第9話
知らない土地に足を踏み入れるときのこの感じを、私は知っている。
緊張と恐怖から体が重く感じる。
「緊張しなくても大丈夫。きっと素敵な出会いがある」
廊下で立ち止まった先生は、私にそう声をかけてくれた。
「は、はい」
大きく深呼吸をした私を見て先生はゆっくりと教室の扉を開けた。
「静かにしろ―。転校生だ。自己紹介してもらう。いける?」
私の顔色を窺って、教室に入るのを待ってくれた。
「だ、大丈夫です」
中学二年の夏、親の転勤で新しい土地へやって来た。
田舎と都会の間くらいのこの街は、私を歓迎してくれているかのように良い天気だった。
「町田若葉です。よろしくお願いします」
スカートの裾を掴んで緊張を少し逃がした。
先生に指示された席に座りホームルームを終えた。
すると転校生の宿命であるであろう質問攻めが始まった。
色々答え終わると、校庭から人の声が聞こえた。
「ヤンキー?」
隣の席の女の子にそう聞くと校庭を見ながら説明をしてくれた。
「あの人たちはエンマっていうグループの不良。けど優しいんだよね。別に悪いことはしないの。見た目が派手なだけ」
地獄で出会った閻魔大王も見た目は怖かったが、優しさにあふれていたのを思い出す。
あれからどれだけ時が経っただろうか。
時間経過は分からない。
ただ、こうして今は人間『町田若葉』としてこの地に立っている。
自転車の近くで旗を振る赤髪に自然と目がいった。
「閻魔大王」
つい零したその一言にクラスのみんなは笑った。
しかしそんなみんなを残して私は教室の扉を開けて走っていた。
靴に履き替える余裕なんてなかった。
閻魔大王かどうか確信も無いし、そうだったとしても覚えているか分からない。
それでもこのチャンスを逃したくなかった。
涙で潤っているはずの目は一向に乾く。
一生懸命に走った先でさっきの男の人と目が合った。
「閻魔大王?」
周りにいた人は不思議そうに私を見るが、一人だけ違った。
「お前…」
驚きながらも両手いっぱいに広げて待っている。
姿は変わってもその優しさは変わっていない。
「閻魔大王!」
勢いよく走って閻魔大王に飛びついた。
勢いが強すぎて私達は転んだがしっかりと私を抱きしめてくれていた。
「待ってたぞ」
私の涙を拭うその手は以前と変わらず大きくて、温かい。
「仁、神木仁だ。お前は?」
「町田若葉」
ここにいるのは私達だけだと錯覚するくらい、まわりは静かにただ私達を見つめていた。
「若菜が若葉か」
そう言って笑いを堪えきれなかった閻魔大王はツボにはまっていた。
「そういう閻魔大王は仁って。関連性無さすぎでしょ」
「だからこれを作ったんだ。良い目印だろ?」
旗を指差して私に見せた。
『地獄のエンマ』
ここに帰って来いという意味が込められているらしい。
私は幸せ者だ。
「ボスは相談にも乗ってくれるし、俺らの帰る場所を作ってくれた人なんです」
横から声をかけてきたのは秦に随分そっくりな人だった。
「秦かどうかは分からん。記憶が無いからな」
記憶がある方が例外なのでそれ以上その人が秦かどうか詮索することも出来なかった。
「にしても地獄の閻魔大王が…ヤンキーとか笑っちゃうね」
「憧れてたんだ。見た目くらいいいだろう」
照れる姿があまりにも愛おしくて閻魔大王に抱き着いた。
「閻魔大王。会えたね」
「仁、な。…待ってた、ずっと」
暗い闇を抜けた先には熱く燃え盛る炎のような髪色をした男の子がいた。
「待っててくれてありがとう」
泣きながらくっつく私を持ち上げて学校に入って行った。
「これからもよろしくな」
私を降ろして額にキスをした。
「そんなのどこで覚えてきたの!?」
まだまだたくさん話したいことがある。
これからたくさん叶えたい夢がある。
「結婚してくれ」
周りのみんなの声が聞こえないくらい、自分の心臓の音が大きかった。
「うん!」
私達の顔には笑顔が溢れていた。
「ボスが女子に求婚したぞ!」
周りの子達の盛り上がり具合は異常だった。
多分、それだけ信頼されているのだろう。
「仁、好きだよ」
学ランの裾を掴んでそう言った。
「俺もだ」
私は醜い人間。
それでもこの人生はまっとうに生きて、愛する人の隣で死んでいきたい。
恋のお相手は閻魔大王 杏樹 @an-story01
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