第5話:王都のざわめき、冒険者の奇妙な務め

 アルク一行が辿り着いたのは、ユグドラル王国の首都、エルドラードだった。石造りの巨大な建造物がひしめき合い、土臭い埃と人々の喧騒が織りなす空気は、マナの満ちる魔界とはまるで異なる匂いを放っていた。


「これが、人間界の王都、ですか……」


 リリスが目を輝かせて周囲を見渡す。彼女の紫の瞳は、あらゆるものを興味深げに捉えていた。ヴォルフガングは眉間に深い皺を寄せ、警戒するように周囲を睨む。ガロンは相変わらず気だるげに、だがその目はしっかりと周囲の情報を拾っていた。


「情報収集から始めよう。人間がどのように生き、何を考えているのか、それらを深く理解する必要がある」


 アルクは、自身の使命を胸に刻み、一行を率いた。彼らはまず、人間社会の情報を得るために、王都の賑やかな酒場へと足を踏み入れた。そこは、人間たちの喜怒哀楽が渦巻く場所だった。酒に酔い、大声で笑い、時には罵り合う人間たちの姿は、魔族にとって理解不能な存在だった。

 彼らから漏れ出る感情のマナは怒り、悲しみ、絶望や不安、不満に至る様々な色と香りに彩られ、うっかり大量に吸うと甘い纏わりつくようなねっとりした快楽に蝕まれそうになる。

 すでに一回酩酊状態に陥ったヴォルフガングとリリスは自身を律して行動しようと意識している様で、どこか緊張感をもって周囲を見渡す。


「なんですか、これは。誰もが口々に意味のない言葉を垂れ流し、挙句、泥のように酔い潰れている。これが人間社会の真髄とでも言うのですか?」


 ヴォルフガングが、辟易したように眉をひそめる。アルクは、彼をなだめるように肩を叩いた。


「我々とは文化が違う。しかし、ここから見えてくるものもあるだろう」


 その時、これまで黙して一行の観察に徹していたゼファルが、口を開いた。


「殿下、感情的な情報収集は効率が悪いです…何より我らの精神性に影響が出そうです。より確実な情報を得るには、社会の末端から浸透すべきかと存じます。裏路地に巣食う浮浪者や、特定の情報屋から、彼らが日常で何を考え、何に不満を抱いているのかを探るのが賢明でしょう」


 ゼファルの淡々とした、しかし的確な助言に、アルクは頷いた。彼らは夜でも明るい酒場を後にし、王都の裏路地へと足を踏み入れた。そこには、光の当たらない場所で生きる浮浪者たちが身を寄せ合っていた。彼らから語られるのは、貧困、搾取、そして貴族や権力者への不満だった。


「……彼らは、なぜこんなにも苦しんでいるのですか?」


 リリスが、初めて感情的な問いを発した。魔族の社会では、マナの供給さえあれば、このような極端な貧富の差は生まれにくい。


「彼らは、この社会の歪みの犠牲者なのだろう。我々が知るべきは、その歪みがどこから来ているのかだ」


 アルクは、胸に込み上げる違和感を抱きながらも、淡々と情報を集めていった。


 そして、ゼファルが事前に調べていた通り、人間社会の隅々まで情報が行き届いている場所――冒険者ギルドへと辿り着いた。


「ここで、冒険者として登録しろだと?馬鹿げている!我らは魔族の王子に仕える者!なぜ人間の依頼で働くなどという真似をせねばならないのだ!」


 ヴォルフガングが激昂げきこうした。彼にとって、人間は狩りの対象か、せいぜい支配すべき存在であり、彼らに従うなど屈辱以外の何物でもなかった。


「落ち着け、ヴォルフガング。これも情報収集の一環だ」


 アルクがそう言うと、ゼファルが冷静に補足した。


「殿下のおっしゃる通りです。この社会では『通貨』と呼ばれる共通の数値化された信用取引であらゆるものが金額という設定基準において取引されている。

 我々のマナ管理とは比較にならないほど不便で複雑極まりない。しかし、この通貨という概念は、誰が持っても価値が変わらないという絶対性を持つ。

 記録に残らない、扱いに魔族のランクも関係ない。マナとは異なり、この絶対的な価値は、人間社会を動かす便利な道具となっている。

 そして、人間はこの絶対的価値に付き従う。ギルドに登録し、この社会の仕組みを肌で感じることは、人間社会への潜入において最も効率的だと、私は判断しました」


 ゼファルの理論的な説明に、ヴォルフガングは渋々ながらも承諾した。ガロンは何も言わず、ただ無表情でアルクを見つめていた。彼にとって、効率が良いか悪いか、それだけが判断基準なのだろう。


「登録手続きは私が担当します。殿下方は、身分を偽る準備を」


 ゼファルはそう言って、慣れた手つきで冒険者ギルドの受付へと向かった。彼のその手際と、人間社会の細部にまで気を配る周到さは、アルクをして「さすがゼファルだ」と感心させるほどだった。

 名前を適当に偽り、種族差異を認識阻害、粗末な旅装に身を包んだ一行は、かくして「新米冒険者」としてギルドに登録された。



 その日から彼らは、いくつかの簡単なクエストを真面目にこなしていった。迷子の猫探し、薬草採取、ゴブリンの討伐……。



 最初は理解不能だった「労働」という概念も、こなしていくうちに、人間社会の一端を垣間見せる窓口となった。

 彼らは、与えられた金額と引き換えに労力を提供する中で、この人間社会が、魔族が想像していたような「統一された意志で自然破壊を行い、魔界に侵攻する単純な種族」ではないことに気づき始める。


 むしろ、王族や貴族といった一部の特権階級の支配層と、農民や職人、冒険者といった労働階級に分かれていた。実際に力を使い、農耕や狩猟を行う生産者が、血筋だけで搾取する側に回った無能な貴族たちによって搾取されている現状を目の当たりにし、アルクは強烈な違和感を覚えた。


「……彼らは、魔族の言う『大地の心』を破壊しているが、それは自らの意思ではなく、一部の支配層の都合のためなのか……?」


 アルクの独り言に、ゼファルが答えた。


「その可能性は高いかと。彼らの社会は、マナの多寡たかではなく、富と権力によって階層が形成されている。

 そして、その富と権力は、下層の労働者たちから搾取することで維持されているようです。彼らが『発展』と呼ぶものは、我々の言う『自然破壊』と密接に結びついていますが、その恩恵にあずかるのはごく一部の人間だけ。むしろ、大多数の人間もまた、その歪んだ社会の犠牲者と言えるでしょう」


 ゼファルの言葉は、アルクの抱いた違和感を裏付け、その輪郭をより鮮明にした。彼らが抱いていた「人間」という漠然とした概念が、日々の冒険者活動を通じて、複雑な社会構造を持つ、多様な存在へと変貌していく。


 その中でも、アルクの心に最も強く残ったのは、労働者たちの疲弊しきった顔の中に時折見せる、ささやかな喜びの表情だった。彼らは、奪われるばかりの生活の中で、わずかな報酬や助け合いに希望を見出し、懸命に生きていた。


 アルクは、自身の「魔族としての価値観の確立」の使命と、目の前の人間たちの現実との間で、葛藤し始めていた。彼の「手柄」とは、一体何なのだろうか。魔界の価値観で「悪」を成すことが、求められている自身の成果なのか――。


 冒険者としての奇妙な務めは、アルクの心に、これまでになかった問いを投げかけ始めていた。

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