第7話

 そんなことを誰から聞いてきたのか。


 舞同様に琉衣は耳の早さも抜群だったが、今はむしろ発揮のしがいがなかった。


 園の中は千璃の話題で渦巻いている。千璃の、この書状の一件。

 

 書台に置いていたそれに手を伸ばし、千璃は、笑ってしまった。ふいに、気が抜けてしまったのだ。


 手に取ればまだ香がのぼる。舞賜の一人が教えてくれた。

 銘は「山笑」といい、王だけのものなのだそうだ。


 王だけが特にと思う場合に、と伽南(かなん)は艶やかに微笑んで言った。


 琉衣が言ったように、おねえさんたちならともかく、だ。そんなことも知っている伽南なら、そんなことも知らない千璃よりよほど、王の妃に選ばれていい。


「売って逃げようかしら……」


 宝物を売り飛ばす術など知らないのだが。


「それもおもしろそうだわね」


 本当にやりかねない言い方を、知っていそうな琉衣はする。


「他人事」


「親身になっての意見は言ったわよ。自分のことのように考えて、でしょ? あたしなら行くって」


「それで宝珠の暮らしをするのね」


「そうよ。千璃はそこに夢はみないの? 一度そんな大層なものを着るためだけでも、行く価値を見ちゃうな。あたしなら」


 そこに夢は……。千璃は王城の方角を見た。

 白く曇った窓からは、白く霞んだ空だけが見えた。


 宝珠の暮らしは幸せだろうか。


 娘なりにそんな夢をみた覚えがないとは、言わない。けれどそんなものは文と同様、自分には関わりのないものだと思っていた。


 霞をつかもうと真剣になる者はない。そもそも千璃は、園以外で暮らすことを考えたことがなかった。

 そんな自分にもやっと気付く程に、当然としてきたことだ。


 七つよりも前、暮らしていた村は消えた。


 以来、ずっとここに居る。以来ずっと、舞う日々を積んできた。それが続いていくのだと当たり前に思っていた。


 出て行くことができないわけではない。願い出ればいい、それだけだ。園は人を繋ぎ止めはしない。


 心が離れた者の働きなど邪魔なだけだと久蒔は言う。そして真剣に携わる者には事欠かないのが奏園だった。民には憧れの場でもあるのだ。


 千璃は初めて、自分のこととして将来を思った。選ぶとは、どちらかを捨てるということだ。


 卓丞を選べば暮らしは変わらない。

 王を選べば、出て行かなくてはならない。


 どちらも人となりを知らないために、争点はそこだけに思えた。そして迷う余地もないようにも思う。


 奏園を出てしまったら、舞うことができない。どうするだろう。王城に上がって宝珠の暮らしをすると言った琉衣は。


「でも琉衣。ここを出たら舞えなくなっちゃうよね?」


 いいの? 訊くと琉衣は考える間も持たず、


「どこでだって舞えるじゃない」


 胸を突かれた。

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