未来の方角
午後の光は、静かすぎるほどだった。
窓のブラインドから差し込む陽射しが、机の上の書類に縞模様を落としている。
遠くで吹く風が、ほんのわずかにガラスを震わせた。
進路指導室には、時計の針の音だけが響いていた。
壁には、合格実績のポスター。模試のグラフ。誰かの未来が、表や数字になって貼り出されている。
けれどその未来はどれも、地元の高校生たちが選ぶ、手の届く夢の延長に過ぎなかった。
ナミネは、椅子に腰かけたまま、まっすぐ机の木目を見つめていた。
進路希望調査票の上には、何も書かれていない。
向かいに座る教師が、ペンを指に転がしながら口を開く。
「そろそろ決めないといけない時期だよ。進路調査、三度目の提出だけど、まだ白紙だ」
ナミネは、静かにうなずいた。
「……はい。でも、まだ……ちゃんとは、決められなくて」
教師は無表情のまま、視線を調査票からナミネへ移す。
「“ちゃんと”じゃなくて、“具体的に”でいい。何か一つでも、興味ある分野や仕事は?」
ナミネは、ほんのわずかに口元を引き結んだ。
言葉を選んでから、静かに答える。
「……まだ地図に載っていない場所を、探してみたいって思ってます」
教師のペンが止まる。
「……旅行業界? 観光関係?」
「そういう意味じゃなくて……たとえば、空を飛ぶ船とか、海の底に眠る街とか……そういうものをずっと見つけたくて」
教師は、軽くため息をついた。
「……空想や物語に救われる気持ちはわかる。でも、現実っていうのは、そういう不確かなものじゃ成り立たない。社会は、数字と実績で回ってる」
ナミネは、小さくうなずいた。
けれど、胸の奥ではまだ、どこか遠くの波がざわめいている。
「想像することって、大事だと思うんです。今はまだ見えないけど、確かにあるって、信じてみたくて」
教師はもう一度ペンを手に取り、紙の右上に「保留」と書き込む。
「君の気持ちは、理解しようとは思う。でも、“気持ち”と“進路”は別の話だ。そろそろ、自分の足元を見た方がいい」
静寂が落ちる。
ナミネはその沈黙の中で、ただ風の音を聞いていた。
進路指導室の窓の外――遠くで鳴くカモメの声が、ひとつ、かすかに聞こえた。
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