第10話
蹴り破った扉をくぐって納屋の中に入る。当分の間使われていなかったのだろうか、埃とカビの匂いが立ち込めていた。
それでも贅沢などは言えない。バートラムが納屋の中央にあった作業台にディミトリウスを寝かせると、ファーストエイドキットの中から包帯を取り出して、切り落とされた左腕の断面に押し付け圧迫する。くぐもった悲鳴が納屋の中に響いた。
キットに付属されている
カトリーナが滅菌されたゴム手袋を付け、バートラムもそれに続く。ここまで来る途中にカトリーナが施していた簡易的な圧迫止血の代わりに、同じようにキットから取り出した止血ベルトを腕に巻き付けると、血流を止めすぎて壊死をさせないように気を付けながら、締め付けを強めていく。
「カタリーナ、しっかりディミトリウスの体を押さえつけておいてくれ」
ある程度出血が止まったのを確認したら、左腕の切断面に水筒の水を浴びせて洗浄、続いて抗菌成分を含ませた消毒液を吹きかける。鋭い痛みが走ったのだろう、ディミトリウスの額から脂汗が止めどないほど流れ手足を大きく動かそうとする。慰めの言葉の一つでもかけてやりたいところだったが、そんな余裕は治療を行っている二人とも持ち合わせていなかった。
最後に
窪地から脱出したバートラム一行は結局街道沿いまで降りることにし、廃墟となって朽ち果てる寸前の農家の納屋に飛び込んでいた。現地住民たちと邂逅するリスクはあったものの、それ以上に容体の悪化するディミトリウスの治療を優先させるためだ。運が良かったのか、それとも魔物の餌になっって久しいのか、誰とも遭遇することはなかった。
「カタリーナ、ご苦労だった。何とか時間は稼げそうだ」
電解液の入った液体バッグを柱に引っ掛けながらバートラムはカタリーナにそう声を掛けた。液体バッグから伸びたチューブはディミトリウスの首筋に伸びている。失った血液、
「……ええ、それでもずっとこのままとはいきませんね」
あくまで彼らが施した治療は初期治療にしか過ぎない。本当ならば後送、しっかりとした治療施設へとすぐにでも運び込まねばならない状況だ。
「このまま、山越えをして通信ができるところまで移動しますか?」
任務の一つ、観測班員たちの回収、と言うよりも痕跡の消去は果たした。そして、堕天した勇者に対してだが……。
「……持ち込んだ装備では、現状任務の続行は不可能だ。確かに君の言う通りここは一度天界へ撤退をすることに異議はない」
対勇者用の炸裂弾。たった一つの切り札が通用しなかったとなると、もはや彼らになす術はない。殺害任務を続けるにしても、体勢を立て直さなければいけないのは傍から見ても明らかだったが、バートラムはしかし、と言葉をつづけた。
「山越えをしたとして、通信が回復しない可能性がある」
バートラムが続けて言うことには、当初電波障害の原因は地理的な要因かと考えていたが、観測班員の電子機器が奪われている事、それもそれだけを狙ったかのように奪っているのは余りにも不自然だったということ。
「そして何より、俺たちがここに来る前、ここの世界に先に入っていた観測班員のバイタルデータは天界に送られてきていた。もし地理的要因なものだったら、俺たちよりも先に観測班員たちが同じ状況に陥っていたはずだ。この世界に侵入した時点で気が付くべきだった……。おそらくこの電波障害は人為的な物だ」
その説明を聞き、カタリーナも何で気が付かなかったのかと顔をしかめると、苦々しく口を開いた。
「私たちも閉じ込められたわけですね、観測班員たちと同じように。この世界に」
「妨害用の周波数はおそらく奪われた観測班員のタブレット、それが発信源になっている……。こんなことに気が付かなかったなんて、俺はなんて大馬鹿野郎だ」
納屋の柱に体を預けて座り込んでいるバートラムが、そう呟いた。カタリーナに聞かせるだけではなく、自分自身の思考を整理し、なによりも落ち着かせるために口に出して話しているのだろう。
バートラムは天を仰ぎ、一つ二つと深呼吸し、三度目で長く息を吐き終わるとその顔をカタリーナに向けた。その顔からはいくらか疲労が見られるものの、その充血しかけた目は未だに力強かった。
「脱出するには、あのタブレットを破壊しない限り無理だ。幸いどこにあるかの目星は凡そ付く」
そう、おそらくはあの堕天した勇者が今では居を構えているであろう場所。
「……魔王の城」
「そうだ、帰るにしても、ディミトリウスを救うにしても、行くしかない」
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