第七話:愛のムチ、それとも…
私のショウタへの態度は、日を追うごとにエスカレートしていった。
彼は、私の厳しい言葉にも、一切反論しなくなった。ただ、黙々と指示された作業をこなす。その姿は、まるで感情を失った人形のようだった。彼の瞳には、以前のような輝きは一切なく、ただ虚ろな光を宿しているだけだった。
私は、その変化に気づいていた。気づいていながら、止めることができなかった。
なぜだろう。なぜ、私は彼を傷つける言葉を選んでしまうのだろう。
それは、彼が私から離れていくのを感じるたびに、私自身の心が、言いようのない焦燥感に駆られていたからかもしれない。
彼が、私の手の届かない場所に行ってしまう前に、私自身が彼を突き放してしまえば、傷つくのは私ではない、とでもいうように。
そんな、愚かな考えが、私の心を支配していたのかもしれない。
******
部活の休憩時間になると、部員たちは私とショウタの間の凍り付いた空気に気づき始めていた。
彼らは、遠巻きに私たちを見て、ヒソヒソと囁き合う。
「メイ先輩、ショウタに当たりきついよね」
「ねー、なんか可哀想になってくる」
そんな会話が聞こえてくるたびに、私は、無意識のうちに、さらに彼を突き放すような言動を取ってしまった。
ある日、ショウタが舞台装置の調整をしている時、誤って工具を落としてしまった。ガシャン、と大きな音が体育館に響き渡る。
部員たちが、一斉にそちらに注目した。
私は、すぐにその場に駆け寄った。
「何やってるの、ショウタ!こんな簡単なこともできないの?集中してるの!?」
私の声は、体育館中に響き渡った。
ショウタは、顔を真っ青にして、震える手で工具を拾い上げた。
その時、背後から、別の部員の声が聞こえた。
「大丈夫ですか、ショウタ先輩?」
一人の男子部員が、心配そうにショウタに声をかけている。
彼は、ショウタが大切にしている工具箱を、そっと拾い上げてくれた。
その光景を見た瞬間、私の胸に、得体の知れない怒りがこみ上げてきた。
私のショウタに、他の誰かが優しく接する。
それが、私には、許せなかった。
彼は、私だけのものなのに。
私は、その男子部員に、冷たい視線を向けた。
「あなた、そんなことしてる暇があったら、自分の練習に集中しなさい。それとも、ショウタの邪魔をしたいの?」
私の言葉に、男子部員はビクッと体を震わせ、すぐにショウタから離れていった。
ショウタは、何も言わなかった。ただ、俯いたまま、工具を工具箱に戻す彼の横顔には、深い影が落ちていた。
その場にいた他の部員たちも、私の言動に、戸惑いを隠せないようだった。
しかし、誰も、私に反論する者はいなかった。
私は、演劇部のエース。
そして、誰もが認める、主役。
私の言葉に、逆らえる者など、誰もいなかったのだ。
******
練習後、部員たちは、再びショウタをいじり始めた。
「ショウタ、またメイ先輩に怒られてたな」
「愛のムチってやつ?期待されてるから厳しくされるんだぜ」
「でも、あれって、本当に愛なのかな?」
そんな言葉が、聞こえてくる。
私は、彼らの言葉を聞いて、内心、罪悪感を感じていた。
しかし、その罪悪感は、すぐに「舞台の成功のためには仕方ない」という言い訳に掻き消された。
私は、彼らに同調するように、軽蔑するような視線をショウタに送る。
そして、時には、私自身も、彼らの言葉に便乗し、ショウタを貶めるような発言をしてしまうこともあった。
「全く、ショウタは本当に手がかかるんだから。私がいなかったら、何もできないんじゃないかしら」
私の言葉に、部員たちは笑い声を上げる。
ショウタは、その笑い声を聞いて、ただ俯いていた。
彼の背中は、日に日に小さく、そして、孤独に見えた。
私は、心のどこかで、彼が私に反論してくることを望んでいたのかもしれない。
「メイ、そんなこと言うなよ!」と、怒ってくれることを。
そうすれば、私は、彼に謝罪し、私たちの関係を修復できる機会が得られる、と。
しかし、彼は、何も言わなかった。
ただ、すべてを受け入れるように、耐え続けていた。
その沈黙が、私を、さらに追い詰めていく。
******
夜、自室のベッドで、私は、今日の自分の言動を反芻していた。
なぜ、私はあんなに、彼を傷つけてしまうのだろう。
心の奥底では、彼を愛しているのに。
彼を大切に思っているのに。
私の口から出る言葉は、いつも、私の本心とは裏腹のものばかりだった。
それは、私自身の弱さだったのかもしれない。
エースとしてのプレッシャーに耐えきれず、そのはけ口を彼に求めていたのかもしれない。
彼の優しさに甘え、彼の愛情を食い物にしていたのかもしれない。
私は、舞台上の完璧な「私」を演じることに必死で、現実の人間関係を、完全に疎かにしていたのだ。
私は、彼の優しさを、当たり前のものだと考えていた。
彼が、どんな私でも受け入れてくれると、信じていた。
しかし、その信頼は、私の一方的な思い込みに過ぎなかった。
彼の心は、既に傷つき、ボロボロになっていたのだ。
私は、ベッドの中で、静かに涙を流した。
この涙は、彼を傷つけた後悔の涙なのか。
それとも、彼が私から離れていくことへの、恐怖の涙なのか。
私自身にも、もう、わからなかった。
文化祭まで、あとわずか。
舞台は、最終調整の段階に入っていた。
私たちは、最高の舞台を完成させるために、着実に歩を進めていた。
しかし、その裏側で、ショウタの心は、すでに限界に達し始めていた。
彼の心に、私への「愛情」は、もはや存在しなかった。
そこに残されたのは、ただ、深い、深い、「憎しみ」だけだった。
私の歪んだ愛情は、彼にとって、もはや「愛のムチ」などではなかった。
それは、彼を打ち砕くための、冷たい「悪意」だったのだ。
この事実に、私は、まだ気づかずにいた。
そして、その気づきが、あまりにも遅すぎたことを、私は、後になって知ることになる。
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