第3話

「ええええっっ!!」

 なんとなく身体が軽いので若返った気がしていた。

 ウエストは両手で掴めそうなくらい細く、髪の毛の金髪ロングになっていると思ってはいたけれど。

 ここまで変わっているとは思っていなかった。

「別人じゃん…」

 いや、まあ、そうか。ベアトリス・レイヴンズクロフトという侯爵夫人になっているらしいんだから、こんなものなのかもしれないが。

 それにしたって、美人過ぎる。細過ぎる。若すぎる。

 ただ、若い…というのは、私に比べてだ。たぶん、三十歳は越している。

 にしても美人だ。

 落ち着いた金色の髪は豊かでふっさふさの巻き毛で、毛量が減って来たうえに増えて来た白髪に悩んでいたことを思うと、涙が出るくらい嬉しい。

 肌は白く滑らかで、皺一つない。

 鏡に近付いても皺がないと分かるくらい、目も見える。

 老眼が進みつつあった私は、近くのものも遠くのものもよく見えなくなっていた。

 鏡を覗き込むその瞳は深い緑色で、つけまつげでもつけてるんじゃないかっていうくらい、もさもさに生えている睫が、気怠げな印象を与えている。

 小さな顔。すっと通った鼻筋。上品な薄い唇。

 美人だ。

 鏡の自分に見蕩れて、ほう…と感心していると。

「奥様!奥様!大丈夫ですか?」

 向こうの部屋から声が聞こえて来た。マリーじゃない。若い女性の声だ。

 誰だろうと思って、浴室から顔を覗かせると、マリーと同じ黒いワンピースを着た二十歳過ぎくらいの女の子がいた。

「奥様!どうかされましたか?今、叫び声が…」

 どうも私の叫びを聞いて、駆けつけてくれたらしい。誰か分からないけど、メイドだろう。

「驚かせてすみません。なんでもないので…」

「え?」

「……」

 悪いことしたなと思って謝ったのだが、若いメイドは顔を引きつらせて固まった。

 うーん。さっきも執事のトーマスに同じような反応されたな。

 つまり…性格…いわゆるキャラが違うのかもしれないな。

 ベアトリスはどんな感じなんだろうか…?

「…いいから。下がって」

「あ、はい。失礼致しました!」

 もしや、高飛車系?と思って、冷たく言ってみると、メイドはどこかほっとしたような表情で頭を下げた。

 そそくさと下がって行くの確認し、もう一度浴室へ入る。

「うーん…」

 鏡に映る自分の顔…まあベアトリスの顔なんだけど…をまじまじ見て考えた。

 美人だ。そして、侯爵夫人ときてる。

 そりゃ高飛車だわ。

 納得してからはっとした。

「でもさ…」

 もしも…もしも、これが夢じゃなくて、転生とかで、ベアトリスと私が入れ替わってしまっているっていうような事態になっていたとしたら…。

 いや。それはまずい。

 私は普通のおばさんだ。基本、腰は低い。相手が悪くてもつい謝っちゃうし、その後に愚痴るタイプだ。

 ベアトリス…私のキャラについていけないと思う…。

 それに。

「お父さん…どうするんだろう…」

 私の中身がベアトリスになっていたら、夫は対応出来ないんじゃないだろうか?

「やだ…。どうしよう…」

 色々考えていたら、ずうんと落ち込んで来て、その場に蹲った。

 夢なら早く覚めてくれないかな。

 私はさ。サイゼリヤで気持ちよく飲んで、帰ってお風呂入って寝るだけだったんだよ。

 明日は月曜日だから、仕事も行かなきゃいけないし。

 本当に転生しちゃってて、戻れないんだとしたら。

「GWのビュッフェ…。中華街の飲茶食べ放題ランチ…」

 楽しみにしてたのに、行けなかったら…。

 いや、そんなことないし。こんなの、現実なわけがないし。

 ぐっと拳を握り締めて顔を上げると、グウとお腹が鳴った。

「……」

 なんか…お腹減ったわ。

 さんざんサイゼリヤで食べたのに…と思うけど、今の身体…ベアトリスのお腹が空いているのだと気づき、よろよろ立ち上がった。

 待ってて、ベアトリス。

 何か食べるものを探しに行くよ。


 でも、その前に。

「よっ」

 ベアトリスの身体は声をかけて立ち上がらないといけない状態でもないのだが、つい癖で声が出てしまう。

 勢いをつけて立ち上がった私は、自分が着ているドレスの裾を持ち上げ、腹の辺りを弄る。

 なんか気になっていたんだけど、蹲った時に確信した。

 なんかあるのだ。

 この辺に…と、下腹当たりをごそごそしていたら、手に硬いものが当たった。

 なんだろう。コルセットとか、そういうのかな。

 全部脱いでしまいたいが、着るのが大変そうなので、やめておこう。

 今は取り敢えず、この気になるものを…。

「ん?」

 取っておこうと思い、スカート部分の裏地の間にあった何かを取り出してみると、小さなポーチだった。

 うまいこと隠してあったそれはずっしり重く、何が入ってるんだろうと思いながら、開けてみると。

「っ…!!」

 キラキラした硬貨が入っていた。

 これって…金貨ってやつ?

 さすが侯爵夫人。金貨をこんなに持ってるなんて。

 でも、なんでお腹のとこに隠してたんだろう?

 不思議に思いながら、洗面台の上にポーチの中身を全部出してみる。

「ええと…数字は同じなのか。だとしたら…ちょっと大きめの金貨が10…クラウンって読むのかな。小さい方が1クラウンで…お。銀色のもある。これはシリング…か」

 10クラウンというらしい、大きい金貨が五枚に、小さい1クラウンが八枚。シリングは五枚。

 58クラウン5シリング?58.5クラウンになるのかな?

「どれくらいの価値があるんだろう…」

 でも金っぽいから、相当高いよね。これが本当の金で、日本だったら…かなりのお金になると思うんだけど。

 だから、ベアトリスも隠し持っていたんだろうと考え、ポーチにしまい直した。でも、結構な重さだったから、お腹にもう一度隠し直す気にはなれず、隠し場所を探す。

 洗面台の棚…はメイドとかが開けそうだ。

 枕の下…とかも洗濯とかされそうだしな。

 ならば…。

「よし」

 寝室に置かれていた箪笥の引き出しを抜いて、その後ろにくくりつけて隠してみる。

 引き出しの奥に余裕があるので、ぴったり閉まるから、何かが隠されているとは思わないだろう。重さはあるけど、そこまでじゃないから、開け閉めの違和感もないはずだ。

 身軽になると改めて空腹を感じ、食べ物を探す為に部屋を出た。

 これだけ大きな家で、使用人も相当数いそうだから、社員食堂的なものがありそうだ。

 町の食堂ならお金がいるかもしれないけど、ベアトリスはこの家の奥様なんだからただで食べさせてくれるだろう。

 マリーがいたら頼むんだけど、何処行ったか分からないのだから仕方がない。

 誰かに会ったら場所を聞いてみよう。

 そう思い、階段を下りようとすると、執事のトーマスに出会した。

「奥様。お加減はいかがですか?」

「大丈夫です。それより、お腹が減ったので、何か食べるものが欲しくて。食堂はありませんか?」

私に質問されたトーマスは、オーマイガーと叫びそうな顔付きでフリーズした。

 たぶん、執事である彼は冷静沈着をモットーとしていて、どんな時でも動じないタイプだろうから、動揺してしまったこと自体が後悔だったに違いない。

 すぐに自分の失態に気づき、慌てて表情を戻した。

「失礼致しました。では…軽食をお部屋へお持ちしますので」

「いいですよ。ここまで来たし、食べに行きます」

「しかし…」

「ただですよね?」

 お金持ってないから…さっき見つけたけど、隠して来てしまったし…それだけは確認しておかねばならない。確認した私に、トーマスはまた驚愕の顔付きになり、ゆっくり頷いた。

「…こちらです」

 それから、ぎくしゃくした動きで背を向けて上がりかけていた階段を下り始めた。衝撃を受けているらしいトーマスの様子を見て、しまったと気づいたけれどもう遅い。

 そうだった。

 ベアトリスは高飛車系だったわ。

 高飛車系が食堂どこかとか、聞かないわ。「部屋に持って来てちょうだい」の一言で済ませるべきだったわ。

 失敗した…と思ったけど、ずっと気を遣ってるっていうのも無理な話だ。

 諦めよう。いや、諦めて貰おうと開き直り、トーマスが開けてくれた扉から食堂に入ると。

「奥様っ!?」

「な、何かご用でしょうか!?」

「こんなところに奥様がっ!?」

「……」

 そこにいた使用人たちが慌てふためくのを見て、申し訳ないことをしたなと反省する。

 いや、ベアトリス。

 どんな立ち位置なのよ。あなた。

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