舞台裏の崩壊:完璧を求めた私は、君の心を壊した
@flameflame
序章:始まりの幻影
第一話:喝采の舞台、虚ろな瞳
鳴りやまない拍手に、私は舞台袖で小さく息を吐いた。熱い、熱すぎるほどの喝采。緞帳の向こうで繰り広げられる狂喜は、まるでこの世界すべてを巻き込む渦のようだった。
舞台監督のショウタが、小さく合図を送ってくる。私の出番だ。最前列で、主役として。
一歩、足を踏み出す。
途端に、肌を焼くようなスポットライトの光が、私の全身を包み込んだ。それは、私がずっと求め、憧れ続けてきた輝き。客席からのざわめきが、歓声へと変わる。視界いっぱいに広がるのは、拍手で真っ赤になった無数の手のひらと、喜びで高揚した観客たちの顔、顔、顔。
私は、舞台上の「私」を演じきる。最高の笑顔で、両手を広げ、深々と頭を下げた。頬を伝うのは、役になりきった「私」の涙。
「メイ!メイちゃん!」
部員たちの興奮した声が、背後から聞こえる。彼らの声も、拍手の音も、すべてが心地よいノイズとなって、私を包み込んだ。最高の舞台だった。間違いなく、この高校演劇史上、最高の出来栄えだった。
──なのに、どうしてだろう。
この胸の奥底で、ちくりと針が刺さったような痛みが走るのは。
それは、歓声が大きければ大きいほど、喝采が続けば続くほど、深く、鋭くなっていく。まるで、この輝かしい光景が、私自身を蝕んでいく毒であるかのように。
******
体育館の裏手にある非常階段。普段は人影もまばらな場所だが、文化祭本番ともなると、誰も立ち入らない。
ここに、彼はいた。
壁にもたれかかるようにして、膝を抱え、小さくうずくまっている。いつもの作業着──演劇部のロゴが入った、くたびれたTシャツは、汗で湿っていた。
背中を丸め、顔を膝に埋めている彼の姿は、舞台で喝采を浴びていた私とは対照的だった。
私は、足音を殺して、ゆっくりと彼の傍らに歩み寄る。しかし、彼は気づかない。あるいは、気づかないふりをしているのかもしれない。
薄暗い非常階段の灯りが、彼の横顔をぼんやりと照らしている。その顔は、いつも以上に疲労に満ちていた。青白い肌、やつれた頬。そして、虚ろな目。
先ほどまで舞台裏で、冷静に、的確に指示を出していたショウタの面影は、どこにもなかった。彼は、まるで魂の抜けた人形のようだった。
「ショウタ……」
絞り出すような私の声が、ひっそりとした空間に響く。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。その目が、私を捉える。
そこに、感情はなかった。
幼い頃から、ずっと見てきた目。
私が初めて舞台に立った時、客席の隅でひっそりと拍手を送ってくれた目。
私が悩んで、壁にぶつかった時、何も言わずにただ隣にいてくれた目。
私が演劇部に入って、初めて主役のオーディションに合格した時、自分のことのように喜んでくれた目。
そして、舞台監督として、誰よりも私の演技を理解し、最高の舞台を作り上げようと、私と同じ熱量で努力してくれた目。
あの時々の輝きは、もうどこにもない。
そこにあるのは、ただ、光を失った、深い、深い、闇だった。
私は、胸の奥からこみ上げてくる吐き気に、思わず口元を押さえた。
******
今日の演劇の成功は、間違いなく彼の力が大きい。
舞台装置の緻密な設計と製作、音響の完璧なタイミング、照明の絶妙な明暗。どれをとっても、彼の感性と、そして、並々ならぬ努力の賜物だった。
演劇部の部長も、顧問の先生も、みんな口々に言っていた。
「ショウタがいなかったら、この舞台は成功しなかった」
「あいつの裏方としての才能は、メイの演技に匹敵する」
その言葉は、私にとっては、褒め言葉であると同時に、鋭い刃物だった。
なぜなら、私は、その「天才舞台監督」を、私自身の手で、粉々に打ち砕いてしまったから。
あの日の彼の言葉が、耳の奥で反響する。
「君の言葉は、もう何も響かない。僕にとって、君は舞台上の仮面を被った怪物でしかない」
その言葉は、舞台の成功よりも、何よりも、私の心を深く抉った。
彼は、私にとって、ただの幼馴染ではなかった。
私がこの世界で、唯一、心を許せる人間だった。
私の、初めての恋だった。
そして、私が何よりも大切に、愛していた人だった。
なのに、私は。
私は、何をしていたのだろう。
彼の優しさに甘え、彼の愛情を利用し、彼の心を弄んで。
私が望んだのは、最高の舞台だった。
私が得たのは、最高の喝采だった。
──そして、私が失ったのは、彼のすべてだった。
******
文化祭の喧騒が、遠く、薄れていく。
体育館の出口に、部員たちが集まっているのが見えた。
彼らは、まだ興奮冷めやらぬ様子で、今日の舞台の成功を語り合っている。
「メイ先輩、本当にすごかったね!」
「うんうん、メイ先輩の演技に鳥肌立った!」
「ショウタも頑張ったよな、あのセットは本当にすごかった!」
「でも、ショウタって、メイ先輩にいつも怒られてたよね?」
「あれって、愛のムチってやつ?メイ先輩、ショウタに期待してるから、ああやって厳しくしてたんだよ」
「わかるー!なんか、ツンデレって感じで微笑ましかったよね!」
そんな会話が、私の耳に飛び込んでくる。
部員たちの言葉は、私にとっては、もはや痛ましい幻聴だった。
彼らは、何も知らない。
あの「愛のムチ」が、いかに歪んでいて、いかに彼を傷つけたのかを。
私の「期待」が、いかに傲慢で、いかに彼を絶望させたのかを。
私は、彼の傍らに、そっと座り込む。
触れることすら、許されないような気がした。
背中越しに、彼の小さな震えが伝わってくる。
それは、喜びでも、安堵でもない。
ただ、深い、深い、悲しみと、諦めの震えだった。
彼の膝に顔を埋めたまま、彼はゆっくりと息を吐き出す。
その息が、私の心を締め付けた。
舞台は、成功した。
私は、喝采を浴びた。
──それでも、私には、何も残らなかった。
視界が、にわかに滲む。
スポットライトの残像が、涙で歪んで、七色の光となって散らばっていく。
その光の粒の一つ一つが、私を責め立てる。
舞台の上で輝けば輝くほど、彼の心が深く沈んでいく、あの悪夢のような日々。
この、喉の奥にこびりついた後悔の塊は、一生消えることはないだろう。
私は、最高の舞台を作り上げた代わりに、最も大切な彼の心を完全に破壊してしまったのだから。
これは、私の物語。
そして、誰も救われない、私たちの物語。
******
私は、そっと立ち上がった。
舞台袖から、再び体育館の通路へと戻る。
部員たちが、私を見つけ、興奮した顔で駆け寄ってくる。
「メイ先輩!お疲れ様でした!」
「最高の舞台でした!」
私は、彼らの笑顔に、精一杯の笑顔で応えた。
口角を上げ、目を細める。
完璧な笑顔。
まるで、舞台上の役者のように。
この笑顔の下に、どれほどの絶望と後悔が渦巻いているのか、誰も知らない。
誰も、知る由もない。
私の視線は、再び非常階段の方へと向かう。
そこには、もう、彼の姿はなかった。
まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。
体育館の窓から差し込む夕焼けが、真っ赤に染まっていた。
それは、燃え盛る炎の色。
全てを焼き尽くし、何も残さない、破滅の色。
私は、ゆっくりと目を閉じ、そして、再び開けた。
客席の拍手が、まだ耳の奥で鳴りやまない。
永遠に続く、私の後悔の歌のように。
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