第38話:戒厳令下の再会、ワイン樽の誓い

 魔界への帰還命令という、あまりにも残酷な現実を突きつけられたアルク。彼に残された時間は少なかった。どうしても、最後に一目セレスに会わなければならない。伝えなければならないことがある。そして、聞かなければならないことがある。アルクは、逸る気持ちを抑え、モンテクリスト侯爵邸へと向かった。


 しかし、彼を待ち受けていたのは、固く閉ざされた巨大な鉄門と、ものものしい警備兵の姿だった。


「何者だ! 許しなく侯爵家の敷居を跨ぐことは許されん!」


 警備兵はアルクに鋭い視線を向け、槍を突きつける。アルクは身分を明かせぬまま、セレスティーヌへの面会を求めたが、返ってきたのは冷たい拒絶だった。


「第一王子レオンハルト殿下の帰国に伴い、王都には事実上の戒厳令が敷かれている。モンテクリスト侯爵家として、今は誰であろうと公式な面会は受け付けておらん。立ち去れ!」


 レオンハルトの名が、早くも王都の空気をこれほどまでに変えてしまっている。そして、王家との間に深い溝がある侯爵家が、これ以上ないほど神経を尖らせていることも痛いほど伝わってきた。表立っては、もはやセレスに会うことは不可能だった。


 万事休すか、とアルクが門の前で立ち尽くしていると、門の脇の植え込みから、見知った顔がひょっこりと現れた。


「アルクヴィス様!」


 侍女のミュリエルだった。彼女は周囲を警戒しながら、アルクに手招きをする。

「こちらへ! お嬢様も、きっとお待ちですわ」


 ミュリエルの手引きで、アルクは人目を忍んで裏門から邸内へと潜入した。衛兵たちの目をかいくぐり、二人がたどり着いたのは、ひんやりとした空気が漂う、広大な地下のワイン倉庫だった。薄暗い樽の影で、セレスは一人、アルクを待っていた。


「セレス…」

「アルク…」


 再会を喜ぶ余裕もなく、二人は互いの表情に浮かぶ苦悩と絶望の色を読み取った。この危機的状況において、互いの心の内を偽る言葉など、もはや必要なかった。


 先に口を開いたのはセレスだった。

「アルク、聞いて。私は…私には、魔族の血が流れているそうなの」


 彼女は、母から告げられた衝撃の真実…自らの出生の秘密、禁忌とされる血脈、そして母が願ったアルクとの断絶を、途切れ途切れに、しかし全てを正直に語った。


 アルクは、その告白を静かに受け止めた。彼女がこれまで背負ってきた孤独の、本当の理由を知り、胸が張り裂けそうになる。そして、今度は彼が、自らに突きつけられた残酷な運命を告げる番だった。


「僕もだ、セレス。僕も、君に伝えなければならないことがある。…魔界への帰還命令が下った。王家レオンハルト第一王子が、魔族との全面戦争を布告した。僕は…その戦いに参加するため、呼び戻される」


 セレスの瞳が見開かれる。血迷った王家の横暴が戦争の引き金を引いたという事実。そして、愛する人が、その敵として戦場に立たねばならないという現実。あまりにも過酷な運命の悪戯に、二人は言葉を失った。


 沈黙の中、先に動いたのはアルクだった。彼はセレスの肩を強く抱き寄せた。


「許してくれ、セレス。君がこれほど苦しんでいる時に、僕は君の敵にならねばならない」

「いいえ…」セレスもまた、彼の背中に腕を回し、強く抱きしめ返した。「謝らないで、アルク。あなたは何も悪くない。悪いのは、己の都合のために世界を戦乱に巻き込もうとする、私たちの愚かさなのだから」


 互いの温もりだけが、この絶望的な状況で唯一の救いだった。


「セレス、僕は君を愛している。この期に及んで自分の心に偽りのタガを嵌めて留めても意味はない…たとえ世界が敵になろうとも、その想いだけは変わらない」

「私もよ、アルク。私も、あなたを愛しているわ。この血が何であろうと、私たちの間に壁などない。いつか…必ず」


 ワインの香りが満ちる薄暗い地下室で、二人は唇を重ねた。それは、引き裂かれる運命への抵抗であり、必ず再会を果たすという、魂の誓いだった。この口づけを最後に、二人は敵として、それぞれの戦場へと向かわなければならない。それでも、互いの想いが通じ合っているという確信だけが、これからの過酷な戦いを生き抜くための、唯一の光となった。

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