第17話:束の間の静寂、聖女の病と魔族の奇跡
エルメス公爵邸での暴露劇は、王都に文字通り激震をもたらした。
長年にわたり巧妙に隠蔽されてきた貴族社会の暗部、とりわけ貧しい人々を食い物にする卑劣な奴隷制度と人身売買の実態が白日の下に晒されたのだ。エルメス公爵は失脚し、彼と類似した行いをしていた貴族たちは、その悪事が露見することを恐れ、一様に沈黙した。王都には、僅かながらだが、不気味なほどの平和が訪れていた。
「木漏れ日酒場」では、アルクたちがいつものように冒険者としての依頼を受けていた。しかし、貴族からの警護任務などは、以前にも増して減ってしまった。エルメス公爵の一件で、アルクたちとセレスティーヌ・ド・モンテクリストの間に何らかの繋がりがあることを疑う貴族が多かったからだ。表向きは繋がりがない体面を続けていたが、そうした疑念は払拭しきれない。
だが、アルクたちは情報収集に困ることはなかった。ゼファルが再編した「
そんな中、セレスからアルクへの連絡が入った。通常の連絡係ではなく、セレス直々の、少しばかり改まった内容だった。
「アルク殿下。この度、わたくしの両親に、貴方方をご紹介したいと存じます。正式に、モンテクリスト侯爵邸へお招きしたいのですが、いかがでしょうか?」
セレスの提案に、アルクは少し驚いた。彼女の家族への紹介は、彼らが協力関係を築く上での「信頼の証」だとセレスは考えていた。貴族社会からの孤立が深まるセレスにとって、アルクたちの存在は、もはや単なる協力者以上の意味を持っていた。
「……分かった。喜んでお招きに応じよう」
アルクは、快諾した。
モンテクリスト侯爵邸に招かれたアルクたちは、セレスの父であるモンテクリスト侯爵と、母である侯爵夫人と対面した。侯爵は、厳格ながらも思慮深い人物で、アルクたちの素性には気づいていないものの、娘セレスが深く信頼を置いている彼らを丁重に迎えた。侯爵夫人は、セレスの美貌は母譲りだと納得するほど優美な女性だった。彼女は、王都でのセレスの行動を案じつつも、娘の選んだ道を尊重しているようだった。
家族との会食を終えた後、セレスはアルクたちを連れて、侯爵邸の一室へと向かった。そこには、緊張した面持ちのミュリエルが待っていた。
「アルク殿下、皆様。ご相談がございます」
セレスは、表情を曇らせ、切り出した。
「わたくしの妹、ルミネッタのことです。通称ルミネと申します」
ルミネッタ・ド・モンテクリスト。彼女は、王都でも稀有な存在とされる「聖女」だった。生まれながらにしてマナを操る能力を持ち、その清らかなマナは、人々の病を癒し、祝福を与えると言われていた。しかし、その稀有な才能ゆえに、ルミネッタは王家に利用され、その身を消耗させていた。
「ルミネは、聖女としての力を王家のために使い続けています。しかし、その代償として、彼女自身の生命力が著しく消耗しているのです。どんな医者や魔法学者、聖職者に相談しても、解決策は見つからず、このままでは……」
セレスは、言葉を詰まらせた。ルミネッタは今、病床に伏しており、その命の灯火は、今にも消え入りそうだった。
アルクたちは、ルミネッタの部屋へと通された。そこには、まるで純白の妖精のように可憐な少女が、薄いシーツに身を包み、苦しそうに息をしていた。彼女の体からは、清らかなマナが常に流れ出ているが、それは枯れゆく泉のように、細く弱々しいものだった。
「この子は……自分の力の源も理解せず、ただ与えられた役割をこなしているだけだ」
アルクは、ルミネッタの体内から漏れ出すマナの流れを感知し、その状態を瞬時に理解した。聖女としてマナを扱うことはできても、そのマナを外部から効率的に取り込み、自身の生命力と結びつける能力が極めて低いのだ。王家が利用し、彼女からマナを搾取する一方で、彼女自身がマナを補充する術を持たないため、文字通り「消耗品」として扱われていた。このままでは、確実に死を迎えるだろう。
その時、ガロンが一歩前へ進み出た。
「……治します」
静かに、そして力強く。彼は、ルミネッタの傍らに座り、その小さな体にそっと手をかざした。ガロンの体内から、純粋で濃密なマナが流れ出し、ルミネッタの体を包み込んだ。それは、単なる治癒魔法ではない。ガロン自身の「
枯れかけていたルミネッタの泉に、清らかな水が注ぎ込まれるように、マナが満たされていく。彼女の顔色が、みるみるうちに回復していく。苦しそうだった呼吸は穏やかになり、やがて、その小さな体は安らかな寝息を立て始めた。
セレスは、その光景を信じられないものを見るように見つめていた。これまで、どんな高名な医者も、魔法学者も、聖職者も、ルミネッタの病の原因すら突き止められず、治療は不可能だと宣告していた。それが、目の前で、あっという間に解決したのだ。
「……ガロン、あなた一体、何をしたの……?」
セレスの声は、驚きと感動で震えていた。
「……マナを……与えただけ」
ガロンは、いつものように無口に答えたが、その瞳の奥には、かすかな満足の色が宿っていた。
この奇跡は、セレスの心を大きく揺さぶった。人間界の誰もが不可能と断じたことを、魔族であるガロンが成し遂げたのだ。それは、魔族が単なる「侵略者」や「悪」ではないという、確かな証拠だった。
(彼らと、共存する道はないのか……?人間と魔族が、互いを理解し、協力し合う未来が、もしかしたら……)
セレスの頭の中で、これまで頑なに閉ざされていた扉が、ゆっくりと開き始めた。エルメス公爵の一件で王国の腐敗を目の当たりにした今、この魔族の存在が、王国の未来を、そして世界のあり方を、大きく変える可能性を秘めていることを、彼女は強く感じていた。聖女ルミネッタの奇跡的な治癒は、セレスの心に、人間と魔族の共存という、新たな希望の光を灯したのだった。
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