第11話:マナの真実、歪む世界の摂理
モンテクリスト侯爵邸の一室で、アルクとセレスの間に、静かな、しかし濃密な時間が流れていた。ミュリエルが淹れたハーブティーの香りが漂う中、セレスはアルクの言葉に耳を傾け、その聡明な瞳は、かつてないほど真剣な光を宿していた。
「……つまり、あなた方魔族は、マナというエネルギーを吸収して生命を維持しているのですね。人間のように、物理的な食物を摂取する必要がないと」
セレスは、慎重に言葉を選びながら確認した。アルクは頷く。
「その通りだ。我々魔族の強さは、体内に蓄積できるマナの許容量と、それをどれだけ効率的に使えるかで決まる。魔界の魔族は、それぞれが固有のマナの器官を持つ。体内のマナが枯渇すれば、我々は生命を維持できない」
アルクの説明に、セレスはさらに深く思考を巡らせた。
「では、そのマナというのは、どこから来るのですか?」
「自然からだ。森羅万象、あらゆる自然が育むエネルギー、それがマナだ。特に、手付かずの自然の状態が最も純度が高く、我々にとって最も良質なマナ源となる。だが、人間界の『発展』と称する行為は……あまりにも急速に、そして度を越して、この世界からマナの純度を損ない、その総量を欠乏させ、破壊している」
アルクは、感情を抑えきれない様子で語った。彼の瞳には、人間界の現状に対する深い憂いが宿っていた。
「人間は、農耕のために森を伐採し、都市を築き、鉱山を掘り進める。それら全てが、大地のマナを奪い、その質を低下させている。魔界の価値観から見れば、王国の発展と領地拡大のスピードは、もはや世界そのものを滅ぼす行為に等しい」
アルクは、人間界で得た知識も含めて語った。彼がギルドで見てきた、不毛な土地へと追いやられる農民たちの姿、痩せ細っていく森の光景が、その言葉に説得力を持たせていた。
「我々魔族は、大地のマナを摂取することで生きている。だからこそ、人間界のこうした行為は、我々の生存基盤を脅かすものなのだ。魔界と人間界の争いの根本原因は、そこにある」
セレスは、その言葉に衝撃を受けていた。彼女が考えていた「魔族の侵攻」とは、全く異なる視点が存在することを知ったのだ。それは、単なる善悪の二元論では語れない、生存をかけた種族間の争いだった。
「……しかし、あなた方が、なぜ『人間の感情エネルギー』を摂取しているという情報があるのですか?」
セレスは、魔族に関する文献にあった記述を思い出し、問いかけた。その言葉に、アルクの表情が曇った。
「それもまた、魔族の真実の一部だ。魔族には、マナの純粋な摂取を好む『自然派』と、人間が世界からその体内に取り入れたマナを、感情というエネルギーに変換できるが、あえてそれを摂取する『好戦派』の二つの派閥が存在する。私は、自然派に属している」
アルクは、自身の属する派閥と、魔界の内部事情を明かした。
「人間が体内に取り込んだマナは、その肉体と精神を経て、感情という特定のエネルギーに変換される。そして、好戦派の魔族は、その感情を『嗜好品』として摂取するのだ。特に、恐怖、肉欲、殺意といった、本能に根差した強い感情は、彼らにとってより甘美で、より強力なマナとして感じられる」
アルクの言葉は、セレスにとってあまりにも衝撃的だった。人間が持つ感情が、魔族の糧となる。そして、その中でも、人間の負の感情が、より質の高いエネルギーとして利用されるという事実。それは、セレスがこれまで戦ってきた「人間の悪」が、魔族の「悪」とも奇妙な形で結びついていることを示唆していた。
「それは……つまり、人間が憎しみや恐怖を抱けば抱くほど、好戦派の魔族は力を得る、と?」
セレスの声に、かすかな震えが混じった。
「その通りだ。好戦派は、人間が負の感情を抱くような状況を作り出すことで、より効率的にマナを摂取しようとする。それが、人間界への侵攻の理由の一つでもある」
アルクの言葉に、セレスは自身の「悪役令嬢」としての行動、そして王国の腐敗が、知らず知らずのうちに魔族の好戦派を利していた可能性に気づいた。
ゼファルは、アルクがここまで正直に話すことに、内心驚きを隠せないでいた。彼は、アルクの甘さが、セレスという人間の前で露呈していることに、ため息をつきたくなった。
(殿下は、やはり甘い。しかし、このセレスティーヌ嬢の分析力と理解力は、予想以上だ……)
ゼファルは、この交渉の行方が、自身の予想を遥かに超えるものになることを予感していた。
――
セレスは、自室の窓から広がる夜の王都を見つめた。これまで見えていなかった、世界を覆う巨大な構図が、今、アルクの言葉によって明らかになりつつあった。彼女が「悪」と戦ってきた相手は、決して人間だけではなかった。そして、その「悪」の根源は、はるかに深く、複雑に絡み合っていたのだ。
「……なるほど。少し、状況が理解できてきましたわ」
セレスは、静かに言った。その声には、動揺の色はもはやなく、ただ、新たな真実を知った者の、冷静な探求心が宿っていた。彼女の頭の中では、魔族と人間、そして世界の未来を巡る、壮大な交渉の戦略が、既に練られ始めていた。
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