第5話
それが二日前のこと。
以来、千璃は途方に暮れていた。書を開くまでに数時間を費やし、開いてしまえば呆然と、その夜は眠れぬまま過ごした。
書状にしたためられていたのは、短く、
「舞子の千璃を妃として城に迎え入れたい」「千璃が望まぬものであるのならば退く」と。
考えろと。そんな王令があるものだろうか。
妃になるかならぬか自ら選べ。王令ならば命ずれば良いものを、選び取れとはいったいなぜ。わからない。果たしてしかし、――言の通りに選んでしまって良いものなのか。
「あたしなら行くわ。なにを迷うの! きっとすっごい贅沢な暮らしができる。玉や珠で飾り立てて、絹音をさせて歩くのよ」
そう言ったのは琉衣(るい)。
たった二日で見て取れるほどにやつれた千璃の眼前で、溌剌と声を上げた。
舞道具の入った篭を抱え、千璃は一歩下がる。圧倒されていた。琉衣もまた舞子の一人で、年が近く、奏園に来た時期も同じ、と千璃とはもっとも気安い中だった。
園にはまだほんの子供の、多くても七つまでには入らなくてはならない。その時分から幾種類もの修行を始め、やがてそれぞれの才に相応の未来(さき)にと振り分けられる。
舞に秀でるものあり、楽にでるものあり。縫い子となる者、飾の作り手になる者、あるいはそれらの世話をする者もいた。
せいぜいが七つでは志願する子供は稀、貧しさ故に生家を出された者か縁者を失い拾われた者が大半という事情ゆえに、たいていは園で一生を過ごす。
千璃同様、琉衣も身寄りがない。親と過ごした記憶は薄く、奏園の世界が二人のすべてと言って良かった。
才あれば舞子は舞士、舞師にと成長をする。極めれば舞賜だ。
これは一時に三名を超えず、舞姿がこの世のものではなく天から賜った天女のようであることから、これをそう呼ぶ。
舞賜となれば、空気を震わす。揺らす、止める、自在に場をその手で揺らし、指から花を――花を降らす。
花繰(はなく)りと言う。秘術である。
血が為せるものか筋だろうか、どれほど願おうと質に恵まれず、如何に修行を重ねても小さな花の一輪も生み出せない者もいる。
振り分けた後も望む者には久蒔は修行を許していたが、概ね園主の選別は的確だった。
琉衣は次の吉日に舞士となることが決まっている。
十で初めて花を咲かせて以来、常に怠らぬ努力で技に尽してきたことは、誰もが認むるものだった。
琉衣には大物の予がある。ともすれば語り継がれる舞手となるやもしれない。大小様様。種類こそ少ないが、琉衣は即う花を概ね自在に咲かせることができた。
対して千璃を表現するに、ささやかな、という言葉も使われた。
悪気があって言うのではない。千璃の花は小さいが、時に驚くほどに精緻だった。
幾重の花弁、艶やかな白を見る――ことがある。確率は低く、言葉にするならごく稀に、程度。
統制できない力は舞手としてはむしろ邪魔になる。咲かせた本人が驚いているのでは、お話にならない。
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