第2話 ドーベルマン

 僕は幾度となくタバコを燃やした。口元でつく赤の光は、命の導火線の様に思える。

 それでも、自分にとって、その赤はまるで人生の象徴のようだ。吸っては、吐く、体に取り入れて、排出する。人体の活動時間を短くし、ひと時の安寧を図る。

 ひと吸い、肺に入れて、煙を吐く。

 そんな自然にはあり得ないことをすることが、僕が人間であることの証明に思えた。

 足下の黒と茶のドーベルマンが辺りを警戒する。僕は彼に周りを見てもらっているくせに、のんびりと煙をくゆらせる。

 煙は朝もやと一体化する。犬はクンクンと鼻をヒクつかせる。神経質に、「その匂いは嫌いだ」とでも言うように。

 僕は来ているモッズコートの袖口を嗅ぐ。やはり、匂いが染みついている。彼が不用意に僕に近づかないのは、きっと、匂いのせいなのだろう。

 朝もやが、僕の匂いを吸収してくれればいいのに。そして自分という存在を拡散してくれればいい。

 突拍子もなく、そんなことを思った。

 僕は体があることが少し、嫌に感じてしまう。

 この体の維持のために、生きなければいけない。そんな意識で今まで生きていた。

 タバコを吸い始めたのは、きっと、体の為だけに生きることにせいせいし始めたのだろう。

 ドーベルマンが、何かを見つけたように、橋の向こうへと走っていく。

 僕は少し、嬉しくなる。

 彼は気ままに、僕を導くでもなく、そしてしかし共にいてくれる気がしてくれた。

 人気のない大橋の真ん中で、六分の一ほどの残ったタバコを海に捨てる。

 赤い光が残像を残しながら、落ちていく。水面に落ちる前にか細い赤は消えてしまう。

 胸ポケットにタバコとライターを入れて、感触を外側から確かめる。

 犬は僕を待ってはくれていない。

 それでもいい。

 ゆっくりと胸を開いて、息を吸ってみる。目になんか見えないけれども、僕の肺に冷たい靄が入り込んできて、スッとする。初めて吸ったメンソールタバコを思い出す。

 その冷たさは体を満たし、そして血液を通して体中に巡っていく。大げさな言い方だけれど、世界が僕に入り込んできた気がした。

 僕は独りになって、初めて世界を認識したのかもしれない。

 歩みを進める。先を行く彼を追いかけるように。それでも、自分のペースで。

 背後の数メートル後ろには、落とした灰が遺されている。

 そんなものでしか、僕の生きた証を残せないことが少し残念だ。

 これから先、誰かに会えるだろうか。きっと出会えるのだろう。

 期待はない。不安でもない。なるべくしてなる、そんなものかもしれない。

 まるでタバコが縮んでやがて火種が消えるように。

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