記憶のかけら

 進路指導室を出たとき、ナミネの胸には、ひどく重たいものが残っていた。

 それは、先生の言葉――というよりも、その“まなざし”だった。夢ではなく、現実を見なさいと、当然のように突きつけられた壁。


 「将来のビジョンを持っている子は、もう現実的な選択をしている」

 「“想像”だけじゃ、道は開けない」

 「子どもじゃないんだからね」


 頭ではわかっている。でも、心は違った。

 想像することをやめたら、自分じゃなくなってしまう気がして。


 坂道を下りながら、ナミネは海を見た。

 夕焼けが水面を金色に染め、波間にはゆるやかな風。だけど、今日はその風さえ、少し冷たかった。



 家に戻り、制服のままベッドに沈み込む。

 ナミネは、いつもそうするように、かばんから一冊の本を取り出した。


 布張りの装丁。題名も、著者名もない。ページの端がすこし擦れていて、ところどころインクがにじんでいる。

 母が遺してくれたこの本を、ナミネは子どもの頃から繰り返し読んできた。


 書かれているのは、まるで断片的な夢のような物語。


 ――森に沈んだ神殿で、不老不死を求めて姿を消した旅人。

 ――砂漠の市場で、魔法のランプを巡って交渉する商人と魔法使い。


 章もなく、どこから読んでもいいような、記憶のかけらを綴ったような本。だけど、読むたびに新しいイメージが浮かぶ、不思議な一冊だった。


 そのとき、不意にページの間から何かがひらりと舞い落ちた。


 「……え?」


 ナミネは手を伸ばして、それを拾い上げる。

 それは、色褪せた一枚の写真だった。


 そこに写っていたのは、青く輝く球体。まるで地球儀のような姿をした巨大な構造物が、水面に浮かび、その周囲には異国の街並みと、幻想的な光景が広がっていた。


 ナミネは息をのむ。


 「こんなの……見たことない、はずなのに……」


 写真の裏に文字はない。けれど、その景色に心が強く反応していた。


 ――どうして、今、この写真が?


 本のページをめくると、前よりもしっかり閉じられていた数枚のページの端が、ややほぐれていた。

 思い返せば、先週、強い風のなかこの本を開いたとき、一部のページがふくらんでいたような気がする。湿気で貼りついていたページが、乾いた拍子に自然と開いたのかもしれない。


 けれど、それでも不思議だった。


 この本は、何度も何度も読んできた。何年も、隅から隅まで。

 なのに、この写真だけは、これまで一度も見つけたことがなかったのだ。


 ナミネは写真を見つめたまま、小さくつぶやいた。


 「……この場所、知ってる気がする」


 理由なんてない。ただ、懐かしさのような、胸の奥がふるえる感覚。

 そして、もうひとつ。


 この場所は、本の中のどこか――もしかしたら、“すべての始まり”かもしれない。

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