食堂。キモ山さんが野菜を切り、深皿に盛り付けていく。フライパンには豚肉らしき肉が転がり、少しの油に塗れて焼かれている。横にはすでに焼かれたロールパンがあり、バターのいい匂いを漂わせていた。

 俺が何か手伝うと言うと、キモ山さんは「家主が客をもてなすのは当たり前だよ」と言い断った。実際のところ、何も覚えていない俺が手伝えることなどないかも知れない。手際よく食卓を彩らせるキモ山さんの様子を見て、何か料理した記憶が思い出されることもない。大人しく、俺は座っていよう。

 キモ山さんは人工林で、何か理解した素振りを見せていた。しかし、俺にそれを伝えるべきか悩んでいる。なぜ悩む必要があるのか? それにより、俺が傷付く可能性でもあるのだろうか。

 そういえば、改めて考えて、俺は何故ここに連れられたのだろうか。記憶を取り戻すことに気を取られていたが、そもそも俺は何者かに連れて来られたはずだ。はず、なのだ。なら、この奇妙な異星から脱出することを目的とすべきか。俺以外にここへ連れられた人々は、どうしたのだろうか。

「はい、お食べ」

「え、あ、いただきます」

 卓上に、焼かれた肉とパン、サラダが並ぶ。俺はゆっくりとパンを手に取り、一口齧る。おいしい。程よく焼かれたロールパンは、表面はサクサクで内部はもっちりと柔らかい。ナイフを肉に当てると、すうっと刃が進み、その柔らかさが明らかになる。口に運ぶと、やはり抵抗なく咀嚼できた。サラダに入ったトマトは甘く、レタスやタマネギも瑞々みずみずしさが感じ取れる。手伝わなくてよかったかも知れない。

「気に入って貰えたようだね」

 俺は口に入ったものを急いで飲みこみ、はい、と返事をする。キモ山さんは心底嬉しそうで、ニコニコとこちらを見ている。

「さっきの話だけれどね」

 少し笑みの薄れた表情で、キモ山さんが言う。

「あれを仕組んだ阿呆あほうを、多分僕は知っているんだけど」

 食事の手を止め、俺はキモ山さんの話を静かに訊く。仕組んだ。キモ山さんが言うのだから、余程の阿呆なのだろうな。

「そう、阿呆なんだ。とても性格が良くなくてね。僕からあまり色々と言い過ぎると、君が不幸になる気がする」

「不幸?」

「ああ、不幸。なんだろうな、とても難しいんだけど――」

「殺される、とかですか?」

「いや、違う。それは、根本的に。慎重に、慎重に、核心を突いたことを言ってあげられないのが申し訳ないんだけど……」

 キモ山さんは腕を組み、目を瞑り、うーんと考え唸っている。俺には黙って待つことしか出来ない。

「もしも、これを言ってこの子に何かしたら、タダじゃおかない」

 キモ山さんが目を逸らしてぼそり言うと、続けて、

「ここにはね、んだ」

 自死。

「これが今、一先ず言えること」

 自死。それはおかしい。先ほどの人工林で、俺が自殺に対して強くトラウマがあると分かった。それも、他人のではなく自分のだ。そんな俺が、自殺をしてここに送り込まれるとは考えにくい。そうだ。そんなはずはない。のだ。ん? と言うことはキモ山さんも……。

「いや、僕は違うよ。僕はここがそうなる前からここに遊びに来ていてね」

 キモ山さんが、首を横に振り言った。

「まあ、僕のことはさておいて。そうだね。だから変なんだ。困ったね――」

 キモ山さんがそう言うや否や、部屋の明かりが消え、何も見えなくなった。目を凝らすも、自分の姿以外はまともに目に映らない。窓の方へ首を向けるが、外からの光が入ってきていない。おかしい。カーテンも何もなかったはずだ。急激な日没だろうか? いや、昨日、日が暮れるのを見たが、こんなに太陽の沈みは速くなかった。

「キモ山さん?」

 返事はない。耳を澄ませるが、自分の息遣いしか聞こえない。頭が痛くなる。この異星が奇特な存在だということは承知しだが、こうも劇的な演出をなされると対応に困る。キモ山さんが犯人か? いや、彼を疑うのはよそう。恐らく、まだ観測していない第三者によるものだ。。キモ山さんはそう言っていた。敵意があるか否かに関わらず、心しておいた方がいいだろう。

 恐怖から逃れるため思考に沈んでいると、部屋の明かりが点いた。強くない光だが、少し眩しい。机の対面には誰もいない。

「キモ山さん?」

 当然、返事はない。少々困った。冷や汗が出ている。よく考えれば、謎の異星に飛ばされ、俺の拠り所は過剰な思考癖とキモ山さんだけだった。彼がいない今、かなりの不安を感じている。このままでは、思惟を侵食して、まともな精神を維持することもままならないかも知れない。

 机に目を向けると、手にしていた食事もなくなっている。しかし、問題はそこではない。机の中央に紙が一枚あり、何か書かれている。

『屋上に来たまえ』

 随分と上から目線だ。誰かからの命令か。十中八九、件の阿呆だろう。しかし、屋上……。屋上への道などあっただろうか? ……もしかすると、鍵のかかっていた扉だろうか。てっきり、キモ山さんの部屋でもあるのかと思っていた。確かめるべきだろう。

 俺は椅子から飛び降り、部屋を出る。玄関の方向へ歩き、鍵穴のある扉の前に立つ。ドアノブを握ると、今度は抵抗なく捻ることが出来た。俺は恐る恐る扉を開け、中を確認する。扉が二つに、上階へ向かう階段がある。この階段が屋上へ向かうものだろう。

 さて、俺はこの命令に従うべきだろうか。ずっと、第三者の掌上で踊っている現状は面白くない。例えばこのまま、あちらが辟易するまでベッドでぐだぐだとしてやるのはどうか。しかし、もしもキモ山さんが人質の状態ならばそうもいかない。いや? キモ山さんの『タダじゃおかない』という口ぶりから、キモ山さんはこの第三者と対等か、それ以上の立場であるように感じる。ふむ、なら人質という線は薄いのではないか?

「うっ⁉︎」

 扉を潜らず覗いていた俺の背中が、何者かに勢いよく押される。抵抗する術もなく、俺は扉の奥へと押し込まれ、倒れた。すると勢いよく扉も閉まり、ガチャリと鍵の閉まる音がした。

 ふむ、キモ山さんと違って、あまり余裕のある性格ではないようだ。改めてドアノブを握るが、動かない。サムターンに力をかけるも、やはり動かない。どうやら『布団でぐだぐだ作戦』は阻止されてしまった様だ。こうも物理的な妨害を受けるとは思っていなかった。心臓の高鳴りがうるさい。仕方がない、階段を上るしかないのだろう。

 俺は恐る恐る、階段を一段一段登っていく。階段は螺旋状に伸びており、見上げれば途方もなく続いていた。徐々にどれくらい高くに来たのか、感覚が失われていく。少しだけ、身体がふらつくのを感じた。もしかすれば、高所恐怖症なのかも知れないな。しかし、あまり気にしてもいられない。手すりを持ち、進む。少なくとも、二階や三階はとうに過ぎた。思い起こせば、この家は背の高くない豆腐小屋だ。どこにこんな螺旋階段を隠していたのだろうか。

 数分螺旋を上り続け、目の前に扉が現れた。鍵は見当たらない。ドアノブに手をかけると、回すまでもなく扉が開いた。外の光が漏れ差してくる。眩しい。

 外に出ると、豆腐小屋の白い壁と同じ色の床が広がっていた。奥に柵などは見えない。ゆっくりと端へ歩いていき、下を覗き込む。二十メートル程度はあるだろうか。落ちたら間違いなく死ぬだろう。

 死。

 考えただけで、冷や汗が垂れる。やはり、俺は自分の死にトラウマがあるのだろう。とはいえ、死を自ら選んだとて、そこに傷を負わない人間がいるだろうか。少なからず、後悔や感傷を抱くのではないか。俺が、自らの死に強い心的外傷を持つ俺が特殊ならば、ここに送られる人間は、自ら死を選びながらも精神的苦痛を抱かず、ともすれば連中だったりはしないだろうか。

 死を想像し、思考をすればするほど、視界がぐにゃりと歪むのを感じる。このままでは危険だ。すぐにここから離れよう。そう思い腕と足に力を入れようとするが、叶わない。ヤバい、トラウマが身体を侵食している。いや、違う。そもそも、力が身体に通っていない。この場に杭でも刺されているかの様に、俺の身体は動かない。

「最後の検証だ! しばし懊悩したまえ!」

 聞き覚えのない声が響くと、俺の身体は丸太にでも突き押されたかの様に吹き飛んだ。宙に浮く身体を少し捻り、それまで硬直していた場所に目を向けるが、何もいない。俺は抵抗も出来ず、重力に従い落下を始める。

 このままでは死ぬ。なんとかしなければならない。しかし、豆腐小屋の方を見ても螺旋階段を上った空間は消え失せ、遥か下方に白い直方体が見えるだけだ。掴まるところはない。焦燥の間にも、身体は無慈悲に墜落を続ける。

 このままでは死ぬ。しかし、何も手立てはない。俺ができることはなんだ。先ほど聞こえた声は、懊悩しろと言った。懊悩。何に苦しめばいい? 死か? 今から訪れる死に嘆き苦しめばいいのか。

 このままでは死ぬ。死にたくない。死にたくない。死にたくない! 何故俺がこんな目に遭っている? 遭わなければならなかった? 何か理由があるはずだ。そうでもなければ、あの声の『検証』という物言いが判然としない。検証? 何を確かめたいんだ。俺の特殊性か? 俺は自死し、しかし死が怖い。ここに送られる輩が、死が怖くないとしたら? 死による救済を望んだとしたら? しかし、俺はそうではないのだろう。なら、死が怖いが、死よりも怖いものからの逃避として、死を選んだ? いや、だとしたら、それは月並みな遁逃だ。この悪徳な罰を受ける謂れはない。

 蝉の声がうるさく聞こえてくる。頭が割れそうに痛い。俺は何故死んだ? 首を吊ったか? 飛び降りたか? 入水したか? 飛び込みか? 切り裂いたか? 突き刺したか? いや、そんなことはどうでもいい。何故それを俺が行ったか、だ。

 死が怖い。死にたくない。死が怖い。死が、怖い? もしかして、俺は、生が怖く逃避を選んだ彼らとは違って、いや、同じ様に、? そんなバカな。いや、地への激突を前にして、思考に没入する俺が、バカな思索の果てにバカな結論に到達したとしたら?

 嫌にしっくりとくる仮説だった。俺は、死の恐怖に屈して死に身を委ねた愚か者なのかも知れない。いや、きっと、当時の俺は考えに考えに考えに考えて結論を出したはずだ。ならば、ならばだ、俺にできる手立ては何なんだ? 愚策に気が付いた俺が、目前の死に抗う術はなんだ? 検証とは? 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。

「キモ山さん! 助けて!!」


 ぐしゃり。




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