第12話:交錯する思惑、変化する魔族たち

 モンテクリスト侯爵邸での交渉は、夜通し続いた。


 アルクはセレスから、王国の腐敗が如何に根深く、一部の特権階級の私利私欲が、いかにして民衆を苦しめ、果ては世界の均衡を破壊しているかを詳細に聞かされた。


 農地の不当な徴収、横行する汚職、そして、魔族への敵意を煽ることで、自らの支配を正当化しようとする王家の欺瞞ぎまん――。


 それは、アルクが人間界で目の当たりにしてきた光景と、彼が抱いていた「人間の悪」への疑問とが、見事に符合する内容だった。


「……あなたの考える『悪』は、私が認識する『悪』とは少し異なるようですが、目指す方向性は一致しているようですわね」


 セレスは、アルクの「自然を尊び、大地のマナを守る」という信念が、王国の腐敗を正すという自身の目的と、驚くほど合致していることに気づいていた。

 彼女は、アルクが好戦派とは異なる、純粋な理想を抱いていることを理解した。


「ええ。貴女の言う『悪』とは、人間社会の歪みが生み出した『病』のようなもの。そして、我々が認識する『悪』は、その病が世界全体に及ぼす『破壊』……。

 ですが、その根源を絶つという意味では、互いに手を取り合えれば、これほど強力なパートナーはいないでしょう」


 アルクは、セレスの聡明さと、揺るぎない正義感に感銘を受けていた。

 彼が魔界で感じていた「生きづらさ」は、セレスと出会うことで、少しずつ溶けていくようだった。


 互いの考えをぶつけ合い、時に激しく議論を交わしながら、彼らは協力関係を築くための道筋を模索し続けた。



 その間、ゼファルは、二人の議論の行方を見守っていた。


 彼の心の中には、これまでにはなかった葛藤が生じていた。魔王からの命令は、アルクの行動を監視し、失敗すれば暗殺することも厭わないというものだった。

 しかし、人間界の真実を目の当たりにし、セレスの語る王国の腐敗の様相を耳にした今、彼の冷徹な論理が揺らいでいた。


(この人間界の現状は、確かにマナの枯渇を招く。そして、殿下の考える『悪』の根源は、好戦派の目指すものとは全く異なる……。むしろ、このセレスティーヌ嬢の理念は、殿下の『自然派』としての信念と合致している。魔王の命令と、殿下の本質……この二つが、今、私の内でせめぎ合っている)


 ゼファルは、思考を巡らせた結果、ある結論に至った。


「殿下、セレスティーヌ嬢。ご提案がございます」


 ゼファルは、二人の議論に割って入った。


「配下にしました影蜘蛛団シャドウ・スパイダーズは、本来の強奪や人攫ひとさらいといった活動は、リスクの割に見返りが少ない。

 このままでは、人間社会に溶け込み、情報を収集する上で非効率極まりないでしょう。何より犯罪は取り締まりの対象になって自由度を狭めます。よって、その機能を解体し、日常世界に溶け込むことで情報を収集し活動する、諜報機関としての機能を持たせるべきだと進言いたします」


 アルクとセレスは、ゼファルの突然の提案に驚いた。


「諜報機関、ですか?」セレスが尋ねる。

「こうみえても、全方位敵意をまき散らしているわけでは無くてよ…情報を共有してくださる仲間は居るのです。」


「はい。承知しております。しかし、貴族社会とは別に彼らは王都の裏社会に精通しており、その情報網は捨て置くには惜しい。彼らを再教育し、私たちの目と耳として活用するのです。そうすれば、殿下の人間界における目標達成にも、セレスティーヌ嬢の王国改革にも、大いに役立つはずです」


 ゼファルの言葉は、冷徹な計算に基づいていたが、確かに理にかなっていた。アルクは、ゼファルのその計画性にも驚いたが、彼の言葉の裏に、アルク自身の目的への理解と、それを達成するための協力を感じ取った。


「分かった、ゼファル。その計画、お前に任せる」


 アルクの言葉に、ゼファルはわずかに表情を緩めた。

 魔王からの命令は、あくまでアルクの監視であり、彼の「手柄」を確実なものにすることだ。その目的を達成するために、ゼファルは自らの意志で、アルクの「目的」の実現に協力することを決めたのだ。


 他の魔族たちも、それぞれの場所で人間界に適応し、変化し始めていた。


 ヴォルフガングは、ギルドの依頼で新米冒険者の剣術指導者として、暇つぶし程度に剣を振るうことで憂さを晴らしていた。

 彼にとっては、人間相手に本気を出せないことが不満ではあったが、それでも、剣を振るうことは彼の性分に合っていた。


 屋敷に着いて以降、甲斐甲斐しく世話を焼いてくるミュリエルを、最初は煩わしく思っていたが、彼女の無邪気な好意は、彼の警戒心を少しずつ溶かしていた。

 彼の中では、彼女のことを「世話の焼ける子犬のような愛玩動物」的な視点で見ているが、誰もそれを咎めなかった。


 リリスは、夜な夜な街に繰り出して酒場を練り歩き、男たちを幻惑で悦ばせては、その快楽のマナを吸うことにハマっていた。無論、情報収集は怠らないしたたかさも持ち合わせた上での行動だ。


 彼女にとって、人間の感情は格好の「実験材料」であり、「嗜好品」だった。


 最初は警戒していた人間たちも、リリスの妖艶な魅力と巧みな幻惑術の前には無力だった。彼女は、日々、人間社会の深淵に潜む欲望を吸収し、その知識を深めていた。


 そして、ガロンは、意外にも孤児院や街の互助会集会所に詰めて、弱者救済を行うことを選んでいた。

 彼は、無口で多くを語ることはなかったが、ヒーラーとしての修行を通じて、相手からの感謝が最も有効な報酬であることに気づいていたのかもしれない。


 魔族としての彼は、効率と合理性を重んじる。


 人間から直接得られる「感謝」という感情が、彼にとって最も効率的なマナの摂取方法であると、彼は認識していた。


 そう、アルクたち一行は、人間社会に溶け込み、確実に変化し、染まって行っていた。

 しかし、彼らは決して本来の目的を見失ったわけではない。

 むしろ、人間社会のより深い部分に根差した「悪」を知り、それを解決することが、彼らが魔界に持ち帰るべき「手柄」なのだと、それぞれが感じ始めていたのだ。


 セレスは、彼らの変化に気づいていた。彼らが、ただの「侵略者」ではないことを。そして、この奇妙な協力関係が、ユグドラル王国、ひいては世界の未来を大きく変えることになるだろうと、確信していた。

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