第33話:侍女の願いと令嬢のときめき

 モンテクリスト侯爵邸の庭園は、穏やかな午後の陽光に満ちていた。ルミネッタの明るい笑い声が、花々の間を吹き抜ける風に乗って運ばれてくる。


「ガロン先生!見てください!こんなに小さな光も、手のひらの上で留めておけるようになりましたわ!」


 ルミネッタが無邪気にはしゃぎ、その小さな手のひらの上で蛍のようなマナの光を点滅させてみせる 。その隣では、ガロンが相変わらずの無表情ながらも、どこか満足げに静かに頷いていた 。妹が日に日に元気を取り戻し、新たな師に懐いていくその光景を、セレスはテラスから微笑ましく眺めていた。



 そのセレスの傍らで、侍女のミュリエルもまた目を細めている。彼女はルミネッタとガロンの姿に安堵のため息をつくと、ふと庭園の隅で剣の素振りをしているヴォルフガングに気づき、その逞しい姿に頬を染め、熱心な視線を送った。


 やがて、ミュリエルは意を決したように、セレスに向き直った。


「お嬢様!」


 その弾んだ声に、セレスは少し驚いて彼女を見た。「どうしたの、ミュリエル。そんなに大きな声を出して」


「申し訳ございません!ですが、私、ミュリエルはもう我慢なりません!」

 ミュリエルは興奮した様子で、一方的にまくしたて始めた。


「これまでお嬢様の周囲には、グラハム様のような下品な成金や、ルキウス殿下のような腹黒い王族など、碌なモノではない輩しか現れませんでした!


  ですが!


 ですが、ついに!お嬢様のお眼鏡に叶う、いえ、お嬢様にこそ相応しい、素敵な紳士が現れたではございませんか!」



「…素敵な紳士?」


「アルクヴィス様に決まっております!」

 ミュリエルは胸を張って断言した。「そのご身分こそ不明ですが、あの気品に満ちた立ち振る舞い、的確な行動力と深い知識、そして何よりあの冷静な判断力!おそらくはどこか異国の、それはもう高貴なる方に違いありませんわ!」


 ミュリエルの言葉に、セレスの脳裏にアルクの姿が鮮明に浮かび上がった。


 初めて森で出会った時の、あの神秘的な美しさ 。共に王国の腐敗を語り合った時の、真剣な眼差し 。そして、自分の正体を明かし、共に歩むと誓ってくれた時の、あの温かい手の感触。



「それに!」ミュリエルの声が、セレスを回想から引き戻す。


「お嬢様とアルクヴィス様がお話しされている時の、あの穏やかな表情!あの優しい言葉遣い!間違いなく、アルクヴィス様はお嬢様に特別な想いを抱いていらっしゃいます!お二人がこのままお付き合いされて、ご結婚でもなされれば、モンテクリスト侯爵家は安泰ではありませんでしょうか!」


「ミュリエル…」セレスは呆れたように名を呼ぶが、その声には力がなかった。


 ミュリエルの言葉は、どこか浮ついていて、それでいて的を射ていた。


 セレスは、アルクが自分に向けてくれる信頼と敬意、そしてその奥にある愛情を、確かに感じ取っていた。彼と共にいる時の、あの心が安らぐような感覚。孤独な戦いの中で、唯一心が許せる存在。


「……そう、かもね」


 セレスは、無意識のうちにそう呟いていた。その声は自分でも驚くほど甘く、穏やかだった。ハッとして、慌てて口元を手で覆う。


 自分の頬がほんのりと熱を持っていることに気づき、気まずそうに視線を庭園に戻した。その可愛らしい仕草は、普段の「悪役令令嬢」の仮面の下にある、恋を知った一人の少女の姿を隠しきれていなかった。


 ミュリエルは、そんな主の初々しい反応に「まあ!」と小さく声を上げ、自分のことのように嬉しそうに微笑むのだった。

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