第40話:種族の壁を壊すもの
魔族の王子と人間の令嬢による婚約という、前代未聞の宣言。それは、燃え盛る戦火に投じられた一滴の聖水のように、瞬く間に双方の世界へと波紋を広げていった。
人間界では、民衆が混乱した。長年「絶対悪」と教えられてきた魔族の王子に、王国の腐敗を次々と暴いてきた「悪役令嬢」セレスティーヌが嫁ぐという。第一王子レオンハルトと彼に与する貴族たちは、これを「魔族の甘言に惑わされた売国奴の戯言」と断じ、セレスティーヌの逮捕と処刑を声高に叫んだ。
「この非常時に、愚かにも両種族の垣根を明確に分かつ時に、両者の友好を解くなど何という愚かな行為…見え透いた
まるで、国政の腐敗の現況が魔族にあるが如く視点をずらした第一王子の
「私は見てきた。国が腐敗し、領民が飢え、生活が楽にならない現状を憂い、王国の第一王子としてこれを看過すべきではないと考え、国を跨ぎ大陸を横断し、現状をこの眼でしかと見極めてきた…そして、結論に至った!それは国の利益を損ない、人々の不幸を糧とする魔族こそ、その元凶である!」
王国貴族の腐敗と領民からの搾取、私腹を肥やして贅を凝らし、市民を特権階級の不当な支配で搾取して来た貴族のバカげた言い分に、心ある領民市民は憤慨したが、プロパガンダの力は絶大で、あれだけセレスの活躍を爽快に綴っていた新聞や出版も金と力技による統制で沈黙をし、王国の腐敗は第一王子の外遊の締めくくりとして一掃される。そして魔族こそその元凶であると報じた。
モンテクリスト侯爵の屋敷内では、セレスの侍女ミュリエルが歯ぎしりをして悔しがり、妹のルミネも解放された喜びよりも、姉の決断を支持しつつもその身を案じて祈るしかなかった。
魔界でもまた、激震が走っていた。好戦派は、王子アルクヴィスの裏切りに激昂し、魔王にその即時討伐を進言する。戦いの気運は、指導者たちの扇動によって、一度は頂点に達しようとしていた。
デモン・ロード・ヴァルガス…好戦派の最有力の側近として、スパイとして抑止力として使わせたゼファル以下の若手ウォルフガング、リリス、ガロンの有望株までもがアルクの優柔不断にしか見えない政策施策に絡めとられて懐柔されたのは何かの冗談だと判断していた。
彼は積極的に戦端を開くことのなかった人間が、ここに至って魔界侵攻を決断した愚を悦び、自慢の兵士を嬉々として配置し、その準備に余念がなかった。
全面戦争は避けられないかに見えた。
だが、彼らの思惑通りに事は進まなかった。最前線で対峙する両軍の兵士たちの間に、疑念の種が蒔かれてしまったのだ。
「我々は何のために戦うのか?」「本当に魔族は、人間は、不倶戴天の敵なのか?」と。婚約宣言は、憎悪という名の熱病に浮かされていた兵士たちに、初めて冷静な問いを投げかけたのである。
魔族の好戦派だけが戦線に出て、戦えば済む様なこれまでの小競り合いとは異なり、互いの存亡を賭けた戦いとなれば、最大戦力を講じて万全を期するのが戦争というものだ…魔族ですら、人間の感情の発するマナに対してそれを摂取するのを良しとしない層は一定数存在し、元々アレクが属した自然派に至っては戦争反対派でさえある。国家の存亡と聞かされて武器を持たされ駆り出されて観れば、そこに煌めく一滴の友好の雫が光を放てば心は動くというものである。
人間族に至って言えば、戦争による得られるモノは一体何なのか?これまでも噂で程度に小競り合いがあっても、それは職業軍人のやっていることであって、今日明日食うために田畑を耕して穀物を栽培し、過重に掛けられた税を納めて僅かに残った飼料で食いつなぐ生活を送る領民が、突然戦えと武器を渡されても空腹は満たされず、僅かばかりの配給で命を掛けることのむなしさをどう納得すればいいのか…
家族が殺され奪われることは良しとしないが、攻められている訳ではなく攻め込む意味が分からない…
貴族の中にありながら、不正を許さず断罪し、富の独占を許さず闘う悪役令嬢の活躍に胸を躍らせた一般市民は、自分たちが戦い傷つく理不尽よりも、象徴でも愛を語り合う男女の美しさに心を奪われることをどうして否定できようか…
そうして、世間に自分たちの行為の影響がさざ波に用に広がるその水面下で、アルクとセレスは次なる一手、この大博打を完遂させるための詰めの作業を始めていた。
セレスは、彼女が持つすべての情報網ゼファルの持つ黒蜘蛛団や、商会のエリザベスのコネを総動員し、の第一王子レオンハルトの金の流れと、彼が秘密裏に接触していた商人たちの動きを徹底的に洗い出した。
それは、聖光教会の事件で得た王都の裏社会の繋がりを最大限に活用した、執念の調査だった。
一方、魔界に戻ったアルクの側では、ゼファルがその類稀なる才覚を発揮していた。彼は好戦派の内部に協力者を作り、彼らの物資の動きや部隊配置の不自然な点を次々と暴き出す。
『なぜ特定の人間領だけが攻撃対象から外されているのか?』
『なぜ戦争に必要なはずの物資が、関係のない場所に横流しされているのか?』
そして、二人が集めた証拠のピースは、一つの恐るべき真実を浮かび上がらせた。
――ユグドラル王国第一王子レオンハルトと、魔界の好戦派幹部は、裏で繋がっていた。
これは、国益を賭けた本物の戦争などではなかった。
レオンハルトは、偽りの戦争によって国内の権力を掌握し、邪魔な政敵を戦場で合法的に排除する。
好戦派は、その見返りとして、人間界の豊かな資源や領土の一部を「戦果」として譲り受ける。互いの私利私欲のために、双方の民を欺き、その血を流そうとする、壮大な茶番劇。それこそが、この戦争の正体だった。
セレスとアルクは、再び世界に語りかけた。魔法によって映し出された二人の背後には、レオンハルトと好戦派幹部が交わした密約書、不正な資源取引の帳簿、そして双方の兵士たちの犠牲を最小限に抑えつつ「見栄えの良い戦果」を演出するための、おぞましいまでの取り決めの数々が、動かぬ証拠として示されていた。
「これが、あなた方が信じる指導者の真の姿です!」
セレスの声が、人間界に響き渡る。
「これが、諸君らが命を捧げようとした戦の真実だ!」
アルクの声が、魔界に轟いた。
魔族と人間族の二人の若き男女の美しい結びつき、絆を深め信頼し、愛をもって互いを尊重し合う姿は、何よりも平和を求める人々へ深く突き刺さり、種族関係なく心の安寧を求める事に何の躊躇も不要であることを強く感じていた。
【断罪の時は来た】
民衆の怒りは、もはや魔族へは向かわなかった。自らを欺き、駒として使い捨てようとした支配者たちへと、その矛先は向けられた。レオンハルトは支持を失い、王宮内で孤立した
「バカな…ボクの計画は…完璧だった。父をはじめとした王宮の馬鹿どもは一掃されて構わないじゃないか…魔族がおろかな民衆の魂を楽しい娯楽で摂取するというなら、幾らでもくれてやればいい…ははは、喰われたくなければ懸命に働け…さすれば命の火をともすだけの贅沢を許そう…残りはすべて僕に捧げるのだ」
狂気の上塗りで、腐敗を放置してこれまで為されるがままに放置して国政を形骸化の極みにした国王もさすがに自らの手足を失って立っていられなくなることもままならないことにも気づかない王子を庇うことはしなかった。
魔界の好戦派もまた、魔王と民衆からの信頼を失い、その権威は地に堕ちた。
茶番で権威を得て、末端に麻薬のようなマナで酔わせて生産性のない堕落で支配をしようという愚策で発展性のない過激派の主張はたった一つの契りの儀式で綻び、破綻したのだ。
こうして、始まる前に、戦争は終わった。それは、一人の王子と一人の令嬢が、その愛と信念を賭けて仕掛けた大博打の勝利であり、種族を超えた絆が、偽りの正義と憎悪に打ち勝った瞬間だった。
二人の婚約は、もはや単なる政略やスキャンダルではなく、新しい時代の到来を告げる、希望の象徴として語られることとなる。
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