片隅のその子
梨々ヱ
とある悩み事。
私は悩んでいた。
1ヶ月前からあるものが見えるのだ。
部屋の片隅に、体育座りをした5歳ぐらいの男の子だ。
しかもたまに話しかけてくる。
家を出る時は「いってらっしゃい」、帰ってきた時は「おかえり」と言ってくる。
最初のうちはもちろん驚いて怖がっていたが、何か悪さをする訳でもなくただおとなしく座っているだけなので1週間もすればもう慣れてしまった。
夕飯を食べている今も視界の端に見えている。
特に困ったことは無いのだが、どうしたものかと考えていた。
というか、何故急に見えるようになったのだろう。この子は一体どこから来たのだろう。
「君どこから来たの?」
問いかけてみるが返事は無い。
話しかけては来るが私の問いには答えないようだ。
不動産屋で紹介された時には特に事故物件とは聞いていなかった。私もこの子が現れるまでは住んでいて何も感じることは無かった。
1番よく知っているのは大家さんだろう。
今週末にでも何か話を聞きに行ってみよう。
仕事の疲れがまだ残る土曜日、私は早速大家さんの元を訪れることにした。
インターホンの音がするなりすぐドアを開けてくれた。
「はーい、あ、確か205号室の…」
「そうです、突然すみません。ちょっと聞きたい事がありまして…」
「あら、何かありましたか?」
普段あまり顔を合わせることがないので少し躊躇ったが、ここまで来たら思い切って聞くしかない。
「信じて貰えないかもしれないんですけど、1ヶ月程前から部屋に男の子が見えるようになったんです。あの部屋って何かありましたか?」
私の言葉を聞くと大家さんは少し顔を曇らせた。
「ああ…あれはねえ、15年前ぐらいだったかしら。若い夫婦と男の子の3人家族が住んでたのよねえ。男の子は5歳ぐらいだったかしら。」
「そうなんですね、私が見えているのも5歳ぐらいの子です。」
「そう…その子ね、浴槽で亡くなっちゃったのよ。目を離してる好きに溺れちゃったとかなんとかで。」
「そうなんですか…」
なんとなく予想はしていたが、聞きたくは無い結果だった。
「当然ショックだったみたいでその後すぐ引っ越しちゃって、でもその後に住んだ人で見えたって話は聞いたことがないわ。」
「なるほど…じゃあなんで私には見えるんでしょう?」
「女の人だからじゃないかしら…今まであの部屋に居た人、男の人が多いのよね。あの奥さんもあなたぐらいの年だったし。」
そういうことか…となんとなく納得している時に大家さんが呟いた。
「あなた、子供欲しいと思ったことない?」
「えっ、まあ、27歳ですし…なんとなく思うことはあります。」
「それかもね、とっても仲の良い親子だったのよ。特にお母さんとは毎日そこの公園で遊んでて。その子もお母さんが欲しいのかもね。」
お母さんが欲しいのかもね、その言葉は私に少しの恐怖と母性を与えた。
もう亡くなっている子の母になるつもりはないが、その境遇には少し同情してしまう。
「教えてくださってありがとうございます。
特に害は無いのでまだ様子見しようと思います。」
「そう…あ、でも子供が欲しいなんて独り言でも言わない方がいいかもしれないわ。」
「え、何故ですか?」
「まだ住み着いてるってことはこの世に未練があるかもしれないから。害は無いと言っても幽霊だし、お母さんも恋しいだろうし、あなたを母と思われても困るでしょう。」
私を母と思う?そんなことはないだろう。
生きていた時の実母と同年代な私に懐いているだけだろう。
そう単純に考えていた。
大家さんにお礼を言い、私は部屋に戻った。
相変わらずその子は部屋の片隅でじっとしている。
「お母さんを待ってるの?」
思わず聞いてしまった。
どうせ返事は無いだろうと思っていたが、その子は答えた。
「待ってるの。お母さんになってくれる人。」
返事が来るとは思わなかったので少し驚いた。
お母さんになってくれる人?
私はこの子の母になるつもりは無い。
若干、怖くなってしまった。
しかし境遇を考えると追い出すのも可哀想だ。
迷惑はしていないのでしばらく様子を見ることにした。
それから2週間経っただろうか。
相変わらず「いってらっしゃい」と「おかえり」は言ってくれるがそれ以外は微動だにせず据わっている。
幽霊と言えど害は無いので、1人暮らしの私にとっては「いってらっしゃい」と「おかえり」は少し嬉しいものがあった。
何の予定もない休日、テレビをぼーっと見ながら過ごしていた。
大騒ぎ仲良し大家族という番組が流れていた。
結婚願望はあるが彼氏はいない、周りの友達には子育てしている子も多い。
親からも孫が見たいわなんて言われることも増えた。
私も近い未来子育ても…なんて夢を見ていた。
そんなことを考えていたらうっかり独り言を呟いてしまった。
「あー、子ども欲しいなー」
つぶやいて数秒後、あの時の大家さんの言葉が過った。
「子どもが欲しいなんて独り言でも言わない方がいいかもしれないわ。」
まずいこと言っちゃったかな、と恐る恐るその子に目線を向けた。
その瞬間思わずゾッとしてしまった。
今までにないぐらい笑顔でこちらを見ているのだ。
口角は大きく上り、目は半円を描くようににっこりと笑っている。
本能的に恐怖を感じる笑顔だ。
私は身体が固まってしまい動けずにいると、その子はスっと消えてしまった。
あまりに突然の出来事にしばらく呆然としていた。
あの恐ろしい笑顔がこびりついて離れなかったが、ずっといたあの子が消えてしまった悲しさもどこかにあった。
その日はなかなか寝付けず、夜中3時頃にようやく眠りについた。
ある夢を見た。
子供とアパート近くの公園で遊んでいる夢だ。
その子と顔はぼんやりとして覚えていないが、どこか見覚えのある顔のような気がした。
朝9時頃だろうか、眠い目を擦りながらベッドから起き上がった。
なんだか身体が重い、色々あったし寝起きだからかなと思ったが異変に気付いた。
お腹が異常に大きいのだ。
ドクン、ドクンと蠢いている。
その蠢きは気味が悪いが、どこか心地良さがあった。
まるで今まで一緒に過ごしていたかのように。
焦りと混乱でいっぱいになっていると聞き覚えのある男の子の声が聞こえた。
「おかあさん」
「いってらっしゃい」、「おかえり」のあの声だ。
ふと、目の前にある鏡台に目がいった。
私の顔だが、焦る脳内とは裏腹に、自分とは思えないまるで子を持つ母親のような穏やかな顔だった。
その顔は、母になった喜びと嬉しさで満ち足りた笑顔だった。
「これであなたのお母さんだからね」
私の意思では無い言葉がぽつりと零れた。
お腹の中からあの子が私を侵食している、私は母親だったのかもしれない。
そんな考えがどんどん脳内を蝕んでいく。
もう私は私では無い、「この子」の母なのだ。
私も軽い気持ちでも子を望んだ。
そして「この子」も私を望んだのだから。
優しく撫でたお腹の中から笑い声が聞こえた気がした。
いつもあの子のいた部屋の片隅には柔らかい陽の光が差し込んでいた。
片隅のその子 梨々ヱ @rinrin_ee
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