第35話:禁忌の血脈、母の祈り

「――あなた自身が、魔族の血を引く者なのですから」


 母、イザベラの静かな告白は、セレスの思考を完全に停止させた。部屋の空気が凍りつき、蝋燭の炎が揺らめく音だけが、やけに大きく耳に響く。


「……私に、魔族の血が…? お、お母様、一体何を、何をおっしゃっているのですか!?」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。セレスは、目の前の優しい母が、まるで知らない誰かのように見えていた。その驚きと疑問をぶつける娘に、イザベラは静かに、しかし力強く語り始めた。


「人間と魔族。文化圏も、生活の糧も、その思想も哲学も、すべてが異なります。ですが、その外見的な違いはほとんどない。こうして言葉も交わせる。なぜなのでしょう…? 答えは、その先祖を辿れば、元は同じ存在だからです」


 イザベラの言葉は、セレスがこれまで学んできた歴史の常識を根底から覆すものだった。


「考えてもごらんなさい。あなたの妹、ルミネは、何ゆえに『聖女』たり得たのか。王国の誰も持ち得ない、あの奇跡のような治癒の力はどこから来たのでしょう。そして、あなた自身の慧眼は? 権力者たちの嘘や欺瞞を見抜き、真実を射抜くその力は、ただ聡明なだけでは説明がつきません。…すべては、あなたたちの内に流れる魔族の血がなせる業なのです」


 母の口から語られる衝撃の真実。セレスは、自身の持つ力が、忌むべきとされる魔族に由来するなど、信じたくはなかった。


「ですが、それは決して祝福された力ではない。魔族と人との交わりは『禁忌』として、双方の歴史から封じられ、消されてきた事実なのです。故に、今この状態で魔族と公に交流すること、ましてや…色恋沙汰で交わることなど、決して赦されることではありません」


 その言葉が、アルクを指していることは明らかだった。セレスは食い下がる。

「では…では、お母様ご自身は!? なぜ、その禁忌をご存じなのですか!」


 イザベラは、娘の必死の問いに、悲しげに瞳を伏せた。

「あなたたちは、私の子。…ですが、この私もまた、魔族との混血なのです」


 セレスは息を呑んだ。母の告白は、さらに重く、深く続いていく。


「私が表舞台にあまり出ず、若くして事実上の隠遁生活に徹しているのは、この血がもたらす災いを避けるため。あなたの父上…アルフォンス様は、私のすべてを受け入れてくださいました。ですが、そこに至るまでには、大変な苦労と、貴族としての立場を投げ打つほどの決意があったことでしょう。それでも私を愛し、守り抜いてくださったことには、感謝しかありません」


 イザベラの脳裏に、遠い日の記憶が蘇る。


「私は、たまたま魔族との小競り合いに巻き込まれた、ただの平民の娘でした。その争いで深手を負った若き日のアルフォンス様を、衝動的に、私の持つ治癒の力で助けてしまったのです。そうすべきではないと分かっていながら…。ですが、彼は領主でありながら、常に領民のために働き、私のような者まで気にかけてくださる優しい方でした。その恩に報いたかった…そして、私たちは愛し合い、あなたたちを授かりました」


 母の口から語られる、父との知られざる過去。それは、セレスが想像したこともない、愛と苦難の物語だった。


「その血の力は、代を重ねるごとに弱まると考えていました。ですが、ルミネは…あの子は、その力を色濃く受け継ぎ、聖女として開花してしまった。私のせいで、あの子を苦しめてしまったこと、本当に申し訳なく思っています」


 イザベラは、悔しそうに唇を噛んだ。「今回の一件で、あなたも骨身に染みて分かったでしょう。…特殊な能力は、権力者に目をつけられ、利用され、搾取されるのです。これ以上、自らその境遇に突き進むような行動は、母として許可できません」


 告げられた母の決意は、岩のように固かった。それは、娘を愛するが故の、悲痛な祈りだった。


 父と母の過去、自らに流れる禁忌の血、そして、愛するアルクとの許されない未来。セレスは、あまりにも重い真実を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。自分が信じてきた正義の道が、思わぬ形で、自身の出生の秘密と、愛する人との断絶に繋がっていた。どうすれば良いのか、彼女の心は激しく揺れ動いていた。

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