第6話:王家の血族との縁談・破滅の破談

 グラハム・フォン・ベルンハルトとの騒動が収束し、モンテクリスト公爵邸に束の間の平穏が訪れたのも束の間、新たな嵐の予感がセレスティーヌを襲った。


 今度は、王都にその名を轟かせる、正真正銘の王族ロイヤルからの縁談だった。どうやらミュリエルの配慮は思わぬ形で貴族階級に浸透し、想定以上の効果をもたらしていた。


 ユグドラル王国において、王位継承権は絶対的な重みを持つ。


 しかし、12位という順位は、実質的に王座とは無縁に近い。


 それでも、その血統は彼に一定の発言力と、貴族社会での特権を与えていた。求婚者――ルキウス・ド・ユグドラル。第三王子の庶子しょしであり、その母は地方貴族の出であったため、王宮内では冷遇されていると噂されていた。


「セレスティーヌ様、ルキウス殿下が、貴女様あなたさまにお目通りを願っております」


 ミュリエルの報告に、セレスは手元の書物を閉じた。

 先日とは違い、彼女の表情には微かな緊張が走っていた。

 末端とはいえ王族、しかもその背後には不穏な動きがささやかれている男からの求婚は、決して看過できるものではなかった。


 応接室に現れたルキウスは、グラハムとは対照的に、整った顔立ちと上品な身のこなしをしていた。しかし、その瞳の奥には、野心と陰謀いんぼうの光が宿っているのをセレスは見逃さなかった。


「セレスティーヌ嬢。このルキウス、貴女様の美貌と聡明さに、深く心を奪われました。どうか、この私めと夫婦の契りを結んでいただけないでしょうか」


 ルキウスはひざまづき、手にした純白の薔薇を差し出した。

 その言葉遣いも態度も、非の打ち所がないほど完璧だった。だが、セレスにはその裏に隠された意図が明確に見えていた。


「ルキウス殿下。身に余る光栄ではございますが、わたくしは『悪役令嬢』と蔑まれる身。殿下のような高貴な御方には、相応しくございません」


 セレスは、あえて自嘲するように答えた。しかし、彼女の瞳は冷静にルキウスの反応をうかがっていた。


「とんでもない!貴女様の『悪役令嬢』としての振る舞いは、全てこの腐敗した王国を憂いてのことと、このルキウスは承知しております。むしろ、その揺るぎない正義感こそが、わたくしを魅了してやまないのです」


 ルキウスは、甘い言葉でセレスを持ち上げた。彼の言葉は、まるでセレスの隠された真意を理解しているかのように聞こえた。だが、セレスは知っていた。この男は、己の野望のために、他者の心を読むことに長けた、危険な策士であることを。


「お言葉、痛み入ります。しかし、殿下は王位継承権を持つ御方。わたくしのような者は、殿下の御立場を危うくするだけかと存じます」


 セレスは、あくまでも冷静に距離を保った。


「ご心配には及びません。むしろ、貴女様こそが、この腐りきった王家を刷新いっしんする力となると、私は確信しております。王位継承権12位……確かに、現状では王座は遠い。しかし、貴女様のお力添えがあれば、この王国に真の光をもたらすことができるはず。共に、この国を立て直し、新たな秩序を築こうではありませんか」


 ルキウスの言葉は、ついにその本性を現した。彼は、セレスの持つ知力と影響力、そして何より「悪役令嬢」というレッテルを利用し、自身の王位簒奪さんだつ計画に引き込もうとしていたのだ。


「……殿下は、このモンテクリスト家を、そしてわたくしを利用しようとされているのですね」


 セレスの声は、以前よりも一層、冷たさを増していた。その視線は、ルキウスの野心を見透かすように、深く、鋭く光っていた。


「利用…とは人聞きの悪い。これは、互いの利益のための協力関係ではありませんか。この国の現状をうれう同志として、共に手を取り合いたいと願っているのです」


 ルキウスは、あくまでも穏やかな口調を崩さない。しかし、その言葉の裏には、セレスを操ろうとする明確な意図が隠されていた。


「同志…ですか。残念ながら、殿下とわたくしでは、目指すものが違いすぎます」


 セレスは、静かに首を振った。


「ほう?貴女様は、この腐敗を座して見過ごすと?」


「いいえ。わたくしは、この国の腐敗を正すために、あらゆる手段を講じます。ですが、それは殿下のような、私利私欲のために王座を狙う方の手伝いではございません。ましてや、クーデターなどという、無益な血を流す手段は選びませんわ」


 セレスの言葉に、ルキウスの表情がわずかに歪んだ。クーデターという言葉は、彼が最も隠しておきたかった計画だった。


「どこから、そのような情報を……」


「どこから、かは申し上げられません。ですが、殿下が最近、密かに王都の兵士たちに接触し、王宮内に潜む内通者とはかりごとを巡らせていること、そして、貴族派閥の有力者たちを抱き込もうとしていること……そして、看過しかねる部分として、近隣国のアイゼンブリュート帝国に資金源を頼るなど……全て、わたくしは承知しておりますわ」


 セレスは、ルキウスが計画していたクーデターの全容を、よどみなく語った。その言葉の一つ一つが、ルキウスの心臓を鷲掴みにするかのようだった。彼の顔から、血の気が引いていく。


「まさか……私が、これほど慎重に事を運んでいたというのに……」


「殿下の甘さですわ。どんなに隠そうとも、悪意は必ず形となり、いずれ露見するもの。特に、殿下のような、王族という立場を笠に着て、私腹を肥やすことを目論む者は、足元を掬われやすいのです。協力を申し出た軍務少将殿には、お酒の節制をしていただいた方がよろしいかと存じます」


 セレスは、あざけるような笑みを浮かべた。その笑みは、グラハムに向けた時よりも、さらに冷酷で、容赦がなかった。


「……貴女は、一体、何者なのだ」


 ルキウスは、震える声でセレスに問いかけた。彼の目には、恐怖と混乱が入り混じっていた。


「わたくしは、ただの『悪役令嬢』ですわ。ですが、殿下のような、国を乱す『悪』は、決して許しません」


 セレスは、ルキウスに背を向け、窓辺へと歩み寄った。その背中には、王国の未来を背負う者だけが持つ、揺るぎない覚悟が宿っていた。


「お引き取りください、ルキウス殿下。そして、二度とこのモンテクリスト家の敷居を跨ぐことのないように。もし、この件を王宮に報告されたくなければ、ね」


 セレスの言葉に、ルキウスは何も言えなかった。彼は、まさに悪夢の中にいるような顔で、その場を立ち去った。彼の王位簒奪の野望は、セレスの手によって、芽吹く前に完全に破壊されたのだった。


 セレスは、静かに窓の外を見つめていた。王都の空は、今日も曇り空だった。


 立ち去ったルキウスの一行を見送りながらミュリエルがすまなそうな顔をして何か言いたそうにするのをセレスは制する。


「……王宮の闇は、思った以上に深いようね」


 セレスの呟きは、ミュリエルには聞こえなかった。彼女は、王国の腐敗を正すために、これからも「孤高の悪役令嬢」として、その悪名を轟かせ続けることを決意していた。

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