第3章:増幅する悪意

第八話:愉快犯たちの嘲笑

文化祭まで、二週間を切った。演劇部の稽古は、いよいよ最終段階に入っていた。

舞台は、私とショウタ以外の誰もが、完璧な仕上がりだと太鼓判を押すほどだった。しかし、私とショウタの間の溝は、もはや深淵と化していた。


私がショウタに対して浴びせる言葉は、日に日に苛烈さを増していった。それはもはや、「指導」などではなかった。ただ、彼を傷つけ、彼の心を削り取るための、純粋な「悪意」だった。

私は、心の奥底で、彼が私に反論してくることを望んでいたのかもしれない。怒りでも、悲しみでもいい。何らかの感情を露わにして、私と向き合ってくれることを。そうすれば、私は、まだ彼とつながっていられるような気がしたのだ。


しかし、彼は、決して私に感情をぶつけることはなかった。

ただ、すべてを受け入れるように、黙々と作業をこなすだけ。

その沈黙が、私をさらに追い詰めていく。


******


ある日のことだった。

放課後の体育館で、最後の通し稽古が行われていた。

私は、自分の演技に集中していた。しかし、その時、舞台袖から聞こえてきた声が、私の集中を乱した。


「おい、ショウタ。またメイ先輩に怒られてんのか?」

「お前、本当にメイ先輩に嫌われてるよな」


演劇部の部員たちの声だった。彼らは、ショウタの作業を遠巻きに見ながら、笑いながら話していた。

彼らは、ショウタが少しミスをするたびに、メイ先輩が怒る、という状況を、まるで面白い見世物のように捉えていた。そして、私に同調するように、ショウタをからかい、いじり始めたのだ。


「だってさ、メイ先輩の演技、お前みたいなのが邪魔したら、台無しだもんな」

「お前、本当、才能ねーよな」


彼らの言葉は、鋭い刃物のようにショウタに突き刺さる。

ショウタは、何も言わなかった。ただ、俯いたまま、工具を握りしめている。

彼の肩が、かすかに震えているのが見えた。


私は、その光景を、舞台上から見ていた。

本来ならば、私が彼らを止めるべきだった。

私の言葉が、彼らにショウタへのいじめを助長させていることを、私は知っていた。

しかし、私は、動けなかった。

なぜなら、心のどこかで、彼らがショウタをいじめることで、彼が私から離れていかないのではないか、という、身勝手な考えが、私の頭をよぎったからだ。

彼が私以外に居場所をなくせば、私のもとに戻ってくるのではないか、と。

そんな、浅はかで、歪んだ期待を抱いていたのだ。


私は、演技の集中を言い訳に、彼らのいじめを黙認した。

いや、黙認するどころか、時に、私自身もその輪に加わった。


「全く、ショウタは本当に手がかかるんだから。私がいなかったら、何もできないんじゃないかしら」


私の言葉に、部員たちは、さらに大きな笑い声を上げた。

ショウタは、その笑い声を聞いて、さらに深く俯いた。

彼の背中は、日に日に小さく、そして、孤独に見えた。


私は、その時、まるで自分が、舞台上の悪役であるかのように感じていた。

冷酷で、傲慢で、周囲の人間を支配しようとする役柄。

しかし、それは、舞台上の役柄ではなかった。

紛れもない、私自身の姿だった。


******


練習が終わると、部員たちは、足早に体育館を後にした。

ショウタは、いつも通り、残って道具の片付けをしていた。

私は、体育館の隅で、彼の作業を見つめていた。

彼の動きは、機械的で、まるで感情がこもっていないようだった。

彼の表情には、疲労と、そして、深い虚無感が刻まれている。


私は、彼に近づこうとした。

しかし、一歩足を踏み出すたびに、私の足は鉛のように重くなった。

彼が、私に対して完全に心を閉ざしてしまっているのが、痛いほどわかったからだ。

私が何を言っても、もう彼には届かない。

その事実が、私を深く絶望させた。


ふと、彼の後ろ姿を見た時、私は、彼の肩が、かすかに震えていることに気づいた。

それは、嗚咽をこらえているような、小さな震えだった。

私は、彼が泣いているのだと、悟った。

私を、そして、この演劇部を、心から愛していた彼が、泣いているのだと。


その時、私の胸を、激しい後悔が襲った。

私が、彼をこんなにも深く傷つけてしまった。

私の、身勝手な振る舞いが、彼をこんなにも追い詰めてしまった。

私は、彼に、何をしてしまったのだろう。


しかし、私が彼に近づこうとした時、彼は、工具箱を手に、私の横を通り過ぎた。

彼は、私と目を合わせようとはしなかった。

彼の視線は、ただ、遠く、暗闇の出口へと向かっていた。


「ショウタ……」


私の声は、か細く、彼の耳には届かなかった。

彼は、振り返ることなく、体育館の出口へと消えていった。

後に残されたのは、私一人。

そして、冷え切った体育館の空気だけだった。


私は、その場に立ち尽くしていた。

私の心は、鉛のように重かった。

私は、彼を救うことができなかった。

いや、救うどころか、私自身が、彼を地獄へと突き落としたのだ。


外では、文化祭の準備が進み、色とりどりの提灯が飾られているのが見えた。

その華やかな光景とは裏腹に、私の心は、深い闇に閉ざされていた。

この輝かしい舞台が、私にとって、どれほど重い代償を払わせるのか。

私は、その大きさに、まだ気づいていなかった。

しかし、彼が私から離れていくことで、私の心は、確実に崩壊へと向かっていたのだ。

それは、誰も救われない、悲劇の始まりだった。

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