第2話

「お前、なぜ逃げようとしなかった?」

閻魔大王の部屋に入ると、私の目を見つめて聞いた。

「私、死んでるし。悪いことしたし」

自分がもしまっとうな人間として生きていたら恐れて逃げていたかもしれない。

しかし私は汚れた醜い人間だ。

「意味が分からない」

私の顔を見て頭を抱える閻魔大王。

「何か思い出したことがあったら言え。全ての記憶が戻った時がお前の最期だ」

「もう死んでるし適当な地獄じゃダメなの?」

驚く閻魔大王は私をじっと見つめる。

「本当に人間か?」

私の体を隅々まで見て、不思議がっていた。

「これから記憶が戻るまで今日と同じようにする」

ぶっきらぼうに言葉を吐き捨てて畳の上で横になった閻魔大王。

部屋の隅で小さくなる私に構わず眠りについた閻魔大王を見ていると不思議な感覚になった。

横向きに寝ていた閻魔大王が寝返りのためか動いた様子を見ると、また頭に記憶が映った。

誰かが血の上で倒れていて、それを見た私は呼吸の仕方を忘れていた。

「…い、おい!」

閻魔大王の声でハッとした。

「過呼吸だったぞ」

先程の記憶と同じように、私は呼吸の仕方を忘れていたらしい。

「何かトラウマでもあるのか?」

「…分からない」

さっき見た記憶を閻魔大王に伝えたが、それ以上は何も分からないままだった。

一体私は誰で、何の罪を犯しここに来たのだろうか。

そしてさっき血の上で倒れていたのは誰なのだろうか。

「…殺したのかな」

私の記憶の欠片を全て取り戻した時、私は自分に落胆する気がした。

しょうもないことに腹を立てて人を殺してしまったのかもしれない。

考えれば考えるほど謎が深まるばかりだった。

「何かあるなら言え。なるべく手を貸そう」

本来裁かれるべき罪人に手を差し伸べようとする閻魔大王。

空想上の閻魔大王とはかなりかけ離れているようで思わず笑ってしまった。

「閻魔大王、優しいんだね」

地獄で死んだ人の最期を決める閻魔大王。

一体どんな人なのかと興味を持ち始めた。

「何を言う。…眠ってしまえ」

そう言って私の手を引き、私を包み込んだ。

そのぬくもりが何だかとても懐かしい気がした。

気が付いたら私は夢の世界へと向かっていた。

「起きろ、時間だ」

私を持ち上げて声をかける閻魔大王と目が合って、これが現実だと再確認した。

「地獄にも時間っていう概念あるの?」

「人間に合わせて24時間。ここで働くやつも休みを取らねば精神が崩壊する」

閻魔大王は地獄で働く社員のボスという感じなのだろうか。

他人の心配もしなくてはいけない。

「今日もまた、死んだ人の罪を裁量するの?」

毎日人の死と罪を聞き、裁量する行為は一体どのようなものなのだろうか。

そこに感情を持ち合わせればきっと自分の精神が壊れてしまう。

「あぁ、お前も一緒にな」

昨日より、私に対して穏やかになった閻魔大王の目には一体何が映っているのだろう。

「天国って存在するの?」

人が来ない二人きりの空間での無言は何とも言えないものなので声をかけた。

「あぁ。まれに間違って地獄に送られる奴もいるが滅多にない。天国は苦しみから解放されるらしいぞ」

私が想像している天国と地獄で間違っていないらしい。

天国では一体どんなことをするのだろう。

頑張って生きたねと拍手を貰えるのだろうか。

頑張った証に賞が貰えるのだろうか。

こことは違って、苦しみなんてすぐに忘れて新しい命となるのだろうか。

そんなことを考えているとゆっくりと一歩一歩、歩いてくる男性が見えた。

閻魔大王は私をぬいぐるみのように扱い、自分の膝の上に乗せた。

「ここはどこでしょうか?」

地獄にはあまり似合わない優しそうなおじいさんがかすれる声でそう聞いた。

「地獄だ。お前の罪を述べよ」

おじいさんは自分が置かれている状況を理解したようで涙を流し始めた。

「百合子…すまない。詫びても詫びても後悔が募るばかりだ」

何かに反省をしているおじいさんを閻魔大王はただ見つめていた。

「罪を述べよ」

泣いてばかりのおじいさんに声をかけたが泣き止むことは無かった。

痺れを切らして立ち上がろうとする閻魔大王を私は止めた。

「なぜだ」

私を見つめる目は地獄の番人に相応しい迫力があった。

「もう少しだけ…多分まだ心の整理をしてるだけ」

舌打ちをされたが閻魔大王が立ち上がることは無かった。

数分後、その沈黙はおじいさんによって壊された。

「悪かったねぇ。私は昔、妻に暴力を…抵抗しない百合子に何度も怪我をさせてしまった」

ぼそぼそと話すおじいさんは妻である百合子さんに暴力を行っていたそう。

「職場での鬱憤を晴らそうと馬鹿なことをした」

その行為に反省をしているように見えた。

「死んだんだろう?このまま私を深く、苦しい地獄に送ってくれ」

自らその選択をするのは自責の念からなのだろうか。

「連れて行け」

おじいさんは涙を流しながら部屋を後にした。

「人間は何で罪を犯すんだろね。過ちだと知りながら、醜いね」

人間とは醜い生き物だ。

自分が一番可愛い。

そんな醜い生き物だ。

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