第13話:木漏れ日の拠点、辺境の瘴気

 モンテクリスト公爵邸での「世紀の交渉」は、密やかに、しかし着実に進められた。


 セレスとアルクは、互いの目的が完全に一致しないまでも、この歪んだ人間社会の「悪」を正すという点では、強力な協力関係を築けることを確信していた。


 しかし、侯爵家に冒険者一行が長く駐屯するのは、王都の貴族社会において様々な憶測や噂を呼び込みかねない。特に、王族の求婚を拒否した後に、正体不明の蛮族に襲われたらしい…という噂も残るセレスにとっては、これ以上の波風は避けるべきだった。


「アルク殿下。ご協力には感謝いたしますが、これ以上ここに留まるのは得策ではないわ」


 セレスの冷静な判断に、アルクも同意した。


「分かった。外に拠点が必要になるな…」


 あれから既に一か月ほどが経過していた。


 アルクたちは一度街に戻ることにした。冒険者ギルドのマスター、マックスは、彼らが戻ってこないことを心配していたようで、アルクたちの姿を見るなり安堵の表情を見せた。


「お前たち、『アルクヴィス』!どこへ行っていたんだ!怪盗団の警護任務はどうなった!?」


 マックスの問いに、アルクはゼファルに教えられた通り、しれっと嘘をついた。


「ああ、マックス殿。警護任務で確保した族から情報を得て影蜘蛛団シャドウスパイダーズは、我々が本拠地を制圧し、その機能を完全に停止させました。もう活動できないでしょう」


 実際、影蜘蛛団シャドウスパイダーズの被害は、アルクたちが彼らを掌握し、活動を停止させたことでピタリと止んでいた。そのため、マックスも深く追求することなく、事なきを得た。


「そうか、それはご苦労だった!流石はお前たちだ!それで、また長期任務か?」


「いえ、今後はこちらに活動拠点を持ちたいと思いまして」


 アルクの言葉に、マックスは腕組みをして考え込んだ後、ニヤリと笑った。


「それなら、いい場所がある。『木漏れ日酒場』だ。宿も兼ねているし、飯も美味い。何より、女将おかみのシルビアは口が堅い。お前たちのような、少しばかり秘密を抱えてそうな連中にはぴったりだろう」


 マックスの推挙で、アルクたちの新たな拠点は「木漏れ日酒場」に決定した。

 そこは、陽気な常連客で賑わい、酒と料理の香りが漂う、いかにも人間らしい活気に満ちた場所だった。女将のシルビアは、健康そうなしっかりとした体つきで、優しく癒されるような笑顔持ち主で、一見するとただの酒場の女将だが、その目にはどこか全てを見透かすような鋭さがあった。



 セレスとの連携は、物理的な距離ができたことで、以前よりも簡単ではなくなった。しかし、第三者を仲介に入れるのは危険すぎるため、ヴォルフガング、リリス、ガロンが交代でモンテクリスト侯爵邸との連絡係を務めることになった。

 転移ゲートの常設も検討したが、あまりにリスクが大きいので今回は見送った。


 彼らはそれぞれの能力を活かし、密やかに情報と指示を交換していった。


 ゼファルは、影蜘蛛団シャドウスパイダーズを再編し、密かに王都の裏社会に諜報の網を広げ、新たな情報をセレスとアルクにもたらし続けた。

 活動費は、全てモンテクリスト侯爵家から密かに提供された。身分が曖昧な者は身分の保証まで行い、無法者の盗賊団だった過去は払拭されて、家族や恋人が人質に取られているものなどはその身内の開放と食の世話にまで至る。モンテクリスト侯爵家の慈善事業という名目で行われたが、セリアは特に問題視しなかった。


 アルクたちは「木漏れ日酒場」を拠点に、冒険者としての活動を再開した。


 表からはギルドの依頼をこなし、地位を上げることで情報とつてを広げつつ、裏では影蜘蛛団シャドウスパイダーズを使った諜報活動を進める。


 先ずは、セレスからの依頼と、アルク自身の問題意識が合致したクエスト――王都から離れた辺境の村で蔓延する疫病に関するクエストを受けることにした。



「依頼内容:王都から離れた辺境の村で原因不明の疫病が蔓延し、多数の死者が出ている。治療法が確立できず、ギルドが調査と援助を依頼」



 馬車に揺られ、数日かけて到着した村は、静まり返っていた。通りには人影もまばらで、空には瘴気のような重苦しい空気が漂っている。

 村人の顔は青ざめ、病に侵された者たちの苦しむ声が、あちこちから聞こえてくる。


「これは……マナのよどみがひどいな」


 アルクは、村を取り巻く空気に宿る、負のマナのよどみを敏感に感じ取った。


「殿下、この村の環境マナは極度に枯渇し、負の感情が堆積たいせきしているようです。それが疫病の原因である可能性が高い」


 ゼファルが、分析結果を冷静に告げる。


「原因不明の疫病、とギルドは言っていたが……人間界の医術では、このマナの淀みを治療することはできないのだろう」


 アルクの言葉に、ガロンが一歩前に出た。


「……治療します」


 無口なガロンの、静かな決意を秘めた言葉だった。


 彼はすぐに村の中心にある治療所へと向かった。

 そこには、多くの病人が苦しんでおり、彼らを治療しようと必死になる村の医者がいた。

 ガロンは、その医者に許可を得ると、病人の体にそっと手をかざした。

 彼の体内から、清らかなマナが溢れ出し、病人の体を包み込む。それは、人間界の既存の治療法では考えられない、魔族ならではのマナによる治癒だった。


 次々と病人の顔に生気が戻り、苦痛の表情が和らいでいく。ガロンのヒーラーとしての才能が、ここで開花した瞬間だった。

 村人たちは、その奇跡的な治癒に、ただただ驚きと感謝の念を捧げた。


 一方で、リリスは、村を歩き回り、疫病の真の原因をさらに深く探っていた。


 彼女は、幻惑の魔法を使い、村人たちの潜在意識に触れ、彼らの心の奥底に沈殿する負の感情を読み取った。


「なるほど……。この村の疫病は、特定の魔物や植物が原因ではないわね。水源に蓄積された、人間の『恐怖』と『絶望』、そして『憎悪』のマナが原因よ」


 リリスは、その村が過去に、隣接する貴族からの不当な土地徴収や、度重なる旱魃かんばつ、そして村を襲う盗賊の略奪によって、長きにわたり苦しめられてきたことを突き止めた。その積み重なった負の感情が、水源というマナの集積地に淀みとなり、疫病として顕在化したのだ。


 ヴォルフガングは、混乱に乗じて略奪を行おうとする盗賊や、疫病で弱った村人を襲おうとする小型の魔物を、圧倒的な力で排除し、村の秩序を保った。彼の荒々しい剣技は、村人たちにとっては恐ろしくも頼もしい存在だった。


 アルクは、ガロンの治癒とリリスの情報を受けて、この疫病の根源が、単なる病気ではないことを確信した。


「この土地のマナの枯渇こかつと淀みは、人間が引き起こした歪みだ。過去の人間による過剰な開墾、そして、その結果として生じた貧困や不満が、この村に負の感情を蔓延させ、マナを歪ませた……。

 さらに、貴族による過剰な税の摂取とそのノルマで無理な開拓と収穫を繰り返すせいで土地は回復する機会を持てずマナは枯れ、負のオーラばかりを吸収していた…」


 アルクは、疫病の解決策として、単に治癒を行うだけでなく、村に溜まった負のマナを浄化し、枯渇したマナを補給するための方法を模索し始めた。彼の目的は、一時的な救済ではなく、この歪んだ状況そのものを解決することだった。


 この辺境の村での疫病解決の任務は、アルクにとって、マナの枯渇問題が具体的な形で現れる事例を目の当たりにする機会となった。

 セレスにとっても、辺境の民の救済は、王国の統治能力を試す機会であり、貴族社会の暗部を浮き彫りにする絶好の機会でもあった。


 彼らは、この任務を通じて、王国の腐敗が、単に倫理的な問題に留まらず、世界の根源たるマナのバランスにまで影響を及ぼしていることを、改めて痛感するのだった。

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