五
食堂。キモ山さんが野菜を切り、深皿に盛り付けていく。フライパンには豚肉らしき肉が転がり、少しの油に塗れて焼かれている。横にはすでに焼かれたロールパンがあり、バターのいい匂いを漂わせていた。
俺が何か手伝うと言うと、キモ山さんは「家主が客をもてなすのは当たり前だよ」と言い断った。実際のところ、何も覚えていない俺が手伝えることなどないかも知れない。手際よく食卓を彩らせるキモ山さんの様子を見て、何か料理した記憶が思い出されることもない。大人しく、俺は座っていよう。
キモ山さんは人工林で、何か理解した素振りを見せていた。しかし、俺にそれを伝えるべきか悩んでいる。なぜ悩む必要があるのか? それにより、俺が傷付く可能性でもあるのだろうか。
そういえば、改めて考えて、俺は何故ここに連れられたのだろうか。記憶を取り戻すことに気を取られていたが、そもそも俺は何者かに連れて来られたはずだ。はず、なのだ。なら、この奇妙な異星から脱出することを目的とすべきか。俺以外にここへ連れられた人々は、どうしたのだろうか。
「はい、お食べ」
「え、あ、いただきます」
卓上に、焼かれた肉とパン、サラダが並ぶ。俺はゆっくりとパンを手に取り、一口齧る。おいしい。程よく焼かれたロールパンは、表面はサクサクで内部はもっちりと柔らかい。ナイフを肉に当てると、すうっと刃が進み、その柔らかさが明らかになる。口に運ぶと、やはり抵抗なく咀嚼できた。サラダに入ったトマトは甘く、レタスやタマネギも
「気に入って貰えたようだね」
俺は口に入ったものを急いで飲みこみ、はい、と返事をする。キモ山さんは心底嬉しそうで、ニコニコとこちらを見ている。
「さっきの話だけれどね」
少し笑みの薄れた表情で、キモ山さんが言う。
「あれを仕組んだ
食事の手を止め、俺はキモ山さんの話を静かに訊く。仕組んだ阿呆。キモ山さんが言うのだから、余程の阿呆なのだろうな。
「そう、阿呆なんだ。とても性格が良くなくてね。僕からあまり色々と言い過ぎると、君が不幸になる気がする」
「不幸?」
「ああ、不幸。なんだろうな、とても難しいんだけど――」
「殺される、とかですか?」
「いや、違う。それは、根本的に。慎重に、慎重に、核心を突いたことを言ってあげられないのが申し訳ないんだけど……」
キモ山さんは腕を組み、目を瞑り、うーんと考え唸っている。俺には黙って待つことしか出来ない。
「もしも、これを言ってこの子に何かしたら、タダじゃおかない」
キモ山さんが目を逸らしてぼそり言うと、続けて、
「ここにはね、自死した人が送られるんだ」
自死。
「これが今、一先ず言えること」
自死。それはおかしい。先ほどの人工林で、俺が自殺に対して強くトラウマがあると分かった。それも、他人のではなく自分のだ。そんな俺が、自殺をしてここに送り込まれるとは考えにくい。そうだ。そんなはずはない。俺はこんなにも死にたくないのだ。ん? と言うことはキモ山さんも……。
「いや、僕は違うよ。僕はここがそうなる前からここに遊びに来ていてね」
キモ山さんが、首を横に振り言った。
「まあ、僕のことはさておいて。そうだね。だから変なんだ。困ったね――」
キモ山さんがそう言うや否や、部屋の明かりが消え、何も見えなくなった。目を凝らすも、自分の姿以外はまともに目に映らない。窓の方へ首を向けるが、外からの光が入ってきていない。おかしい。カーテンも何もなかったはずだ。急激な日没だろうか? いや、昨日、日が暮れるのを見たが、こんなに太陽の沈みは速くなかった。
「キモ山さん?」
返事はない。耳を澄ませるが、自分の息遣いしか聞こえない。頭が痛くなる。この異星が奇特な存在だということは承知しだが、こうも劇的な演出をなされると対応に困る。キモ山さんが犯人か? いや、彼を疑うのはよそう。恐らく、まだ観測していない第三者によるものだ。とても性格が良くない。キモ山さんはそう言っていた。敵意があるか否かに関わらず、心しておいた方がいいだろう。
恐怖から逃れるため思考に沈んでいると、部屋の明かりが点いた。強くない光だが、少し眩しい。机の対面には誰もいない。
「キモ山さん?」
当然、返事はない。少々困った。冷や汗が出ている。よく考えれば、謎の異星に飛ばされ、俺の拠り所は過剰な思考癖とキモ山さんだけだった。彼がいない今、かなりの不安を感じている。このままでは、思惟を侵食して、まともな精神を維持することもままならないかも知れない。
机に目を向けると、手にしていた食事もなくなっている。しかし、問題はそこではない。机の中央に紙が一枚あり、何か書かれている。
『屋上に来たまえ』
随分と上から目線だ。誰かからの命令か。十中八九、件の阿呆だろう。しかし、屋上……。屋上への道などあっただろうか? ……もしかすると、鍵のかかっていた扉だろうか。てっきり、キモ山さんの部屋でもあるのかと思っていた。確かめるべきだろう。
俺は椅子から飛び降り、部屋を出る。玄関の方向へ歩き、鍵穴のある扉の前に立つ。ドアノブを握ると、今度は抵抗なく捻ることが出来た。俺は恐る恐る扉を開け、中を確認する。扉が二つに、上階へ向かう階段がある。この階段が屋上へ向かうものだろう。
さて、俺はこの命令に従うべきだろうか。ずっと、第三者の掌上で踊っている現状は面白くない。例えばこのまま、あちらが辟易するまでベッドでぐだぐだとしてやるのはどうか。しかし、もしもキモ山さんが人質の状態ならばそうもいかない。いや? キモ山さんの『タダじゃおかない』という口ぶりから、キモ山さんはこの第三者と対等か、それ以上の立場であるように感じる。ふむ、なら人質という線は薄いのではないか?
「うっ⁉︎」
扉を潜らず覗いていた俺の背中が、何者かに勢いよく押される。抵抗する術もなく、俺は扉の奥へと押し込まれ、倒れた。すると勢いよく扉も閉まり、ガチャリと鍵の閉まる音がした。
ふむ、キモ山さんと違って、あまり余裕のある性格ではないようだ。改めてドアノブを握るが、動かない。サムターンに力をかけるも、やはり動かない。どうやら『布団でぐだぐだ作戦』は阻止されてしまった様だ。こうも物理的な妨害を受けるとは思っていなかった。心臓の高鳴りがうるさい。仕方がない、階段を上るしかないのだろう。
俺は恐る恐る、階段を一段一段登っていく。階段は螺旋状に伸びており、見上げれば途方もなく続いていた。徐々にどれくらい高くに来たのか、感覚が失われていく。少しだけ、身体がふらつくのを感じた。もしかすれば、高所恐怖症なのかも知れないな。しかし、あまり気にしてもいられない。手すりを持ち、進む。少なくとも、二階や三階はとうに過ぎた。思い起こせば、この家は背の高くない豆腐小屋だ。どこにこんな螺旋階段を隠していたのだろうか。
数分螺旋を上り続け、目の前に扉が現れた。鍵は見当たらない。ドアノブに手をかけると、回すまでもなく扉が開いた。外の光が漏れ差してくる。眩しい。
外に出ると、豆腐小屋の白い壁と同じ色の床が広がっていた。奥に柵などは見えない。ゆっくりと端へ歩いていき、下を覗き込む。二十メートル程度はあるだろうか。落ちたら間違いなく死ぬだろう。
死。
考えただけで、冷や汗が垂れる。やはり、俺は自分の死にトラウマがあるのだろう。とはいえ、死を自ら選んだとて、そこに傷を負わない人間がいるだろうか。少なからず、後悔や感傷を抱くのではないか。俺が、自らの死に強い心的外傷を持つ俺が特殊ならば、ここに送られる人間は、自ら死を選びながらも精神的苦痛を抱かず、ともすれば生からの解放に歓喜した連中だったりはしないだろうか。
死を想像し、思考をすればするほど、視界がぐにゃりと歪むのを感じる。このままでは危険だ。すぐにここから離れよう。そう思い腕と足に力を入れようとするが、叶わない。ヤバい、トラウマが身体を侵食している。いや、違う。そもそも、力が身体に通っていない。この場に杭でも刺されているかの様に、俺の身体は動かない。
「最後の検証だ! しばし懊悩したまえ!」
聞き覚えのない声が響くと、俺の身体は丸太にでも突き押されたかの様に吹き飛んだ。宙に浮く身体を少し捻り、それまで硬直していた場所に目を向けるが、何もいない。俺は抵抗も出来ず、重力に従い落下を始める。
このままでは死ぬ。なんとかしなければならない。しかし、豆腐小屋の方を見ても螺旋階段を上った空間は消え失せ、遥か下方に白い直方体が見えるだけだ。掴まるところはない。焦燥の間にも、身体は無慈悲に墜落を続ける。
このままでは死ぬ。しかし、何も手立てはない。俺ができることはなんだ。先ほど聞こえた声は、懊悩しろと言った。懊悩。何に苦しめばいい? 死か? 今から訪れる死に嘆き苦しめばいいのか。
このままでは死ぬ。死にたくない。死にたくない。死にたくない! 何故俺がこんな目に遭っている? 遭わなければならなかった? 何か理由があるはずだ。そうでもなければ、あの声の『検証』という物言いが判然としない。検証? 何を確かめたいんだ。俺の特殊性か? 俺は自死し、しかし死が怖い。ここに送られる輩が、死が怖くないとしたら? 死による救済を望んだとしたら? しかし、俺はそうではないのだろう。なら、死が怖いが、死よりも怖いものからの逃避として、死を選んだ? いや、だとしたら、それは月並みな遁逃だ。この悪徳な罰を受ける謂れはない。
蝉の声がうるさく聞こえてくる。頭が割れそうに痛い。俺は何故死んだ? 首を吊ったか? 飛び降りたか? 入水したか? 飛び込みか? 切り裂いたか? 突き刺したか? いや、そんなことはどうでもいい。何故それを俺が行ったか、だ。
死が怖い。死にたくない。死が怖い。死が、怖い? もしかして、俺は、生が怖く逃避を選んだ彼らとは違って、いや、同じ様に、死が怖くて死を選んだ? そんなバカな。いや、地への激突を前にして、思考に没入する俺が、バカな思索の果てにバカな結論に到達したとしたら?
嫌にしっくりとくる仮説だった。俺は、死の恐怖に屈して死に身を委ねた愚か者なのかも知れない。いや、きっと、当時の俺は考えに考えに考えに考えて結論を出したはずだ。ならば、ならばだ、俺にできる手立ては何なんだ? 愚策に気が付いた俺が、目前の死に抗う術はなんだ? 検証とは? 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。
「キモ山さん! 助けて!!」
ぐしゃり。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます