狭霧雪月花

L0K1

狭霧雪月花

 山影からひっそり零れる秋茜の空、光芒に舞う幾多の山鳥。

 さながら消えゆく灯火に引き寄せられるようにして、土の香りの混じるひんやりとした空気が頬を紅に染めた。

 響き渡るからすの鳴き声に耳を澄ませば、ほんのりと夕餉ゆうげが薫る。

 紅葉流るる川のせせらぎに呼ばれて桶を手に、浮かれて詩を口ずさむ。


 河原に桶をたゆたえば、静流の汲む水でゆるりと満たされる。

 薄暗い森にそよぐ風の音色はまるで子供たちの囁き。

 握る桶はずっしりと重く、じゃりじゃりとした泥の道を踏む足は鈍く。

 うっすらとした霧雨は足元から這い寄り、冷たい煙で辺り一面を灰色に染めてゆく。

 鼻を刺す空気が肺を締め付け、漏れる吐息の音が大きくなるにつれ、静寂にこだまするかのよう。

 枯れ枝を踏めば骨を砕くかの音、落ち葉はまるで腐肉のような足触り。


 ただ聴こえるのは子供たちの嘆く声。

 ただ歩を進めばむくろの沼。

 ただ漏れるのは亡者の叫び。


 歩けど歩けど、骸の道は足に絡まり、烏の鳴き声が亡者の眠りを呼び覚ます。

 手のひらに食い込む桶の重みは増し、心なしか水の中から血の香りが漂ってくる。


 おいで、おいで、嘆く風の声。

 馴染みの道――まるで黄泉平坂よもつひらさか、霧に滲む亡者の陰、紅く染まった三途の川、流れる水音。

 まだか、まだか、白く濁った骸を踏む。


 家の明かりがぼんやり映る頃には、山影は夜のとばりに隠されてうっすらと白い衣を羽織っていた。


 黄泉よみおぼろ泡沫うたかたの夢幻、ただただ、白く濁った木々が生い茂り、桶を握った震える手が水をこぼすものかと抗えば、薪の燃える香りに導かれ、砂利を踏む足取りは軽く、桶を握る手に力が入る。


 砂利を踏みしめ、纏わる霞を穿うがつ。

 駆け足になるたび、心臓の鼓動が速くなるたび、冷気が顔を叩くたび、渇いた喉の奥は熱を帯びてゆく。


 乱れた吐息は囲炉裏いろりの明かりとかまどの香りが邪気を払い、桶の水は清らかさを取り戻す。

 歩みは軽やか、冷たい風が緩む頬を撫でると、それは生きている匂いがした――振り返れば、薄暗い森の白く冷たい空気と薄気味悪い鳴き声が、何人なんびともいりたつことを拒むようだった……。

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