第42章「初雪とハンカチ」

 11月15日(水)朝。

 潮守灯台の前には、真っ白な世界が広がっていた。

「……うわぁ……」

 手袋を外した有紀の指先が、灯台の手すりに触れた。

 そこには、薄く氷が張っていた。

「まさか……初雪、降るとは……」

 吐く息が白い。空は静かに曇っていて、潮風が雪を巻き上げるように吹きつける。

 朝7時前――有紀は灯台にいた。

 昨晩のグループチャットで「雪かもしれない」という鮎美の一言に、誰よりも早く反応したのが雄大だった。

「……凍結してたら、滑るよな……」

 雄大はすでに階段を上がりきり、手すりの状態を確認していた。

 作業用の長靴に、防寒パーカー、そしてニット帽。

 その姿は、いつもより少し年上に見えて――有紀は思わず足を止めた。

「おはよう」

「お、おはよう……寒いね」

「うん。でも……」

 雄大は、手すりの霜を指でなぞった。

「こんなふうに、白くなるんだな。……灯台って、冬も絵になるな」

 静かに見下ろす海岸線には、薄く雪が積もっている。

 足跡ひとつない砂浜が、朝の光を受けて銀色に光っていた。

「……ねぇ、手、冷たくない?」

 有紀がふと尋ねた。

「うん、まぁ。でも凍ってるとこ素手で触ったらちょっと痛……」

 そのときだった。

 雄大が手すりを握った瞬間、つるっと滑って指を打ち――

「っ……くそっ、切った……」

 指先から血がにじんだ。

「ちょっ、バカ! なんで素手で触るの!?」

「いや、思ったより冷たくて……」

「ってもう、はいっ!」

 有紀は慌てて自分のポケットを探り、花柄のハンカチを取り出した。

「……これ、使って」

 雄大は驚いたように目を丸くし、それから照れたように笑った。

「……悪い」

「もうっ……ちゃんと軍手してきてって言ったじゃん……」

 声が震えたのは、怒りよりも驚きと心配が混ざっていたからだ。

 雄大の手を包むようにしてハンカチを巻きながら、有紀は小さく息を吐いた。

「……ほんと、心配させるんだから」

「ごめん」

 雄大の声は、いつになくまっすぐだった。

 そして、沈黙。

 雪の中、二人だけの時間が流れていく。

 ハンカチに滲む赤い点。それをじっと見つめながら、有紀は口を開いた。

「……このハンカチ、好きだったんだよね。もう、使えなくなるかな」

「洗えば……落ちると思う」

「そうじゃなくて……」

 一瞬だけ、風が止んだ。

「今日のこと、たぶん忘れられないから。……汚れも、跡も、残ってていいかなって」

 そう言ったあと、有紀は自分で恥ずかしくなり、うつむいた。

 けれど、雄大はその言葉に、何も言わなかった。

 ただ、包帯代わりのハンカチをもう一度確かめるように見つめ、手を握りしめた。

「……ありがとな」

 その言葉だけが、雪の中で確かに残った。

 灯台の上。

 真冬の予感と、温かな沈黙が、白く煙る息の中で交差した。

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