第31話:ゼファルとアルクヴィス

 セレスティーヌとルミネッタの穏やかな時間を見届けた後、アルクは拠点としている「木漏れ日酒場」の一室に戻っていた。窓から差し込む月明かりが、静かに部屋を照らしている。そこに、音もなくゼファルが入室し、深く一礼した。


「アルク殿下。少々、よろしいでしょうか」


 いつになく真剣なその声色に、アルクは思考の海から引き戻される。「どうした、ゼファル」


「殿下にお伺いしたい儀がございます。……この後、どうなされるおつもりですか?」


 その問いは、あまりに唐突で、そして核心を突いていた。アルクは眉をひそめる。

「どうとは? 我々はセレスティーヌ嬢に協力し、王国の腐敗を正す。ルミネ嬢も取り戻した。やるべきことは変わらないはずだが」


 アルクの返答に、ゼファルは静かに首を振った。そして、意を決したように、これまで決して見せなかった内面を露わにする。


「……私の本音を申し上げましょう。ご察しの通り、私は父君のご命令により、殿下の監視役として、そして時には暗殺も厭わぬスパイとして同行いたしました」



 その言葉にアルクは驚かなかった。とうに覚悟していた事実だ。


「ヴォルフガング、リリス、ガロンの三人も似たようなものです。好戦派の息がかかった者として、殿下の『手柄』を見定めるために」



 ゼファルは続けた。「ですが、我々は変わった。この人間界で様々な者と関わり、彼らの社会の歪みと、その中で必死に生きる姿を目の当たりにして… 。特に、セレスティーヌ嬢…彼女の孤高と気品、そして民を想う心は、この私ですら認めざるを得ない」



 ゼファルはそこで一度言葉を切り、アルクの目を真っ直ぐに見据えた。


「だからこそ、申し上げねばならぬのです。殿下が報告でお聞き及びの通り、魔界の好戦派は、人間界との境界で小競り合いを続けていることになっています 。しかし、今回の王宮の一件、そして古代遺跡で我々が垣間見た歴史の断片を鑑みるに 、どうにも不可解な点が多い。好戦派は、表向きは人間と対立しつつ、その裏で一部の権力者と何らかの密約を交わし、共に利を得るための陰謀を進めているのではないか…私にはそう思えてなりません」



 それは、アルクが漠然と抱いていた疑念でもあった。セレスが暴いてきた人間の「悪」は、魔族の好戦派が好む負の感情のマナを生み出すことに繋がりすぎていた 。


「そして、最大の問題はセレスティーヌ嬢ご自身です」ゼファルの声が、一層低くなる。「彼女のこれまでの行いは、確かに正義かもしれません。ですが、王族の求婚を退け、クーデターを阻止し、公爵を失脚させ、ついには王子まで失墜させた 。そのやり方はあまりにも悪目立ちしすぎている。貴族社会での彼女の孤立は、もはや決定的です」


 ゼファルの指摘は、痛いほど的を射ていた。


「このままでは、彼女はさらに孤立を深めるでしょう。どれほどモンテクリスト侯爵家が力を持とうと、王家そのものを敵に回して対抗するには限界がある。いずれ、彼女は潰されます。そして、その時…貴方と我々魔族との関係が露見すれば、それこそが人間界と魔界の全面戦争の、格好の口実となりかねない」


 部屋に重い沈黙が落ちる。ゼファルの言葉の一つ一つが、アルクの胸に突き刺さった。セレスを愛すればこそ、彼女と共にいればこそ、彼女を最大の危機に晒すことになる。その矛盾を、ゼファルは冷徹な論理で突きつけてきたのだ。


「アルクヴィス殿下」


 ゼファルは、初めてアルクを敬称だけでなく、その名で呼んだ。


「貴方は、この後どうされるのですか? セレスティーヌ嬢の傍に、ただ『協力者』として留まり続けるのですか? それとも……」


 ゼファルの紅蓮の瞳が、アルクの覚悟を問うていた。魔界の王子として、セレスを愛する一人の男として、何を成し、何を捨てるのか。その答えを、今、出さねばならないのだと。

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