第7話 だし巻き卵と朝の味

カタン、と小さな音を立てて、アキラは角の取れた卵焼き器をコンロに置いた。




 「今日は……だし巻き卵、だな」




 卵を割る音、箸で溶きほぐす音、出汁を注ぐ静かな音。


 どれも耳に心地よく、彼の暮らしのリズムを作っている。




 地下のこの施設に季節の移ろいはないが、今日は少しだけ“春”を感じる気がした。


 それは、卵と出汁の香りが鼻をくすぐるからかもしれない。




 《記録者No.0243、夢反応パターンに「朝食の再生」が確認されました》


 AIのミレイが静かに報告する。




 「朝食、か……。ああ、わかるよ、その気持ち」




 アキラの記憶にも、似たような朝があった。




 父は新聞を読んでいて、母は小さな弁当箱に卵焼きを詰めていた。


 「焦げちゃったけど、ちゃんと食べてね」――母のそんな一言すら、今では宝物だ。




 焼きあがった卵焼きを、アキラは丁寧に巻いていく。


 やわらかく、でも崩れないように。まるで記憶をひとつひとつ巻き込むように。




 夢の中で、記録者の少年は制服に袖を通していた。


 小さな食卓には、味噌汁、白ごはん、そして、だし巻き卵。




 それを一口食べて、彼はぽつりとつぶやいた。




 「これがあると、なんか、ちゃんと生きてる気がするんだ」




 アキラは笑った。


 「わかるよ。ちゃんと食べて、ちゃんと眠って。……それだけでいいんだよな」




 焼き立てのだし巻きを切ると、じゅわっと黄金色の断面から出汁がにじんだ。


 それを一切れ、口に運ぶ。




 やわらかくて、あたたかくて、ほっとする味が広がった。




 《記録者No.0243、精神安定度95%に回復》


 《関連夢領域、安心・家庭・朝の記憶》




 アキラは空になった皿を見つめ、静かに息を吐いた。




 「大丈夫だよ。まだ大丈夫。今日も“ちゃんと生きてる”からな」




 だし巻き卵は、日常の中のささやかな祈り。


 そして、忘れかけた人と人とのぬくもりを、夢の中に優しく残してくれる。


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