1.汝の翼に追い風を
──死んだ。
割とあっけなく、死んだ。
最期の一瞬で、これ以上見苦しくないように辛うじて配信停止をクリックしたのは覚えている。
使い慣れたキーボードの上に顔を押し付けられ、そのまま首を噛み破られて。実にゾンビ物らしい死に方……といえば聞こえも良いかもしれない。けども、実際のところこんな馬鹿げた死に方をしたのは自分だけな気もする。ほとんどの人間は抵抗する──現に"兄ぃ"でさえ抵抗して見せたじゃないか──訳で、最後の最後まで趣味に命を注ぎ込んで死んだ人間は恐らくかなり少ない筈だ、多分。
それにしても、死んだ後というのはこれほどまでに思考が明晰なものなのだろうか?こう、血流がいかずに思考がじわじわと奪われて最終的にはただの蛋白質の塊と化すだけの脳でごちゃごちゃ考えているだけの時間が取れるものなのだろうか?それとも、これがいわゆるゾンビ化というものなのだろうか?確かに中枢神経系が無ければ肉体は動かない訳で──
やめたやめた。そんなこと考えて何になる?既に山下慎吾──あるいは、ラピス・サフィニアと名乗っていた実体のないドラゴンは失血死の憂き目に遭ったという事実は覆らない。思考を明晰に保ったところで、それは揺るぎようのない事実なのだから、このまま無の海に沈んでしまうのが生物としての理、というものだろう。もう何も考える必要はない、何も演技する必要もないのだから。
とはいえ、目も見えず耳も聞こえず、匂いも触感もないようなこの状態で意識が霧散するまで待つというのも案外退屈そうである。やはり最終的には思考と妄想の中に溺れるしかないのか──
「おい」
死んでるのは明らかでしょうに、なんでわざわざこの期に及んで起こそうとする奴がいるのか。いや、それはおかしい。自分を襲ったゾンビの声さえしない状態で誰かの呼び声が聞こえるなんて、何かがおかしい。さてはこれは妄想の類で、一人での思考が退屈なので脳内でもう一人の人格を──
「目を醒ませ、ラピス・サフィニア」
と言われても、醒ます目がないというか、醒ましても仕方ないというか。そもそもなんであんたは私のVLiverネームを知ってるんですかね?
「見れば分かる。だから、目を醒ませ」
冷静に考えてみる。何処かでこの声は聞いたことがある。ずっと昔……いや、頭がぼうっとしているんだ、つい最近だ。
「"ヴィジョン"を結べ。意味は分かるだろ?」
わかる、なんとなく。視覚に頼るな、感覚で捉えろ。いつもあの人が口酸っぱく言っていたあれ──
像が結ばれる。途端に周囲の空間が感じられる。
そして、自然と目の前にいる存在に目がいく。
それは見慣れているが見慣れていない、現実にいてはいけない生物だった。
ドラゴン。有り体な言葉で言い表せばそう。最近は鱗以外のバリエーションも多い、ファードラだとかケモ竜だとか、メカドラとかその辺りも刺さる人は多い……いや多かった、だろうか?なにせ、そういった属性に属す存在。目の前のそれは黒い鱗に白い角と牙、そして翼は実体を持たない、黒い霧のようなもので構成されている。その姿は実際には見たことがない、だが、同時に見慣れたものであった。
「ヒビキ……さん……?」
「左様。君等が
辰ノ音ヒビキ。僕等のVLiver団体「
「末路、ってことは……やっぱり……」
「お察しの通り。私の死体は今頃、スタジオの物置でぶら下がっている。ボート係留用のもやい綱を引きちぎれる程度の筋力を私の死体が発揮しない限りはそのままだろう」
何のわけもない、という様にヒビキさんは答える。まるでこの死が必然であったかの様に。
「だが、それはさしたる問題ではない。知っての通り、今の情勢では死など特別ではない。それは君達の肉体の末路を考えれば分かることだろう」
瞬間的にあの瞬間がフラッシュバックする。命を失った冷たい身体に押し倒され、首を噛み破られるその瞬間。結局、そこからどうなってる?あまりにも走馬灯としては長すぎやしないか?
「ヒビキさん、僕はどうなってるんです?これは……死後の世界なんです?」
「当たらずとも遠からず、といったところだ。それでは本題といこう」
パチン。ヒビキさんの尾が床を……床?床なんてないけれど、虚空を切った訳ではない。なにせ踏みしめている「そこ」を強く打つと、視界がくっきりと開けた。病院の一室の様に清潔感のある、悪く言えば無機質な一室の片隅に、堅苦しい事務机に似つかわしくないゲーミングPCが据えられている。
「今更説明の必要もないだろうが」
ヒビキさんが猫のように"香箱座り"をしながら続ける。
「君は、かつてラピス・サフィニアと名乗り、"ヤマシタ シンゴ"として生きてきた君は、肉体的死を迎えた。生物学的、医学的には死亡と見なされているが、やがてその身体は再び歩き始め、肉を求めて彷徨い始めるだろうがね。"ヤマシタ シンゴ"という人物はこの大変動で失われた数多の生命の一つに数えられ、埋もれ、ただの記号として処理されるだろう──名目上は」
「名目上……?」
「左様、名目上だ。君は今、ただの死者ではない。君の身体の生命活動は終焉を迎えたが、君の"魂"はまだ霧散していない。それは何故か?」
自ずと、一つの単語が口をついた。「だから、私は死ぬのが怖くない」──そう語っていた彼女のモデルの姿が、微かに見えた気がした。
「魂の器……ってことですか……?」
くつくつと、ヒビキさんは笑った。
「左様。実に恐るべきことに、この惨禍の中、私の作品はまるでオカルト作品の人形の様に機能してしまったということだ。誰が予想できようか、ただの無名のVLiverモデラーの作品が、だぞ?」
ヒビキさんは立ち上がり、くるりと一周その場を回って見せた。
「私がこんな動きを実装していたと?答えはNoだ。2Dモデルが3次元的動きを出来るなど、超絶技巧などという話ではない。こいつはもはや私の作品であって、そうではないところに来てしまっている。全く信じられない話だがね」
「でも、ヒビキさん。貴方はこうなることをある程度予期していたのでは?そうじゃなきゃ、魂の器だなんて言葉、こんな事態になるずっと前に出さないでしょう?」
「全く……君は察しが良い」
ヒビキさんは再びその場に"香箱座り"をした。そう言えば配信で使うモデルもこうだったっけ。
「厳密には、予想していた訳ではない。私だって未来予知の能力があるわけではないのだから、このような事態にあらかじめ備えていた筈がない。これはあくまで、私の拘り、いや信条、見方を変えれば信仰とも言えるかもしれない。それが"魂の器"という考え方だった。だが、それを今語るには余白が狭すぎる」
「そんなどっかの証明みたいな──」
「実際、今語るにはあまりにも複雑かつ冗長な話なのだ。それをするよりは、今は君の安定性を高める方が先決だ。君が望むのであれば、だが」
そう言うと、ヒビキさんは犬の"おすわり"の姿勢に座り直し、じっとこちらを見つめてきた。鋭く、それでいて何処か優しい眼光が光った。
「君には二つの選択肢がある。一つ。今君の収まっている"魂の器"を放棄し、"
「待ってください、"残響"って……?団体名じゃなかったんですか?」
「いずれ話すことになる。今は護符とでも解釈すると良い。八割方正解だ」
ずい、とヒビキさんが顔を寄せる。
「君には選択の余地がある。どのような末路を選んでも構わない。これは私が勝手にやった事、それに巻き込まれたのは君達の方だからな」
「………」
「だが、君の考えは大体決まっているのではないか?非常に稀有な偶然であるが、このようなチャンスは二度と来ない事は確かだ」
その通りだ。こんな美味い餌を目の前に吊り下げられて食わない選択肢がない。ただでさえ、これを断れば待っているのは完全な死だ。だけど、何かが引っかかる。これは本当に偶然なのか──
永遠にも思える時間。たっぷりと迷ったけれど、結局、餌に食いつくよりなかった。「"ヒト"として死ぬのはつまらない」──これは残念ながら、本心の吐露だったのだから。
「……やります。やらせて下さい」
「その言葉を待っていた」
ヒビキさんの目元が緩んだ。
「意識を集中しろ。"ヴィジョン"を広げろ」
ヒビキさんの鼻面が額に当た……った気がした。身体は存在しない筈なのに、確かに「熱さ」を感じる。触感が、聴覚が、視覚が、嗅覚が、味覚が、全てが一気に押し寄せてくる。先程まで感じることのなかった感覚──
「"残響"は未だ止まず。君の魂は私の"残響"と共鳴し、再び旋律を奏でる。肉と骨の繭は破れ、"ヤマシタ シンゴ"という死に絶えた肉体より"ラピス・サフィニア"という蝶が羽化をする」
"ヒト"の身体になかった感覚が生まれてくる。腰が伸び、尾を形成する。肩甲骨が組み替えられ、翼が突出する。存在しない筈の肉体なのに、確かに感じられる。身体が"ヒト"を辞めていく。
「……これで馴染んだ筈だ。確かめると良い。尤も、その"身体"の事は君が一番よく分かっている筈だがね」
"変化"が終わる。あらゆる肉体の成長が止まる。身体にかっと血が回る感覚がある。手のひらを見下ろすと、青い鱗と白い蛇腹に覆われた、長い鉤爪の手が見えた。見慣れていない筈なのに、何よりも見慣れた身体。まだ信じられないけれど、これは間違いなく、何度も動かしてきた、夢にまで出てきた肉体だ。どう動かせば良いか、直感的に分かる。
歩く、走る、しゃがむ。跳ねる、飛ぶ。コマンド入力など要らない、自分の感覚で動く身体。
「これが、自分の……?」
「左様。君の身体だ。配信で使っていた頃よりも遥かに多くの事が出来るだろう。上手く使え」
ヒビキさんがそっと離れた。そして事務机に置かれたゲーミングPCの側に立つと、そっと鼻面をディスプレイに当てた。途端に電源が入り、見慣れた部屋が映し出される。荒れてはいるが、確かに自分の部屋だ。
「私が出来るのはここまでだ。もはやこのモデルに起きた事案は私の手に負える範疇をとうに超えている。だが、問題があるならば此処に戻ってこい。モデル製作者として、出来ることをしよう」
「此処は、結局何処なんです?」
「我々の、
くつくつと、ヒビキさんが笑った。
「全く、不思議な話だ、あり得ない話だというのに、自然に順応している。これが"VLiver"としての素質、ということだろうかね」
ヒビキさんがそっと肩を鼻面で突いた。促す様に。
「身体慣らしだ。行って来い。やり残した事があるなら悔いのないようにしてくると良い。ただし、"ヒト"の身体よりは頑丈だが、過信はするな。"共鳴"が解ければその身体は霧散する。その時点で、君の第二の生のチャンスは終わりだ」
「"共鳴"が解ける?」
「音叉の様なものだ。強い力を与えられれば音程が狂う。そうなれば共鳴は起きない」
「つまり……ダメージ蓄積には気を付けろってことですか?」
「左様。非常にゲーム的だ、そうだろう?なに、モデルの"破損"程度なら私が修復してやるさ」
そう言うや否や、ヒビキさんは前脚をディスプレイに文字通り「突っ込んだ」。まるで水たまりに指を突っ込む様に、鉤爪のついた前脚は易々と画面の「向こう」へと通り抜けていた。
「実に単純だ。プールに飛び込む様に突っ込めば良い。その先は……言わなくとも分かるだろう。もはや君の家は安全な場所ではない、適切な判断をすると良い」
「分かりました……とりあえず、出来ることをしてきます」
ヒビキさんは前脚をディスプレイから「引き抜く」と、道を開けるように身を引いた。トンネルの様に空間が筒状に変化し、何時でも飛び込めと言わんばかりにディスプレイをクローズアップした。
行くしかない。この身体で絶望を切り開くしかない。その先は……今は考えないでおこう。自分は他者とは「少し違う切り口」から、暗黒の日々を歩き出す、ただそれだけだ。
「怖ければ止めても良い。電子世界にだけ生きる選択もまた、君の選択だ。だが、それでは守れるものは随分と少ないだろう」
言われずとも。僕の身体は駆け出していた。ディスプレイのその先へ、己の肉体が横たわっているであろう、最期の部屋へ。
「──汝の翼に追い風を、ラピス・サフィニア」
電子の海を突き抜け、情報に揉まれるその一瞬、背中からヒビキさんの声が聞こえた、気がした。
竜之残響──Dragon's Resonance とてどらごん @totedragon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。竜之残響──Dragon's Resonanceの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます