第9話:王宮の闇、森の邂逅、運命の恋路

 王宮からの召喚。


 それは、セレスティーヌにとって、王国の中枢に巣食う腐敗を直接目の当たりにする機会となった。


 現国王オーディン・ヴァルハルト・ユグドラル七世。年齢は60歳を超えていると言われているが、古の神の名を継承するだけあってその名に恥じぬが如く威厳をもって玉座に着いている。だが、幾重にも重ねて体形を見せない様にしている豪華な素地のシルエットからでも隠し切れない堕落した体のラインはその幅からもはみ出さんとしている。


 そんな国王陛下の前で、ルキウス殿下のクーデター企図を暗に指摘し、その計画の愚かさを論破し、更には軍務少将の関与を証拠も込みで指摘たセレスに、国王は渋々ながらも感謝の意を示した。


 これが成人した男性であれば、大々的に表彰され勲章を授与し褒美の一つもあるところであろうが、侯爵家といえど未婚の令嬢の地位で単独で評価されるようなことは慣例からも無かった。

 女性の地位の低さを、その能力とは別に評価されない現状はセレスにとっても好ましい状況ではない…ただ、そんな慣例含めた国の権力構造さえも改革してしまいたいと考える彼女としては黙って受け止めるだけの余裕があった。

 セレスは完ぺきな所作で国王に礼をを述べると、顔を上げた。


 国王の隣に座るのは王妃イシュタール・メルヴェイナ・ユグドラル。

 並みいる王妃候補を退けてそこに座る姿は、豪華に着飾っても死神が如くの形相は若く美しく躍動するセレスに対して憎悪と嫉妬の視線を扇子越しにも隠せていない。


 長兄の第一王子、レオンハルト・ヴァン・ユグドラルは各国を歴訪し不在であった。精力的に他国を公式訪問して外交にも力を入れているらしい。英雄級の豪胆さと力を持つと言われているが、セレスは謁見えっけんに拝したことはない。


 玉座の横に立つのは宰相オズワルドと第二王子シルヴァン・ヴァン・ユグドラル。

 そのさらに横には聖光せいこう教会の法王テオドールと第三王子クリストファー・ヴァン・ユグドラル。長兄不在に互いにその地位を争い、バックをつけて牽制し合っていることが良く分かる。


 いずれの立場の者であろうと、美しさと聡明さでセレスに敵うものなどはこのフロアには居ない。


 逆にこの場では、王家の面子を潰された王族や、日頃からセレスの「悪行」を疎ましく思っていた貴族たちの間に、彼女への反感が深く根付いたことを、セレスは肌で感じていた。


 王宮を後にし、モンテクリスト侯爵領へと戻る馬車に揺られながら、セレスはため息をついた。周囲には、王宮から手配された厳重な衛士の警護がついている。


(流石に、軍務少将まで槍玉に上げたことは、少しばかり性急だったかしら……)


 ルキウス殿下のクーデター計画に加担していた軍務少将の名前を、間接的とはいえ国王に示唆したことで、王家の権力中枢にまで波紋を広げてしまった。

 王家が動けば、彼らの報復は避けられない。しかし、これほど早く、しかも露骨な手を打ってくるとは、セレスも予想していなかった。


 馬車が、王国の街道から大きく逸れ、深い森の中へと分け入っていく。衛士たちの表情には、わずかな動揺が見て取れたが、彼らは誰かに操られるように、その指示に従っているようだった。


「……やはり、そうなるわね」


 セレスは、静かに呟いた。馬車が、人気のない森の奥でぴたりと停まる。


「お嬢様、何が……」


 ミュリエルの言葉を遮るように、馬車の扉が外から開かれた。セレスは、ためらうことなく馬車から降り立つ。



 そこに広がっていた光景は、セレスの予想をわずかに裏切るものだった。

 護衛の王国の衛士たちは、既に制圧されていた。


 しかし、彼らを組み伏せているのは、王宮の刺客や、どこぞの私兵団ではなかった。そこに立っていたのは、見慣れない四人の冒険者らしきグループだった。



 その中心に立つ青年――アルクヴィス・ゼファーは、その瞬間、セレスの姿を視界に捉えた。


 黄金の陽光をそのまま編んだかのような絢爛たる金髪、澄みきった碧天のごとき青い瞳、そして、その高潔な佇まい。

 まさに「氷の瞳を持つ無垢なる薔薇」という異名に相応しい、息を呑むような美しさだった。


(……なんて、美しい……)


 アルクの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。

 魔族の社会で育ち、これまで美しいものを数多く見てきたアルクだったが、セレスの放つ美しさは、彼の魂を揺さぶるものだった。

 彼女の瞳の奥には、冷徹さとは裏腹に、揺るぎない意志と、深い悲しみが宿っているように見えた。

 アルクを驚嘆させたのは、彼女の纏うマナであった。黄金色に光るオーラは他に類を見ない輝きを放っている。

 彼は、一目で、彼女に恋に落ちた。彼の魔界での「悪」の使命など、この瞬間、彼の意識から完全に消し飛んでいた。



 一方のセレスもまた、アルクの姿に目を奪われていた。

 夜明け前の静謐な湖面に蒼き魔力が滴ったような神秘の輝きを帯びた蒼い髪、陽の光すら跳ね返す月白の肌。

 そして、何よりも目を引いたのは、その神秘的な赤い瞳の奥に宿る、どこまでも澄み切った聡明な光と、彼自身の内なる優しさだった。

 それは、これまでセレスが出会ってきた貴族たちの、醜い欲望にまみれた目とは全く異質のものだった。


(この男は……一体……)


 セレスは、彼らの素性も、なぜここにいるのかも分からなかった。

 だが、そのアルクの瞳の奥に宿る、邪気のなさと、何よりもその圧倒的な美しさに、セレスは静かに、しかし抗い難い引力を感じていた。


 ヴォルフガングとリリス、ガロンは、アルクがセレスを見つめ、完全に魅入られている様子に呆れていた。とはいえ、人間の個体がこのようなマナを纏っているのを目の当たりにしては、ざわつく心があることを認めざるを得ない。

ゼファルは、冷静に周囲の状況を把握しながら、アルクの感情の変化に気づいていた。


「殿下、彼女がモンテクリスト侯爵令嬢、セレスティーヌ・ド・モンテクリストでございます。誘拐計画の対象人物に相違ありません」


 ゼファルの声が、アルクを現実に引き戻した。


「そ、そうか……。わ、我々は、その……貴女の誘拐を阻止しに来た者だ」


 アルクは、動揺を隠しきれないまま、言葉を選んだ。初めて会う人間の女性、しかも彼が「悪役令嬢」と認識している(実際は真逆だが)相手に、これほど心を奪われるとは、彼自身も予想外だったのだ。


 セレスは、アルクの不自然な言葉に、わずかに眉をひそめた。しかし、彼の瞳の奥にある純粋な光は、嘘を言っているようには見えなかった。


「……誘拐を阻止、ですか。それは、どういう意味かしら」


 セレスの問いに、アルクは言葉を詰まらせた。人間界にこのような存在があること自体が完全に想定外であり、全ての想定を覆すこの事態に動揺を隠せない。


 運命の出会いは、予期せぬ形で訪れた。そして、そこから始まる物語は、アルクの「悪」の使命と、セレスの「正義」の使命を、奇妙な形で結びつけていくことになるのだった。

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