英雄の記憶はコンビニで腐る

永守

第1話:目覚めと袋詰め

 ――その日、世界は救われた。

 

 黒い空が裂け、血のような雷鳴が大地を貫く。

 終焉の魔王オズ=ヴァーグが率いた黒翼の軍勢は、最後の砦を包囲し、焼き尽くし、魂ごと喰らおうとしていた。

 

 その戦場に、たった一人立っていた男がいた。

 白い外套、漆黒の魔剣。

 光の護符が次々に空を巡り、剣を振るたびに万の兵が消えていく。

 

 「この世界に生まれた意味が、今ようやく見えた気がするな……」

 

 彼の名は――アデル・グレイフォード。

 異世界に召喚された、最後の希望だった。

 

 

 そして、戦いは終わった。

 

 仲間は皆、暫く感じることのなかった平和を甘受していた。

 民は泣き、神々は沈黙し、風はすべてを讃えていた。

 

 その中心で、アデルは天に剣を向けた。

 「契約は果たされた」と天の声が響き、彼の体は光に包まれて消えていった――

 

 

 ――次に彼が目覚めたのは、東京・練馬区のボロアパートの一室だった。

 

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 「……え?」

 

 天井はカビ、窓は割れ、畳には変なシミ。

 手には何もない。剣も、魔力も、称号も。

 

 代わりに置かれていたのは、古びたリュックと一枚の紙。

 

 > 【転生特典:1万円分の電子マネー付き交通系ICカード】

 > 【名前:山城タクミ】

 > 【身分証・履歴書・保証人:なし】

 

 「……これが、俺の望んだ世界か?」

 

 彼――アデルは、いまや“山城タクミ”として再び“生まれ直した”らしかった。

 だが、そこに“英雄”の姿はなかった。

 

________________________________________

 

 3日後。

 

 タクミは、セブ○イレブンの面接に行った。

 資格も学歴もない彼に、雇ってくれる場所は他になかった。

 

 面接官(大学生バイトリーダー)は言った。

 

 「深夜シフトだけど大丈夫?」

 

 「はい、夜は強い方です。かつて深淵の軍勢と一晩戦ったことも――」

 

 「……え、なに?」

 

 「いえ、なんでもありません」

 

 そして彼は、週5・23:00~5:00の深夜勤務に採用された。

 

________________________________________

 

 制服を着る。

 鏡を見る。

 

 そこには、バイトの名札に“山城”と書かれた、眠そうな青年が立っていた。

 異世界で王に頭を下げられた男が、いまはレジ前でおでんの補充をしている。

 

 それでも、タクミは笑っていた。

 

 「……まあ、民の暮らしを支えるのも、英雄の役目だろ」

 

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 その夜。

 深夜2時。

 

 来店するのは、酔っ払いと、大学生カップルと、配達員。

 タクミはせっせと接客し、レジを打ち、廃棄商品をビニール袋に詰めていた。

 

 「このカレーパン、まだ食べれそうなのに廃棄なんだな……もったいない」

 

 異世界では、干し肉ひとつに命がけの争いが起きたというのに。

 誰にも食べられずに捨てられるこの“食”を、タクミは黙って見つめていた。

 

 

 「お客様、温めご希望ですか?」

 

 彼は笑顔を忘れない。

 それが最低限の礼儀であることを、異世界で嫌というほど学んできた。

 

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 夜明け前。

 バイト終わり。タクミはコンビニ裏で一服する。

 

 手には、賞味期限を30分過ぎたおにぎり。

 

 「これ、廃棄になるから……もらっていいよな」

 

 自分で許可を出し、自分で黙って頷く。

 

 空はまだ暗く、ビルの谷間にかすかな風が吹いている。

 

 「英雄の名は、もう誰も知らないけど……」

 

 ひと口、おにぎりをかじった。

 

 「それでも、誰かが今日を生き延びる助けになるなら……きっと意味はある」

 

 彼の手は震えていた。

 空腹のせいか、心のせいか、もう分からない。

 

 だが、誰もその姿を知らない。

 彼がかつて世界を救ったなどと、誰も知らない。

 

 

 そして朝になった。

 次のシフトのバイトがやってくる。

 「おつかれさまでしたー」と軽い声が飛び、タクミは何も言わずに頭を下げる。

 

 その後ろ姿には、確かに英雄の影があった。

 

 だが、今はただの、深夜バイトの青年だった。

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