第20話:王宮の影、聖女の召喚

 遺跡の調査にはまだ時間がかかる見込みだった。彼らは、王都の状況を知る由もなかった。


 その頃、モンテクリスト侯爵邸では、ルミネッタが驚くべき回復を遂げていた。ガロンによるマナの教育とリハビリは、彼女の消耗した生命力を蘇らせるだけでなく、自身のマナを制御する能力を飛躍的に向上させていた。


 ルミネッタは、手のひらの上で、蛍のように微かな光を灯し、無邪気な笑顔を見せた。以前は、その力が暴走して周囲を破壊しかねなかったマナが、今や彼女の意思のままに操られている。


 アルクたちと共に、新たなギルド依頼で数日間、遠方へ向かっていたのだ。ルミネッタは、ガロンがいない間、ぽっかりと心に穴が開いたような寂しさを感じていた。マナの訓練は順調に進んでいたが、指導者の不在は、彼女に退屈な時間をもたらした。


 ――


 これまでの病床での生活と、突然の外出禁止令にうんざりしていたルミネッタは、回復した体を隠すことなく、侯爵邸の広大な敷地内を散策し始めた。陽光の下で、庭師たちが手入れする花壇を眺めたり、小鳥のさえずりに耳を傾けたり。彼女にとって、それは何年ぶりかの自由な時間だった。


 しかし、その無邪気な行動が、新たな波紋を呼ぶことになる。


「聖女ルミネ様が、回復されたらしいわよ!」


「病床に伏せっていると聞いていたが、庭園で姿を見たという者もいる!」


 侯爵邸の使用人たちの間から、瞬く間に「聖女復活」の噂が流れ始めた。使用人たちは、長年ルミネッタの回復を願っていたため、その喜びを抑えきれず、つい口を滑らせてしまったのだ。その噂は、あっという間に王都の貴族社会へと広がり、そして、王宮の耳にも届いた。


 ――


 王宮からは、すぐにモンテクリスト侯爵邸へと召喚状が届いた。それは、王家からの、聖女ルミネッタへの「出仕命令」だった。


「……まさか、これほど早く露見するとは……!」


 セレスは、召喚状を手にしたまま、絶望的な表情で立ち尽くした。ルミネッタの回復は、まだ完全に公表するつもりはなかった。ガロンによるマナ教育の成果も、魔族の関与という側面から、公にすべきではないと判断していたからだ。


 仮病を言い訳にすることもできない。ルミネッタが元気に敷地内を歩き回っている姿を目撃した者がいる以上、仮病はすぐに露見するだろう。王家からの召喚を無視すれば、どんな難癖をつけられ、侯爵家が糾弾されるか分からない。最悪の場合、王家との関係が決定的に悪化し、セレス自身の立場が危うくなるだけでなく、ルミネッタが強制的に連行される可能性さえあった。


 セレスは、苦渋の決断を強いられた。妹の安全と、侯爵家の名誉を守るためには、王宮の召喚に応じるしかない。たとえそれが、再びルミネッタを消耗させる結果に繋がるとしても。


「ガロン殿たちが、今ここにいれば……」


 セレスは、アルクたちの不在を恨んだ。王都を離れたアルクたちは、古代遺跡の調査に手間取っており、すぐには戻れない。まるで、この状況を狙ったかのような、絶妙なタイミングだった。

 もっとも、アルク達が居てくれたとて、王都からの召喚を止める手立てはなかった。それでもセレスはアルク達の献身に信頼を置いていた。



 セレスは、召喚状を読み終えると、一度深く息を吐き出した。

「ミュリエル。王宮への返書を準備なさい」


 ミュリエルは、緊張した面持ちでペンを構える。


「ルミネの病状は、ガロン殿のお陰で劇的に改善したものの、未だ不安定であると伝えなさい。特に、マナの急激な回復が、時に身体に負担をかける可能性があると強調するのよ。そして、王家への貢献の意思は変わらないが、万全の体調でなければ聖女としての真の力を発揮できないと」


 セレスの言葉に、ミュリエルは目を見開く。

「しかし、それでは仮病が露見しかねません。侯爵邸の庭でのルミネ様の姿は、すでに多くの者が目撃しています」


「だからこそよ、ミュリエル。完全に『治癒した』とは決して言わない。あくまで『回復傾向にあるが、不安定である』と伝えるの。そして、王家お抱えの医者が診ても、そう判断せざるを得ないような、一時的な症状の『再発』を演じてもらうわ」


 セレスは、ルミネッタの部屋へと向かいながら、頭の中で次の手を巡らせた。ガロンから学んだマナの基礎知識と、リリスから聞いた魔族の体の仕組み。それを応用すれば、一時的にマナの流れを制御し、体調を『悪化』させることは可能かもしれない。あるいは、ミュリエルが持つ薬学の知識と組み合わせるか。


「そして、王宮への出仕には、ルミネの安全確保のために、モンテクリスト家の騎士団から信頼できる護衛を同行させることを条件とすべし。もちろん、貴方も同行するわ、ミュリエル」


 ミュリエルは、セレスの覚悟に、無言で頷いた。


「さらに、王宮でのルミネの活動は、専属の医療チームの監視下で行われるべきだと伝えなさい。聖女の力を消耗品のように扱うことは、この国の未来を損なう行為だと。そして、ルミネがマナの制御を完璧に学ぶため、王宮内でも『教育時間』を確保することを要求する」


 セレスの言葉には、妥協を許さない鋼のような意志が宿っていた。彼女は、王家と真っ向から対立するのではなく、あくまで「聖女の力を最大限に活かすため」という大義名分を掲げ、王家が断りにくい条件を突きつけるつもりだった。


「ゼファルには、王宮内の情報を徹底的に探るよう指示を出して。特に、ルミネの召喚を強く推し進めている者が誰なのか、その真の狙いを知る必要がある。そして、アルク殿下たちへの連絡も急ぎなさい。彼らが戻るまで、私たちは最大限の時間稼ぎをするわ」


 セレスは、王宮の影に一人立ち向かう覚悟を決めていた。彼女の戦いは、妹の命を守るだけでなく、王国の未来を左右する、新たな局面へと突入しようとしていた。

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