第4話:悪意の求婚、愚者の退場
セレスティーヌ・ド・モンテクリスト侯爵令嬢は、その美貌と聡明な頭脳で圧倒的な貴族界隈で存在感を放っていた。
国や貴族、議会に蔓延る不正や腐敗は長く平和が続いた社会においてその温床となるのは必然であり、セレスは悪徳、悪辣、悪鬼羅刹と呼ばれようと己が正義を信念として貫き、家督と妹のルミネ、そして領地の民衆を護ることを常に考えている。
しかし、悲しいかな令嬢としての立場では政略的な結婚、縁談の話は妙齢なセレスには避けて通れない話であった。
ある日の午後、モンテクリスト侯爵家を訪れたのは、見るからに下品な笑みを浮かべた男だった。
名をグラハム・フォン・ベルンハルト。
新興のベルンハルト商会を率い、近年、莫大な富を築き上げた男爵家の嫡男だ。
その商会は、民衆から不当に作物を買い叩き、高値で売りつけるアコギな商売で成り上がったと専らの噂だった。
さらには、自身の商隊に高額な保険を掛け、子飼いの盗賊団に襲わせることで保険金を騙し取るという、耳を疑うような悪辣な手口でさらに財を成しているとも囁かれていた。
当然、貴族としての品格など持ち合わせておらず、金に物を言わせて地位を買い取った成金貴族の典型である。
セレスと取引もあり、親交も深い『
「これはこれは、モンテクリスト侯爵令嬢殿。ご機嫌麗しゅう」グラハムは、セレスの前に立つと、ねっとりとした視線で彼女を品定めするように眺めた。彼の目は、獲物を狙う獣のような
「グラハム様、何の御用でしょうか」セレスは、表情一つ変えず、冷たく言い放った。その声には、一切の感情がこもっていなかった。
「いやはや、ご存知ないはずはありますまい?わたくしが、貴女様との縁談を求めて参上つかまつったのですよ」グラハムは、得意げに胸を張った。彼の言葉に、セレスの侍女ミュリエルが思わず息を呑む。セレス自身も、わずかに眉をひそめた。
「縁談、でございますか?聞き捨てなりませんわ。我がモンテクリスト家は、由緒正しき侯爵家。新興の男爵家との縁など、ありえません」
セレスは、明確な拒絶の意を示した。
「そうおっしゃらずに。我がベルンハルト家には、有り余るほどの富がございます。貴女様のご病弱な妹君、ルミネッタ様の治療や、療養に必要な費用も、全てこちらで持ちましょう。それに、最近、モンテクリスト家の財政が芳しくないと耳にしました。どうです?この縁談、悪い話ではないでしょう?」
グラハムは、嘲るような笑みを浮かべた。
彼の言葉は、セレスの逆鱗に触れた。
病弱な妹ルミネの件は、セレスにとって最も触れられたくない部分だった。
ルミネは聖女としての天賦の才を持ち、稀代の癒やしの力を持つが、その力が政治利用され、無理な儀式や治療を強いられ、心身ともに病床にあるのだ。セレスは、ルミネの命と回復こそが、自身の目的の重要な鍵だと考えていた。
「……その口を慎みなさい、グラハム様」セレスの声は、氷のように冷たかった。部屋の空気が、一瞬にして凍り付く。
「おや、ご立腹かな?だが、事実でしょう?貴女様の『悪行』のせいで、
グラハムは、セレスの「悪役令嬢」としての評判を逆手に取り、さらに挑発を続けた。セレスは、自身の「悪役」としての行動が、真意を理解されず、貴族社会で孤立していることを知っている。
その時、静かに事の成り行きを見守っていたミュリエルが、一歩前に出た。
「グラハム様、モンテクリスト家への無礼、これ以上は看過できません。お引き取りください」ミュリエルは、毅然とした態度で言った。
「ほう?たかが侍女が、このわたくしに指図するとは、図々しい。この家は、もうすぐわたくしが支配するのだぞ?」グラハムは、ミュリエルを一瞥すると、鼻で笑った。
セレスは、ゆっくりと立ち上がった。その澄んだ青い瞳が、グラハムを射抜く。
「グラハム様。貴方のような、金に目がくらみ、民を
「な…なんだと?!」グラハムは、顔色を変えた。
「貴方が我が家に縁談を持ちかけたのは、単に我が家の管理する土地と、私が持つ社交界への影響力を利用するためでしょう。そして、ルミネッタを政治利用しようと企んでいる。見え透いた魂胆ですわ」
セレスは、すべてを見透かしたように言い放った。
彼女は、王国の腐敗を正すため、そして病弱な妹を守るために、冷徹な手段を選んできたのだ。
「ふ、ふざけるな!証拠でもあるまい!」グラハムは、必死に反論した。
「証拠は、ございますわ。貴方がこれまで行った悪辣な商売の記録、不当に買い叩かれた農民たちの訴状、あまつさえ、貴方が商隊に保険を掛けて子飼いの盗賊に襲わせ、保険金を騙し取っていたという証拠、そして、古い友人や我が家の者を使って密かに探らせた、貴方の財産隠しの手口……全て、このモンテクリスト家にございます」
セレスは、書棚から一冊の分厚い帳簿を取り出した。
そこには、各所から集まる取引の帳簿を含めたセレスが収集した証拠が集められていた。その表紙には、グラハム・フォン・ベルンハルトの名前が記されていた。
グラハムの顔から、血の気が引いていく。
「まさか……」
「まさか、ではございませんわ。貴方のような、金で全てが手に入ると信じている愚か者は、いつか必ずその足元を掬われる。それも、貴方が求婚して手に入れようとする私、『悪役令嬢』の手によって、ね」セレスは、冷たい笑みを浮かべた。その笑みは、まるで猛毒のトゲを持つ薔薇のようだった。
「ぐっ……」グラハムは、絶句した。
彼は、セレスが以前、慈善事業の資金を私的に流用しようとした子爵令嬢ベアトリスを公衆の面前で徹底的に追い詰めたことを思い出した。
この女傑としての毒を我が物にすれば、社交界での浸透と発展を目論めるなどという浅はかな打算が、自分はバレていないなどという都合の良い方向に進まないことを思い知ることになった。
そう、あの時と同じ、有無を言わせぬ絶対的な「悪役令嬢」の姿が、グラハムの目の前にあった。
「お引き取りください、グラハム様。二度と、我が家の敷居を跨ぐことのないように。もし、この件を公にされたくなければ、ね」セレスの言葉に、グラハムは震え上がった。
結局、グラハムは何も言えず、顔を真っ青にしてモンテクリスト侯爵家を後にした。彼の背中は、まるで嵐に吹き飛ばされた枯葉のように、見るからに侘しいものだった。
セレスは、静かにため息をついた。ミュリエルが、心配そうにセレスを見つめる。
「お嬢様、お疲れ様でした。申し訳ございません……これで、しばらくは静かになりますでしょうか」
「そうね…ミュリエル。でも、なぜ貴方が謝るのかしら?」
「先日の騒動の時に私がお支え頂ける伴侶が居れば…とお話したことを覚えておいででしょうか?」
「そんなことを言ったかしら?」
ミュリエルが女系のモンテクリスト家の問題を憂い、伴侶を探す手配をしていることはセレスは知っていたが、指示にないことをしていることを認めたら罰せなければならい。
「よしんば私に縁談の話があったとしてもこんな小物が相手では、この国の腐敗は根絶できないわ。本当の敵は、もっと奥深く、王都の闇に潜んでいるのだから」
セレスは、窓から遠くの王都を見つめた。その瞳には、領地と領民を守るだけにとどまらず王国に蔓延る「悪」を討ち、真の平穏をもたらすという、揺るぎない決意が宿っていた。
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