第15話
近づいてくる足音は、床の絨毯を踏みしめてなお硬質に響いていた。とっさに勇者が安置されている棺の裏へと隠れ、息を潜めた。
バートラムは自分の判断ミスを悟った。すぐに部屋を飛び出して逃げ出すべきだった。今この状態、勇者一行によって軍勢が壊滅させられて尚、この城で聞こえる足音の主は一人だけだった。
自身の予想が間違っていなかったことはすぐに分かった。扉を軽く押す音が部屋に響く。魔王は困惑しているようで一歩部屋の中に踏み込むのをためらっている様だった。それもそうだ、掛けていたはずの鍵はまさにバートラム自身が壊したのだから。
警戒しながら魔王が部屋の中に踏み込んできた気配が、棺の裏からでも分かった。魔王からは月光に照らされた勇者の死骸が目に入るはずだが、そこに異変が無いことは一目でわかったようで、すぐさまタブレットの近くに歩み寄る。
タイミングはその瞬間しかなかった。バートラムはとっさにカタリーナに目配せし、隠れていた棺に手をかけ、渾身の力をかけてそれを横倒しにした。台座ごと倒れた勢いで鎧姿の勇者がゴロゴロと棺から転げ落ちる。
「カタリーナ! 息を止めろ!」
突然のことに硬直している魔王を尻目に、バートラムは起爆装置のスイッチを押し込んだ。灼熱がタブレットに近づいていた魔王ごと飲み込む。横倒しになった棺を盾にして、迫りくる熱と爆轟を何とか回避する。室内の酸素が一気に消費され、鼓膜に痛みが走るが、気にしている暇はない。
「今だ!走れ!」
立ち上がってカタリーナの背中を叩き、扉に向かって駆けだす。視界の端に火だるまのまま悶え苦しむ影がチラついた。ボロボロと炭化しながら、影が二人を狙って伸びてくる。バートラムはとっさに勇者と共に転がり落ちていた兜を右手で拾い上げ、そして走っている勢いそのままに、魔王の頭を狙って思いっきり振り抜いた。
鈍い水音にも似た音と共に、纏っていた影なのか、それとも頭蓋の一部なのかは分からないが、くすぶった破片が飛び散り、伸びてきていた影はその軌道を明後日の方向へと変えた。だが、身を守るための攻撃とはいえバートラムは魔王に近づきすぎていた。
「ぐぅっ!」
燃え盛る劫火を、魔王を殴った勢いのまま走り抜けようとしていたが、伸びていた影の一部、彼の心臓を狙っていたはずの炭化した刃が、バートラムの左足を切り裂いた。転げるように扉を抜け、床に崩れ落ちる。
「バートラム!?」
一足先に部屋を抜け出していたカタリーナが駆け寄り肩を貸す。
「すまん! 走れ!」
血の滴る左足から脳に向かって伝えられている電気信号は、興奮状態から出ているアドレナリンのせいでほとんど感じてはいないが、どうしても負傷した筋肉は力が入りづらくなっており、引きずるような形になってしまう。それでも精いっぱいの力を振り絞って階下を目指して走った。
「よし、通信が回復している。帰れるぞ」
チラリとタブレットを確認してみれば、圏外表示だったものからアンテナマークが数本立つほどに変わっていた。しかし、今この場に転移用の扉を呼び出す時間は存在しなかった。
「…………!!!!!」
そんな彼らの後ろで、耳をつんざく絶叫が響いた。走りながら振り向けば、煙を噴き上げる扉の奥から、ボロボロに炭化した体の一部を床にまき散らしながら魔王が飛び出してきた。その腕には床に転がってしまっていた勇者の死骸を抱きかかえ、二人を探すような素振りが見えた。
魔王はすぐに床に滴っていたバートラムの血液に気が付いたのか、二人に気づき、滑る様に駆けだした。ボロボロと崩れ落ちる影の奥では、すでに再生が始まっているのが見て取れた。
焼夷手榴弾で多少なりとも、せめて足止めできる程度の時間が稼げるかとわずかに期待したが、魔王の持つ回復スピードがバートラムらのそれを上回っていた。
「くそ、早い!」
足止めにもならないと分かりながら、バートラムは左手一本で小銃を構える。彼の体を支えるカタリーナは銃を構えることは難しかった。こんなことなら炸裂弾を装填しておくべきだったと今更になって思うが、それでも引き金を絞ってカルシウム弾をばら撒いた。乱射された弾丸はやはり影によって阻まれ、白い粉末を舞わせるだけに終わる。
撃ち終わったマガジンをカタリーナが手伝いながら炸裂弾が充填された赤いテープの物に変えて、続けざまに引き金を絞った。さすがに魔王も学んだようで、影を縦横に振り回すことによって、その体に到達する前に影を身代わりにして銃弾を防いでいるようだ。空中でいくつもの小爆発が生じていた。
それでも完全に防ぎきれるという事はなく、運のよいものが数発、振り回される影を通り抜け、魔王の体に吸い込まれていく。それでもやはり致命傷などとは程遠い、少しばかり仰け反らせる程度のダメージしか与えられていないように見えた。
しかし、一発だけ、たった一発だけ。他と反応の違う瞬間が現れる。
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