第3話:魔界の王子人の世の常に驚嘆す

 アルクを追って転移門をくぐったのは、ゼファルを含め、3名の魔族の若者たちだった。彼らは好戦派の血気盛んな者たちで、人間界での功績を渇望していた。

 これから人間界に至り、共に行動をするのだからと一度は無視されてしまったが、自己紹介をしてもらった。


「前衛剣士としてアルクヴィス様の前をお守りいたします、ヴォルフガングと申します。以後お見知りおきを」

 ヴォルフガングは身長が高く、がっしりとした体格の魔族。荒々しい赤毛と、常に獲物を探すかのような鋭い眼光が特徴だ。

 無口で近寄りがたい雰囲気を放っているが、その剣技は魔界でも一目置かれているらしい。人間を「弱い」と見下しており、力を誇示することに価値を見出す好戦派の典型だ。


「リリスと申します王太子。魔法を担当致します」

 リリスは長く艶やかな黒髪と、神秘的な紫色の瞳を持つ、妖艶な雰囲気の魔族。常にどこか楽しげな笑みを浮かべているが、その内には冷酷な計算高さが隠されているようだ。

 様々な属性の魔法を使いこなし、特に幻惑や精神干渉を得意とする。人間界の「文化」や「感情」に強い興味を示しているというが、それを「実験材料」として捉えている節がある。


「ガロンです…」

 ガロンは小柄で痩身そうしんだが、どこか飄々ひょうひょうとした雰囲気を持つ。

 常にだるそうにあくびをしたり、ぼんやりと遠くを見つめていたりすることが多い。しかし、その手から繰り出される治癒魔法は絶大で、重傷も瞬く間に回復させる。好戦派ではあるものの、直接的な戦闘を好まず、自身の能力を「効率的な勝利のための道具」と考えているようだ。


 ゼファルは前線で戦った経験もある様だが、他のメンバーはアルク同様初めての人間界入りだ。

(みな優秀であることは間違い無い…まあ、ボク処分するだけの命を受けているならとっくに僕は死体になっているだろうね…そこは当てにするしかあるまい)


「先ずは調査のために潜入しよう…ゼファル、人間族は我らとは生活習慣も文化も異なるということだが、見た目はそこまで違いがないと聞いている。潜入は容易だろうか?」

「はい、アルクヴィス様…人間族に直接接触したことがない陛下は驚かれるかもしれませんが…ただ、彼らは生きるために糧を直接口から摂取する野蛮な生き物です、決して相容れられない種族であることは間違いありません」

 ゼファルの吐き出すように語る口調に、嘘は無さそうだが釈然としない思いがするアルクであった。


「わかったよ。ゼファル…心に留めておこう。それから今後はボクのことはアルクと呼んでほしい…王子扱いされるのは目立ちそうだ」

 ゼファルは少しだけ驚いた顔をしてからフと笑い「…承知しました。」

 と請け負ってくれた。


 ――


 アルク一行が最初に着いたのは、ユグドラル王国の末端に位置する、小麦畑とトウモロコシ畑が広がる小さな農村だった。一見して、魔界の荒々しい自然とは全く異なる、整然とした風景に、アルクは戸惑いを隠せない。


「これが、人間の営み…」

(自然界でも一か所に同植物が密生することはあるが、このような手間をかけて見渡す限りを手間をかけて密生させる労力に何の意味があるのか…興味深い)


 アルクは呟いた。魔族は、大自然の育む生命連鎖から湧き出るマナの流れを摂取して心身を癒し、活動する。

 マナを大地の恵みとしてありのままに受け取る彼らにとって、大地を耕し、穀物を植え、整地してしまう人間のやり方は、自然を歪ませ、マナを枯渇こかつさせる行為に他ならなかった。

 この光景を見て、アルクは改めて、人間と魔族の文化的な隔たり、そして自身の抱える任務の難しさを痛感した。


「殿下、変装を」ゼファルが促した。アルクはフードを目深に被り、人間用の粗末な服を身につけた。ヴォルフガング、リリス、ガロンも同様に身なりを整える。

 リリスは認識誤認の魔法をかける。


 村に入ると、彼らは驚くべき光景を目の当たりにした。

肌、髪の毛色は見て分かるくらい魔族と異なるが、生物としての外見はほぼその機能含めて同じに見える。

 広大な農地で働く人々は、決して贅沢をしているわけではない。粗末な服をまとい、額に汗を流しながら、黙々と畑を耕している。その暮らしぶりは、魔界の最下層の魔族ですら経験しないほどの質素さだった。


「これだけの土地を削り取って、何故これほど貧しいのか…」アルクは困惑した。彼らの常識では理解できない光景だった。


 ゼファルを筆頭に、同行者のヴォルフガングとリリスの目がギラリと光った。彼らにとって、土地の開墾という行為はこの世界の秩序を改造する不敬な行いで、人間への「正当な怒り」と「大義名分」を与えたのだ。


「フン、自然を破壊しておいて、このザマか」ヴォルフガングが低い声で呻き、剣の柄に手をかけた。


「あらあら、もったいないわねぇ、こんなところに感情を浪費するなんて」リリスは薄い笑みを浮かべ、指先から小さな魔力を放った。


 躊躇ちゅうちょなく、ヴォルフガングは村人の一人に飛びかかり、地面に組み伏せた。リリスは、もう一人の村人の精神に干渉し、恐怖の幻覚を見せる。彼らは、決して殺しはしない。まだ若く、殺しに慣れていない。その上、アルクは潜入が最初の任務だと強く命令していた。

 しかし、村人の恐怖と悲鳴が、周囲の空気を震わせた。


 その瞬間、アルクは異変を感じた。

 村人から発せられる強烈な感情のマナが、ヴォルフガングとリリスの全身を駆け巡り、彼らの瞳を血のように赤く染め上げていく。

 彼らは、まるで酩酊したかのように、陶酔した表情を浮かべた。


 魔族にとって、人間の醸し出す感情というエネルギーは、自然のマナと同じ効果がある。

 しかし、その感情次第で、無味無臭の自然のマナとは違い、激しく興奮し、自身の欲望を増幅させる効果があるのだ。

 前線で戦う好戦派の魔族が、この感情という「フレーバーの効いたマナ」を摂取することで酔い、自身の欲望が壊れていっているのだと、アルクは身をもって理解した。


 ガロンは、一連の騒動を冷めた目で眺めていた。彼の表情には、達観したような諦めと、わずかな面倒臭さが滲んでいる。彼にとって、これはただの「効率の悪い行動」でしかなかった。


「ヤバいっすよ、アルクさん!」

 ヴォルフガングが荒い息を吐きながら、興奮した声で叫んだ。リリスもまた、顔を赤く染め、恍惚とした表情で笑っている。

(なんと言うことだ!好戦派が前線に出たがる筈だ…成程このマナがもたらす興奮と快楽は大量に摂取するのは危険だ)

 この末端の小さな村で、僅かに感情というマナを吸うことでここまでチームが壊れかかるのであれば、とてもではないが潜入任務どころではない、とアルクは焦りを感じた。


 ゼファルもまた、感情のマナに翻弄されているようだった。しかし、経験のある彼の意志は強く、自意識をなんとか保っている。

 彼は、更なる狂気に走ろうとするヴォルフガングとリリスの首筋に手をかざし、強引にその動きを止めた。


「そこまでだ、ヴォルフガング、リリス。早々に村を立ち去る」


 ゼファルの冷徹な声に、ガロンが反応し、治癒魔法をかける。二人は酔いが覚めたかのように落ち着いた後顔色を変えた。ゼファルはアルクに視線を向けた。


「自制を利かせなければ、潜入どころではありませんな…如何致しますか?」

こうなってはアルクの決断次第では潜入から切り替えて村人を虐殺しかねない…とその目が語る。

(異文化交流…という選択肢も考えてみていたが…先が思いやられるな)


「ここで目立って常に戦いを呼び込む行動の連鎖を生み出す判断は現段階ですべきでは無い。我々の人間に対する知識も実際の経験の中で安易に通用しない事が分かった。…そうだね、人間の中でも強力な協力者を見つけ、上手く利用するべきかな」


 アルクの提案にゼファルは頷いた。このままでは、任務どころか、自身が人間界でどうすべきかさえも危うくなる。


 一行は、荒らされた村の住人はガロンに回復させ、早々に立ち去る。

 リリスの魔法で記憶の操作を行い痕跡は消すのも忘れない。


 目立つ行動を避けて王国の都市の中心を目指して進んだ。

道中、彼らは人間界の「新聞」なる情報誌を手に入れ、その文化と文字を学習した。


 大気中のマナは加工された大地からは殆ど吸収できず、少ない街同士の間のわずかに残った自然から摂取し、場合に寄っては仕方なく気をおかしくない程度に、町の酒場や賭博場などで人々から感情の混じったマナを吸いながら、彼らは王都へと向かう。


 アルクの心には、一つの目標ができていた。新聞で得た情報の中に、「悪役令嬢」と呼ばれる女傑が国家転覆を狙う活動をしていると書かれているのを見たのだ。


(悪役令嬢、か…もし、あの記事が真実ならば、彼女は人間側の優秀な参謀になってもらえるかもしれない)


 アルクは、自身の理想と、魔界の「悪」の使命を両立させるための、新たな可能性を見出していた。

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