのかを悟った魔王が、慌てて影に飲み込みかけていた兜を投げ捨てようとするが、時すでに遅かった。閃光が瞬くと、バートラムも魔王もその身を白い炎に包まれ、灼熱が周りを覆った。


 そして何よりも、超高熱を発する化学反応が、神の祝福を受けた勇者の兜を融解させ、魔王の体を侵食するように溶けだしていく。


 バートラムの視界の先では、もだえ苦しむ魔王の姿が見えた。勇者の兜、それは既製品に祝福が掛けられているわけではない。素材そのものからして祝福を受けているものだ。そんな代物が融解したものを浴びせかけられているのだ、ただで済むものでは無い。


 とどめは刺せずとも、彼女らが逃げる時間は稼げるはずだと悟りながら、その瞳が焼き尽くされるまで、バートラムは魔王を見続けていた。

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