第4話
コホンと小さく咳払いをして、食堂を見渡す。
食堂というか、大きな調理場の手前に十人くらいがかけられるテーブルが置かれていて、そこを食堂と呼んでいるようだ。
まかない飯を食べさせてくれる場所…といったところか。
その場にいたのは三人。白い調理着を着た大柄な男性と、緑色のワンピースに白いエプロンをつけた中年の女性、作業着っぽい服を着た男性。
作業着の男性は椅子に座っていて、その前には空になった皿がある。調理着とエプロンが調理場担当で、作業着は何か食べさせて貰っていたのだろう。
ならば、私も。
「小腹が空いたので、何か食べるものを貰えますか?」
「!?」
私の頼みを聞いた三人は驚愕の表情を浮かべた。
ベアトリスが食堂まで来ることは滅多にないんだろうと想像出来たが、もう来ちゃってるし、ここで食べさせて貰った方が早い。
それに空腹も限界だ。何か食べさせてくれるまで動かないぞ。
そんな意志を示す為に手前の席に座ろうとすると、私を案内して来たトーマスがすかさず椅子を引いてくれた。
さすが執事。
でも、めんどくさいので。
「あなたは仕事に戻って下さい」
「ですが…」
トーマスは何か言いかけたが、じっと見ると、諦めたように目を伏せた。失礼します…と言ってトーマスが食堂を出て行くと、私は作業着の皿を見て、何を食べていたのかと聞く。
作業着はひっと息を呑み、頭をぶんぶん振った。
「た、大したものじゃありませんっ…!昼を食べ損ねたのでっ…!」
「そうです、奥様。昼の残りをちょっと出しただけで」
「ネッドは悪くないんです」
「……」
作業着はネッドという名前らしい。調理着とエプロンが必死で庇うところを見ると、ベアトリスは時間外の飲食を禁止でもしていたのか。
侯爵夫人のくせにケチだな。
「私も同じものでいいです。出して下さい」
繰り返し要求すると、三人は戸惑った顔で互いを見合い、調理着が奥へ入って行った。エプロンはネッドの前にあった食器を片付け、私のところにカトラリーを運んで来る。
続いて、調理着が皿を運んで来た。
「どうぞ」
こちらを窺うように見ながら、出した皿には、干からびたサンドウィッチが二切れのっていた。
「……」
ものすごくまずそうだ。
食べなくても分かる。
ぱっさぱさのパンに、何かが挟まれている…いや、挟むなんてものじゃない。何かを塗ったものを合わせただけの代物だ。
一瞬、躊躇したが、空腹の身の上にはなんでもいいと思えた。
「…いただきます」
サンドウィッチを手で掴んで口へ運ぶ。一口囓ったところ、想像通りの味がして、げんなりした。
ぱさぱさだ。そして、なんだろう。なんか生臭いものが塗られている。
おえっとなったけど、吐き出すのはもったいなくて飲み込む。まずい。なんだこれ。侯爵家の食堂なんだから、もっといいものが出て来るかと思っていたのに。
つい表情が険しくなってしまうのを抑えられず、腕組みをして考え込んでいると、視線を感じた。
三人が泣きそうな顔で見ている。ベアトリスが怒り出すタイミングなんだろうか。
まずいけど怒るようなことじゃない。
ただ、口の中の水分を全部奪われたから、水分系のものが…。
「スープはありますか?」
「ございます」
尋ねた私にエプロンが頷き、調理着が急いで用意しに行く。すぐに運ばれて来た深皿には、これまた、味が想像出来るスープが注がれていた。
まず、色が薄い。
お湯かなって思うくらい薄い。
僅かに見える具は、肉のかけらと豆のようだが、数えられるくらいの少なさだ。
肉が二つに、豆が三つ。これならない方がマシじゃない?
サイゼの無料スープみたいにさ。胡椒とオリーブオイル、置いといてくれた方がマシじゃない?
「……」
たぶん、これもまずいな。
想像はついたが、口の渇きを癒やしたくて、スプーンですくって飲んだ。
「…」
うん、まずい。
超、味がしない。
一口飲んだところで、動きを止め、考えてみた。
調理着は昼の残りと言ってたけど、使用人の食事の残りなんだろう。だとしても、あり得ないまずさと貧しさだ。
ベアトリス、あなた、ちょっと考えた方がいいよ。
「…これ。美味しくないですよね?」
「えっ」
ベアトリスの立場もあるかもしれないが、指摘せざるを得なくて、コックであろう調理着に尋ねてみた。
調理着は驚いたように息を呑み、押し黙る。
「こっちのサンドウィッチも。使用人用の食事だとしても、ちょっと考えられないまずさですよね」
あり得ない…と、私は鼻息を吐いて、首を横に振った。
頑張って働いて、これを食事として出されたら萎えると思うのだ。昼の残りってことは、ぱさぱさサンドウィッチとうっすいスープが昼食だったんでしょう?
ご飯って働く人間にとってモチベーションのひとつじゃないか。
単に腕が悪いというより、材料を極限までケチっている気がするから、食材を増やせば改善は可能だと思うんだよね。
使用人にお金を使わないのがベアトリスの方針だとしても、皆、やめちゃうよ?
辞めちゃうと大変だよ?
人手が少ないと大変なんだからと思っていた私は、三人が困惑した表情でいるのに気づき、「ん?」と首を傾げた。
何か言いたげなんだけど。
「何か?」
気まずそうに沈黙している調理着に尋ねかける。調理着は躊躇いがちに口を開いた。
「あの…失礼ですが…、奥様は昼に食べられたものをお忘れですか?」
「…!?」
えっ?
これ、ベアトリスも食べてんの?
ていうか、ベアトリスのご飯の残り?
こんなまずいもの食べてるの?
侯爵夫人なのに?
「…!!」
衝撃過ぎて、口元を覆って戦く。
そんな私の様子は普段のベアトリスとは全然違っていただろうから、調理着もエプロンもネッドも、一緒に戦いていた。
その時。妙な緊張感が漂う食堂の扉がバーンと開かれた。
「奥様っ!!」
「!!」
怒りを露わにしたマリーが入って来て、私の腕をがしっと掴み、食堂から連れ出す。そのまま二階の部屋へ連行され、居間のソファに座らされた。
「どうしてしまわれたのです!奥様が食堂に立ち入るなど、あってはならないことでございましょう。サイモンもアガサも困っていたではありませんか」
「ごめんなさい…」
調理着がサイモンで、エプロンはアガサというらしい。ごめんよ…サイモン&アガサ…。ついでにネッド。
「ちょっとお腹が空いて…」
「ならば、エリザを呼べばよろしいでしょう」
「エリザ?」
「エリザのこともお忘れですか?」
はあ…と大きな溜め息を吐き、マリーは頭を抱える。エリザというのはたぶん、私が浴室で大声を上げた時に駆けつけて来た若いメイドだな。
年齢や貫禄からいって、マリーはメイド頭的立場にいるんだろう。エリザがお世話係なのか。
ふむふむなるほど…と頭の中で、顔と名前を整理する。
しかし、色々めんどうだ。まだ続くのかな。これ…。
「やはり…医師に診て貰った方が…」
心底困ったという深刻な顔つきでいるマリーに、いっそ、本当のことを打ち明けてしまおうかと思った。
私はベアトリスなんだけど、中身は五十二歳日本人の両角笑子だと言ったら…。
信じてくれないだろうな。
益々、顔を顰めるに違いない。
私も困ってるんだよ、マリー。
「…すみません」
「……」
取り敢えず、謝っておこうと思い、詫びを口にする。
すると、マリーは小さく目を見開いて私を見て、それから、意識して表情を緩めた。
「ベアトリス様の方が戸惑われているはずなのに…。申し訳ありません」
しゅんとしているベアトリスは珍しいのか、マリーは気遣うような言葉を口にし、態度を改めた。
「記憶が戻るまでマリーがお支えしますから。何なりと聞いて下さい」
ありがとう、マリー。私もなんとかして元の世界に戻る方法を考えるから。
それまで…ベアトリスとして生きるしかない以上、疑問は解消していかなきゃならない。
「早速ですが、どうしてうちの食事はあんなに貧相なんですか?国から質素倹約令でも出てるとか?」
「……」
江戸時代にそんな命令が出ていたような気がして、聞いてみると、マリーは顔を曇らせた。
「違います。食事が質素なのはお金がないからです」
「お金が、ない」
で、でもさ。侯爵家なんでしょ?貴族だよね?
なのにお金がないって。
あれか。
没落貴族ってやつか。
いやーまさかの、貴族は貴族でも没落貴族。
「なんで?」
没落しているのは分かったけど、理由が知りたい。尋ねた私の前で、マリーは肩を落として「はあ」と嘆息した。
「全ては…旦那様…ナザニエル・レイヴンズクロフト様の浪費癖のせいでございます…」
うわあ。元凶は旦那なのか。
ベアトリス…あなた、苦労してたのね。
だから、こんなにほっそいんだ。
可哀想に…。
「浪費って…ギャンブルとか?」
「はい。ポーカーがお好きで…他にも、女性に…」
「えっ。女もいるんですか?」
「複数…」
「最っ低っ」
思わず、本音を漏らしてしまった私を、マリーは目を見開いてみる。
あれ。失礼だった?
でもさあ。ベアトリス、こんなに美人なのに、他に女作って浪費してるとか、最低としか言いようがないじゃん。
マリーに「妻として」みたいな説教を受けたとしても、訂正するつもりはなかった。
けど、マリーは見開いた目に涙を溜め、その場に座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
「…申し訳ありません。ベアトリス様は…本当はそう思っておられたのですね…。旦那様が何をされても、ご当主様のなされることを非難してはいけないと私を諭され、一度も悪く言われることなく…耐えてらしたのをずっと見ていたので…ベアトリス様がおかわいそうで…私もずっと辛かったものですから…」
そうだったのか。
いや、ベアトリス!
思わず、自分で自分を抱き締めてしまいそうになるわ。
ちょっとこれは旦那に説教してやらねばならないのでは?
「それで、旦那様とやらはどこにいるんですか?」
「カレドリアのタウンハウスに」
「カレドリア…?」
「そうでございましたね。お忘れなのでした…。カレドリアはここ、ヴァルモント王国の王都でございます。今、いる場所はレイヴンズクロフト家の領地で、北の隣国ノーサリオ王国との国境付近にございます。王都はここより南方にあり、馬車ですと…そうですね。十日ほどで行けるかと」
「十日!?」
そんなに遠いのかと驚いたけど、道が舗装されていないせいもあって、馬車のスピードはかなりゆっくりだった。それくらい、かかるか。
自動車もないんだろうし…。
「…ちなみに自動車とか飛行機とかはないんですよね?」
「じどうしゃ…」
怪訝そうに首を捻るマリーを見て、「なんでもありません」と撤回する。余計なことを言うべきじゃない。
しかし、つまり、放蕩旦那は王都に行ったきりなわけで、ここを守っているのはベアトリスってことになるのか。
こんなに細いのに…。
「旦那様は向こうで働いたりしてるんですか?ここの収入源はどうなってるんでしょう?」
「旦那様は一応、議員として活動されているという話ですが、旦那様の贅沢な暮らしを支えられるほどの収入はないかと。その為、お金を借りては、こちらへ請求を回させるのです。ベアトリス様はその度に、お金を工面しては支払われています。レイヴンズクロフト家の収入は農民からの地代や商人からの税金。特産品である蜂蜜の販売。それをノーサリオへ輸出する際の関税や通行料。あとは国境警備に対する国からの補助金…などでしょうか」
「詳しいですね」
メイドなのにすらすら言えるマリーに感心して褒める。マリーは苦笑して、ベアトリスの苦労をそばで見ているからだと話した。
「本来であれば、それらの管理は旦那様の仕事なのですが、ここへはお戻りになりませんので、ベアトリス様が全て担っておられるのです。私もお手伝いしたりしますので、多少なりとも分かっております」
なるほど。収入があれば支出もある。その辺もベアトリスは全部やってたんだろうな。
その上、旦那がこしらえた借金も払ってると。
よく耐えてるねっ。
こんなにほそ…(略)
「でも、使用人の食事だけじゃなくて、ベアトリス…私が食べるものまであんなに質素だというのはいくらなんでも…」
「ベアトリス様は私たち使用人に遠慮されて、同じものを召し上がっておられるのです。お子様たちには違うものを…」
「お子様?」
待って、待って。
ベアトリスって…。
子供いるの!?
こんなにほそ…(略)
目を丸くする私に、マリーは衝撃の事実を伝える。
「はい。長男のテオドア様、長女のエレノア様、次女のイザベラ様、次男のジュリアン様、三男のアーサー様…。寮生活中のジュリアン様以外の皆様は、ここ、カースル・レイヴンズクロフトにお住まいです」
「!!」
ベアトリスって、五人も産んでるの?
こんなにほそ…(略)
「そうなんですか…」
なるほど…と頷いた時だ。私とマリーのいる部屋のドアがノックなしでいきなり開けられた。
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