第2話:悪役令嬢セレスティーヌ

 ユグドラル王国の辺境、森と湖に囲まれた広大な領地。その中心にそびえる壮麗な城は、代々続く侯爵家、モンテクリスト家の居城であった。


 モンテクリスト侯爵令嬢、セレスティーヌ・ド・モンテクリスト(通称セレス)は、その日も自室で書物を紐解いていた。

 長く波打つ金髪は陽光を受けて煌めき、澄んだ青い瞳は知的な光を宿している。

 その美貌と知性で、彼女は「王国に咲く至宝」と称される一方で、その気性の激しさと、並外れた行動力ゆえに、王都の社交界では「悪役令嬢」という不名誉な異名が囁かれていた。


「また、つまらない噂話ね」


 セレスは、手にしていた新聞記事を軽く叩いた。

 そこには、彼女が最近、王都の慈善事業の資金を巡って、とある子爵令嬢と激しく衝突した顛末が、面白おかしく書き立てられていた。


 実際には、子爵令嬢が資金を私的に流用しようとしていたのを、セレスが暴いたに過ぎない。


 ――


 その日の出来事を、セレスは鮮明に思い出していた。


 王都で開催された「貧困に苦しむ孤児のための慈善舞踏会」。発起人は王妃おうひ陛下であったが、その実務は王都の貴族令嬢たちが分担して行っていた。セレスは、その会計監査役を申し出たのだが、それが災いの元となった。


 主要な資金集めを担当していたのは、子爵令嬢のベアトリス・ド・クロワールだった。

 いかにも気品に満ちたその姿とは裏腹に、彼女は社交界の裏側で様々な噂が囁かれる人物だ。

 セレスは、募金総額と支出の内訳に不審な点があることに気づいた。数度の問い合わせにも曖昧な返答しか得られず、セレスは直接ベアトリスに詰め寄ることを決意した。


 場所は、舞踏会最終日の夜。慈善事業の成功を祝うかのような華やかな会場の片隅で、セレスはベアトリスを呼び止めた。


「ベアトリス様、この度集められた慈善事業の資金について、いくつか確認させていただきたい点がございましてよ」


 セレスティーヌの静かな声に、ベアトリスは優雅な笑みを浮かべた。

「あら、セレスティーヌ様。何かお気にかかることでも?」


「ええ、大いに。例えば、孤児院への寄付金として計上されている最高級生地の仕入れですが、孤児院の規模から考えても、その量はあまりに過剰ではありませんか?そして、その生地は、最近王都の高級仕立屋で、あなたのドレスに使用されたものと酷似しているようですが」


 セレスティーヌの言葉に、ベアトリスの顔から笑みが消えた。周囲にいた貴婦人たちも、ざわめき始める。


「何を仰るのです、セレスティーヌ様!そのような言いがかり、断じて許しませんわ!」ベアトリスは、声のトーンを上げて反論した。


「言いがかりではございませんわ、ベアトリス様。私は、全ての領収書と記録を精査いたしました。貴女が密かに高級仕立屋に発注したドレスの費用、そしてその支払いに充てられた慈善事業の資金の流れ、全てをね」


 セレスティーヌは、手元に用意していた書類の束を、ベアトリスの目の前に突き出した。そこには、子爵家の会計記録、仕立屋の領収書、そして慈善事業の収支報告書が、日付と金額まで詳細に記されていた。


「これらは、孤児たちの未来を奪い、己の虚栄心を満たすために、神聖なる慈善事業を食い物にした貴女の明確な証拠ですわ。恥を知りなさい!」


 セレスティーヌの言葉は、氷のように冷たく、しかし刃のように鋭かった。その場にいた者たちは、息を呑んで彼女の言葉を聞き入った。

 ベアトリスは、顔を真っ青にして震えあがり、やがてその場にへたり込んでしまった。


 この一件は、瞬く間に王都中に広まった。


 ベアトリスは厳しくとがめられ、社交界から姿を消した。

 孤児院の資金は無事に確保され、セレスティーヌの行いは確かに正義であった。

 しかし、彼女がベアトリスを徹底的に追い詰め、公衆の面前で晒し上げたその苛烈かれつな手法は、「高潔だが恐ろしい」という印象を人々に植え付け、「悪役令嬢」としての彼女の評判を不動のものにしたのだ。


――


「お嬢様、またそのような記事を読まれては、お心に良くございませんわ」

 侍女のミュリエルが、心配そうに声をかけた。彼女は長年セレスに仕え、その内面を知る数少ない人物の一人だ。


「構わないわ、ミュリエル。真実を知らない者たちが何を言おうと、私の目的は揺らがない」


 セレスは、静かに言った。彼女の目的。それは、ユグドラル王国の腐敗を正し、民が安心して暮らせる世を築くこと。そのためならば、どれほど非難されようと、悪役と罵られようと、彼女は厭わなかった。



 近年、ユグドラル王国は危機に瀕していた。


 魔族の侵攻が激化しているとされ、各地で不穏な噂がささやかれ始めていた。

 王都の貴族たちは、自身の保身と贅沢に明け暮れ、現状を直視しようとしない。王家もまた、政務を怠り、国政は乱れ始めていた。


「しかし、お嬢様の評判がこれ以上悪くなれば、お嬢様ご自身のお立場が危うくなりかねません」ミュリエルは眉を下げた。


「だからこそよ、ミュリエル。私は、この国の『悪』を討ち、真の平穏をもたらすためには、なりふり構っていられないの」


 セレスの視線が、部屋の窓から遠くの森に向けられた。その先には、魔族の領地があると言われている。

 彼女は、魔族との争いの激化という噂も、王国の腐敗の一端だと考えていた。魔族が本当に侵攻を強めているのか、あるいは王族や一部貴族が、自分たちの無能を隠すために魔族を「悪」に仕立て上げているのか。その真実を、彼女は知りたいと願っていた。


「いずれにせよ、私はこの国を、そして民を守るためなら、どんな手段も講じるつもりよ」


 彼女がここまで国を憂い、行動するようになったのは、家族の存在も大きかった。


 侯爵である父、アルフォンス・ド・モンテクリストは、堅実で領民からの信頼も厚い人物だった。セレスの幼少期は領地内を共に散策し、多くの人の営みを目の当たりにして「領地はそこに住む人々の支えがあってこその繫栄だ」と優しく説いてくれて、実際領民たちのとの分け隔てない付き合いはセレスの幼少期の大切な基礎を気付いていた。

 しかし、その温厚で気弱な性格は、王都の貴族社会の冷酷な駆け引きには向いておらず、しばしば自身の意見を押し通すことができなかった。

 領民や家族を守るための娘の行動が物議を醸すたび、父は心労で胃を痛めているのをセレスは知っていた。


 母、イザベラ・ド・モンテクリストは、文字通り「お優しい」人だった。

 常に穏やかで、争いを好まず、家庭を温かく包む存在。しかし、それ以外に特筆すべきものがあるかといえば、残念ながらそうではなかった。

 政治にも領地経営にも無関心で、ただひたすらに平穏を願うばかり。

 母の優しさは、セレスにとって安らぎであると同時に、現状を変えられない無力さの象徴でもあった。


 そして、セレスには、守るべき存在がいた。


 妹のルミネッタ・ド・モンテクリスト、通称ルミネだ 。

 彼女は生まれつき体が弱く、幼い頃から入退院を繰り返していた。


 しかし、ルミネの体調不良は単なる病弱さからくるものではなかった。彼女は、ごく稀に生まれる「聖女」としての天賦の才を持ち、稀代の癒やしの力を持っていたのだ 。


 聖女の力は、周囲の不幸や災厄を吸い上げ、浄化する。

 しかし聖女の癒しの技は同時に、聖女自身の肉体を蝕んでいく。

 他人の傷や病気は癒せても、自分自身を癒すことは出来ないのだ。


 ルミネは、姉であるセレスに懐いており、彼女の笑顔はセレスの何よりの原動力だった。


 ルミネの聖女の力が王国にとって「珍重」されるゆえに政治利用され、無理な儀式や治療を強いられ…そして、まだ若い体で自由も謳歌できず心身ともに病床にあることが、セレスの一番の心配と悪役と呼ばれても守るべき対象であった。



「いずれにせよ、私はこの国を、そして民を守るためなら、どんな手段も講じるつもりよ。何よりルミネのためにも」


 セレスの決意に満ちた言葉が、静かな部屋に響いた。彼女は、王国の「悪」を断罪し、民を救うための「悪役令嬢」となることを、すでに受け入れていた。


「せめて、セレスティーヌ様を支えてお守りしていただける騎士…願わくば力を持った相応しい伴侶が見つかれば…」ミュリエルが言うとセレスは笑って返す。


「ふふ…残念ながら白馬の王子様おとぎばなしを期待する歳は過ぎてしまったわ。私の大切なものは私自身で守らなければ……」


 この心の強い、芯の通った彼女がこれからこの世界に対して向き合うことになったとき、乗り越えるべき障壁がどれだけ高く、厚く、頑丈であろうともその進撃を止められないと気づくのにさほど時間はかからない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る