第1章:交差する想い

第二話:桜ヶ丘高校、演劇の扉

あれは、二年前の春だった。

真新しい制服に身を包み、私は県立桜ヶ丘高校の門をくぐった。憧れの演劇部に入る。その目標に向かって、私は一心不乱に努力を重ねてきた。

入学式の喧騒と、新しい環境への期待に胸を膨らませていた、あの頃の私。


私は幼い頃から、人前で演じるのが好きだった。目立ちたがり屋だったわけじゃない。ただ、台本の中の人物になりきり、普段の自分とは違う感情を表現する瞬間に、言い知れない喜びを感じていた。それが、私にとっての「特別」だった。

だから、桜ヶ丘高校の演劇部が、県内でも指折りの実力を持つと知った時、迷いはなかった。ここなら、きっと最高の舞台に立てる。最高の演技ができる。そう信じていた。


そして、その日。あの日も、私の隣には彼がいた。


「メイ、本当に行くのか?」


私の横で、不安そうに眉を下げたショウタ。彼もまた、真新しい制服をぎこちなく着こなしていた。私たちは、小学校からずっと一緒だった。家も、驚くほど近かった。通学路も、いつも同じ道を歩いた。

彼は、私とは正反対だった。目立つことを好まず、いつも私の影のように、一歩後ろを歩いていた。それでも、彼の存在は、私にとって当たり前で、そして、何よりも安らげるものだった。


「当たり前でしょ。ショウタも一緒でしょ?」


私は、彼の手を引くようにして、校舎の奥へと足を進めた。彼もまた、私と同じくらい、演劇が好きだったから。いや、好き、というよりも、魅せられていた、という方が正しいのかもしれない。


彼が魅せられていたのは、舞台そのものだった。

光と音、そして舞台装置によって生み出される、魔法のような空間。

役者が輝くために、裏方として汗を流す人々の姿。

彼は、そんな「舞台の裏側」に、誰よりも強い情熱を傾けていた。


演劇部の説明会が行われた教室は、既に多くの生徒でごった返していた。期待に満ちた新入生の熱気が、むせ返るほどだった。

私たちは、教室の一番後ろの席に、ひっそりと腰を下ろした。


部長らしき先輩が、壇上で熱弁を振るっている。


「演劇は、役者だけで成り立っているわけじゃない。脚本、演出、舞台監督、照明、音響、衣装、メイク……。すべての部署が一つになって、初めて最高の舞台が完成するんだ!」


部長の声が響き渡る中、ショウタの目が、輝きを帯びるのがわかった。彼の視線は、壇上の部長ではなく、壁に貼られた、過去の公演の写真に釘付けになっていた。精巧に作られた大道具、計算され尽くした照明。それらを目にするたび、ショウタの目は、まるで少年のように輝いた。


「ショウタ、どうする?」


説明会が終わり、部員募集の用紙が配られる。私は、迷わず「役者志望」の欄に丸をつけた。そして、彼に視線を送った。


「僕は……舞台監督がやりたい」


彼の言葉に、私は少し驚いた。彼が演劇を好きなのは知っていたけれど、まさか、そこまで具体的にやりたいことがあるとは思わなかったのだ。


「裏方かあ。地味じゃない?」


無邪気な私の言葉に、彼は静かに首を横に振った。


「地味なんかじゃない。舞台は、裏方がいてこそ完成するんだ。メイが舞台の上で輝くために、僕は裏側で、最高の舞台を作り上げたい」


その時の彼の目は、とても真剣だった。そして、彼の言葉は、私の心を強く揺さぶった。

最高の舞台を作り上げてくれるのは、彼だ。

私の演技を、誰よりも理解し、支えてくれるのは、彼なのだと。


私たちは、二人で演劇部の入部届を提出した。

それぞれの夢を胸に、同じ場所へと足を踏み入れた、あの日。

私とショウタの、新しい高校生活が、そうして始まったのだ。


******


演劇部の練習は、想像以上に厳しかった。

発声練習、基礎体力作り、そして、台本を読み込む日々。私は、役者として、求められる以上の努力を重ねた。

顧問の先生は、私のことを「天性の才能がある」と評価してくれた。先輩たちも、私の演技に一目置き、期待の眼差しを向けてくれた。

私は、その期待に応えることが、何よりも嬉しかった。


ショウタもまた、裏方として、誰よりも熱心に活動していた。

舞台装置の設計図を描き、木材を加工し、塗装する。音響機材の配線を覚え、照明の光量を調整する。彼の手はいつも、泥や絵の具で汚れていた。

彼の作業は、地味で、派手さはなかった。それでも、彼が作り出すものは、常に驚きと感動を与えてくれた。

複雑な仕掛けを持つ舞台装置が、まるで生きているかのように動く時。

登場人物の感情に合わせて、照明の色や強さが変化する時。

私は、舞台袖から、彼の仕事ぶりに見惚れていた。


休憩時間になると、私たちはよく、旧体育館の倉庫で時間を過ごした。

そこは、埃っぽくて、薄暗い。使われなくなった大道具や、錆びついた小道具が、所狭しと積み上げられていた。しかし、私たちにとっては、そこが特別な場所だった。

彼は、使い古された工具箱から、何かを取り出しては、嬉しそうに磨いている。


「ねぇ、ショウタ」


私が声をかけると、彼は振り返る。その顔には、いつも穏やかな笑みが浮かんでいた。


「ん?どうした、メイ」

「今の私の演技、どうだった?もっと、こう…感情を爆発させるべきかな?」


私は、台本を手に、彼に問いかける。役者としての悩みを、彼にだけ打ち明けることができる。

彼は、私の言葉にじっと耳を傾け、そして、真剣な眼差しで答えてくれた。


「メイの感情は、すごく伝わってくるよ。でも、もう少しだけ、その感情を内に秘めてみたら、どうかな?爆発させる前に、静かに、でも確実に、観客の心に届くような…」


彼の言葉は、いつも的確で、私の演技に新しい視点を与えてくれた。彼は、ただの舞台監督ではない。私の演技を、誰よりも深く理解してくれる、最高の理解者だった。

私は、彼の言葉を信じ、次の練習で試してみる。すると、顧問の先生や先輩たちから、驚くほどの賛辞が送られた。


「メイ、今の演技は鳥肌が立った!何があったんだ?」


私は、照れくさそうに笑いながら、ショウタの方を見た。彼は、遠くから、小さく頷いてくれた。その時の彼の笑顔は、まるで幼い頃の彼が、私がかけっこで一番になった時に見せてくれた笑顔のようだった。

私たち二人の間には、言葉にはできない、確かな絆が育まれていた。


ショウタの周りには、いつも人が集まっていた。彼の真面目さ、気配りのできる性格は、部員たちからの信頼も厚かった。

私は、そんなショウタを見ていると、少しだけ、胸がざわつくことがあった。

彼が、他の誰かと楽しそうに話しているのを見ると、なぜだか、面白くなかった。

彼が、私だけのものではなくなるような、そんな漠然とした不安を感じた。


それは、まるで、私だけが知っている秘密の宝物が、誰かに見つけられてしまうような、そんな焦燥感だった。

きっと、この感情が、後の私を、蝕んでいくことになるのだ。

その時の私は、まだ、気づいていなかった。

この、ささやかな独占欲が、やがて、彼を深く傷つける「悪意」の萌芽となることを。


高校に入学して、半年。

私たちの関係は、幼馴染という枠を超え、互いに強く惹かれ合う、特別なものになっていた。

それは、言葉にはしないけれど、確かな「両片思い」だった。

私は、彼を愛していた。

心の底から、愛していた。

その愛情が、やがて、彼を追い詰める凶器になるとは、夢にも思わなかった。

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